低い地鳴りの音と、閻魔庁の揺れは徐々に大きくなっている。狛の中で嫌な予感もまたどんどんと大きくなっているのがシンクロしているように感じられた。
「まさか…!?外柴さん、あなた!」
「ククク…まんがいちの、ときの、ために……わた、しがまけたら、じごくのいりぐち…もろ、とも、じかいするよう、めいれいして、おいた…いぬがみ、のしそん…きさま、だけは…生かして返さん!」
今にも消え去りそうだった外柴の声は、最後の恨み節だけをはっきりと言い残し、仮初の身体諸共に完全に消滅した。あの世で魂そのものが消滅したとすれば、もう二度と復活することは出来ないだろう。外柴はそれほどまでに、宗吾を憎んでいたのかと狛はその執念にだけは感服せざるを得ない。
会った事もない身内とはいえ、実の高祖父がそこまで悪く思われていることに、狛はほんの少しの悲しさと寂しさを覚えていた。世の中にはどうやっても解り合えない相手がいる、それは死者と生者という隔たりがあれば
「…狛、狛!聞こえるか?!」
「あ、お兄ちゃん!?」
その時、腰に差してあった神楽鈴から鈴の音がして、それは次第に拍の声に変わっていった。どうやら、ここへ戻ってきたことが拍にも解ったらしい。口寄せを再開してくれたのだろう。狛は拍の声を聞いて、不安だった心に光が差したように気持ちが軽くなった。地獄に仏とは、まさにこの事だ。
「良かった、無事だったか、一体どうやって…いやそれより、今どうなっている?そこにお前を狙っている男がいるはずだ。気を付けろ」
「外柴さんなら、もう倒したよ。それよりお兄ちゃん、あの人、私に負けたら地獄の入口を崩壊させるつもりだったみたいなの!それで、今、あちこちが凄く揺れてて…」
「なんだと…!?それならもう帰ってこい!帰還術はまだ使えるのだろう!?」
拍の言葉に、狛は唇を噛み締めた。狛とて、帰れるものならばすぐにでも帰りたい、だが、肝心要の用事がまだ残っている。
「帰還術は使えるよ。でも、まだメイリーちゃんの魂が見つかってないの!外柴さんは教えてくれずに消えちゃって…お兄ちゃん、そっちから調べられない?」
そう、狛が生きながらはるばる地獄まで下って来たのは、他ならぬ親友メイリーを救い、連れ戻す為である。初めは外柴を倒して居場所を聞くつもりだったのだが、まさかの展開でそれを聞く間もなく外柴は消え去ってしまった。これでは狛もお手上げだ。
こうしている間にも、地震は更に大きくなっている。これ以上に大きな地震となれば、いずれ立って歩くのもままならなくなるだろう。そうなる前に、なんとしてもメイリーを見つける必要がある。
「くっ…解った。こちらからも魂の行方を捜す。だが、時間がかかるかもしれん。お前も少し移動して探索してみてくれ」
「解った!お願いね、お兄ちゃん!」
拍の命を受け、狛は落ちていた閻魔帳を拾いあげて胸元に差し込むと、その場から一気に走り出した。気付けばあれだけいた鬼達は、いつの間にかどこかへ消えている。彼らも無事であって欲しい、狛はそう願いつつ、法廷を後にした。
「ここは?…違う。こっち!…もダメだ」
相当な広さのあった地獄の法廷を抜け出して、いくつかの部屋を覗きながら走っているが、メイリーの魂は一向に影も形も見えない。そもそも、閻魔庁自体がとんでもなく広大な建物なのだ。普通に歩いていたら、一階を見て回るだけでも何日かかるか解らない。狛は改めて、あの世と現世の違いを思い知らされている。
今は狗神走狗の術で人狼化した状態なのでまだいいが、段々揺れが激しくなってきているので、うかうかしていると走るのも難しくなる。時間と共に狛にも焦りが見え始めているようだった。
ゴゴゴ…という地鳴りの音がさらに大きくなるにつれて、次第に扉が開きにくくなり始めていた。建物が歪み始めている証拠だ。これは思ったよりも早く、閻魔庁が倒壊する可能性を示唆している。何度目か覚えていない回数の扉を開けて確認した後、狛は階段の存在に目が留まった。
「そっか、上の階もあるんだ…どうしよう、まだ一階も全部見回ってないけど、先に上から見ていった方がいいのかな?」
閻魔庁が何階建ての作りになっているのか、狛は外から見た時に気を配っていなかったので覚えていない。普通の建物ならば、一階がまずペシャンコになるだろうが、建物の構造次第では横倒しになる可能性もある。地獄で地震など想定しているとは思えないので、耐震構造になっているかも不明だ。狛は刻一刻と激しくなる揺れの中で、判断を迫られていた。
「くそ…!何故見つからん。魂の緒はこちらからまだ伸びているというのに…」
一方その頃、拍は口寄せから霊視に切り替えて、メイリーの魂の行方を探っていた。閻魔庁内部までは追えるものの、どういうわけか、肝心の魂まで辿り着けない。何者かが、何らかの意図をもって隠しているのは明らかだった。
しかし、狛の話からすると、それを行いそうな外柴はもういない。術者がいなくなった後に残る術もあるにはあるが、そこまで強力な力を使ってまでメイリーの魂に固執する意味はない。それならば、その分の力を狛と戦う為に使った方がマシなはずだし、強力な術ならば、その痕跡くらいは感じ取れるはずだ。
「何か見落としがあるのか…?一体なんだ?どうやってメイリーの魂を隠している…」
拍は外柴の思考を追ってみようとするが、あそこまでの外道となると思考をトレースするのも難しい。拍も狛も、基本的に善良な人間なのだ。人の悪意を読み解くには向いていないタイプであると言っていいだろう。
そんな拍の横に立つ猫田は、イラつきを隠さずにいた。腕を組んで、猫らしくイカ耳状態になり、また表情も険しく、六本の尻尾はダシダシと音を立てて床を叩いている。猫田のそんな状態を見るのが初めてな神奈や玖歌は、どうしていいのか解らずに顔を見合わせていた。ただし、レディだけは、猫田の尻尾を興味深そうに見つめているようだ。
「…猫田、うるさいよ。尻尾だけでも落ち着いてくれ」
付き合いの長い土敷は、こういう時の猫田への対処もよく解っている。猫田はよほど腹に据えかねたものがあるのだ。大方、拍が悩んでいる事を理解しているので、せっつきたくても言えないのだろう。自分が地獄に飛び込んだとて、この状況では遅すぎる。
外柴はもういないようだし、メイリーの魂を探すにしても、拍が霊視で追えないものを猫田が探し出せるわけもない。しかも、それで地獄から戻れなくなれば、誰よりも狛が悲しむ。それを解っているからこそ、ここで鬱憤を溜め込む事しか出来ないのだ。土敷は敢えてそこを指摘して、少しでも溜め込んだ気持ちを吐き出させようと考えた。
「ああ?…解ってるよ。けどなぁ、落ち着いてばっかりも居られねぇだろうが!」
そうとは知らず、猫田はつい昂っていた気持ちを吐き出す。土敷の発言は見事な予想通りの結果を生んだ。
「外柴の野郎…前々から性根の腐ったヤツだと思ってたが、こんな嫌がらせまで残していきやがるとは…!」
「君がそこまで言うのも凄いな。相当、嫌な人間だったんだね」
「アイツは性格悪い上にプライドまで高かったからな。俺達をよく下に見て、普段から自分の方が上だって一点張りだ。ったく…」
「プライドが高い、か…」
ふと拍の頭に引っ掛かるものがあった。プライドの高い外柴が、どうして万が一にでも自分が負けた時の為に、メイリーの魂を隠したのだろう?奴の狙いはあくまで自分達兄妹で、猫田がここにいる事すら知らなかった。メイリーの魂など、外柴にとっては狛と拍を誘き寄せる餌でしかないはず。仮にそこまで重要な人物であったのなら、人質に使った方が確実だったはずだ。
「そうだ…何故外柴と言う男は、切り札とも言える少女の魂を活用しなかった?そもそも狛を無間地獄に落とした時点で、勝負は着いたも同然だ。もはや奴にとってメイリーに価値など無かったはず…」
「拍、どうかしたのか?」
「俺は勘違いをしていたのかもしれん。そうだ、メイリーを秘匿したのは外柴ではなく、別の誰かだ。何者かが
拍の発見は、彼自身に大きな閃きを与えていた。拍は思いついたそれを確かめるように、再び霊視に戻るのだった。