第107話 外道の最期

「さぁ行け鬼共よ!まずは思う存分、痛めつけてやれっ!」


 外柴の号令を受け、狛の正面に連なっていた鬼達が猛進してくる。両手を前に突き出し、低く野太い鬼特有の唸り声を上げて迫ってくる様は、まるでゾンビ映画のゾンビそのものだ。元々、肉体的に人間を大きく上回る能力を持った鬼達が、外柴の術で強化されているのだから、捕まれば一溜りもないだろう。しかし、狛は迫りくる鬼の群れに臆することなく、真正面から迎え撃つつもりであった。


「はぁぁぁぁっっ!!」


 狛は息吹を吐いて、身体を巡る霊力を練り上げる。そうして全身に満ちている力を操り右手に集中させると、狛はまず正面に迫った鬼を、思いきり殴りつけた。

 ゴッ!!という鈍い音を立てて、腹を殴られた鬼は真っ直ぐに吹き飛んでいく。その後ろにいた鬼達を巻き込みながら壁にぶつかり、ようやく止まったようだ。


「なっ!?」


 鬼の身体はどれも皆大きい。最低でも2メートルはある体格の者達ばかりだが、狛の一撃はそんな鬼達をまとめて吹き飛ばす程の威力をみせた。よもや、狛がそんな力を持っていると思ってもみなかった外柴は驚愕し、鬼を操ることを一瞬忘れている。


「気を付けないと…危ないかも」


 一方、狛は舌を出し、軽く苦笑いをしていた。いつもなら、霊力によって強化した爪で引き裂くものだが、爪を立てなかったのは出来れば鬼達を殺したくはなかったからだ。鬼は本来恐ろしいものとはいえ、彼らは外柴に操られているだけで、見境なく人を襲って喰い殺す悪鬼とは違う。彼らのほとんどは地獄の管理者や、それらに仕える獄卒…要は役人である。罪を犯しているわけではないのだから、出来るだけ手加減をして無力化するだけで済ませたい、そう考えていた。

 とはいえ、あまり手加減が過ぎれば自分の身が危ない。狛は戦いながらギリギリの線を見極めようと考えを改めたようだった。


「くっ!ええい、怯むな。押し包め!」


 外柴はすぐに気を取り直して、狛を囲むように鬼達を操り始めた。作戦としてはオーソドックスだが、理にかなっている。狛はたった一人で、鬼達は多数いる。数の利を得る事は至極当然であった。


「はぁっ!!」


 壁を作るように取り囲まれた狛は、練り上げた霊力を今度は尻尾に集中させてその場でジャンプし、ぐるりと回転しながら、迫りくる鬼達を薙ぎ払った。霊力をふんだんに蓄えた尾は大きく膨れ上がり、まるで鈍器のように硬化して次々に鬼達を跳ね飛ばしていく。その攻撃は非常に強烈で、鬼達は成す術もなく倒されるばかりである。


「…ふっ!!」


 狛はそのまま着地をして、四つん這いのように低い姿勢を取ると、今度は霊力を身体全体から放ちつつ、小さく息を吐いて真っ直ぐに駆け出した。そんな狛の前方には霊力の壁が発生しており、凄まじいスピードで走っているのも相まって、鬼達は弾き飛ばされ、その包囲はいともたやすく瓦解していった。

 これは、かつての犬神宗吾が、巨大な狼と化して戦った際によく使用した技である。あの夢を見てから、狛はより深くイツと同調し、それを通して宗吾の技をも受け継いでいるようであった。


「…ば、バカなっ!?」


 数千人の亡者とそれらを抑える鬼達が一堂に集まる地獄の法廷は、途轍もなく広い。そこを埋め尽くす数百、いや数千以上の鬼達が集められていたというのに、それらはまるで紙で出来た人形のように、あっけなく倒され続けている。その様子に、外柴は脅威を感じ、恐れをなしていた。犬神を五匹同時に宿らせていた宗吾ならまだしも、狛が操っているのはたった一匹だけ、何より狛は女だ。体格的にも力そのものも、宗吾に劣るはずの若い娘がこれほどの力を持っているとは、想像もしていなかったらしい。


「ちっ、おのれ…調子に乗るなよっ!」


 外柴が舌打ちと共に再び指を鳴らすと、突進する狛の前方に一際大きな鬼が現れた。大きいとは言ったが、無間地獄にいたあの緑鬼ほどではない。ただ、170cmを優に超える狛の長身と比較して、狛が子どもに見える程のサイズであった。予想以上の狛の力を目の当たりにして、通常の鬼ではいくら用意しても歯が立たないと踏んだのだろう。数よりも個の質を上げてぶつけようというつもりらしい。

 突如現れた大型の鬼に、狛は怯まずそのまま走る。鬼は怒声を浴びせながら、巨大な左手を握り締めて、拳を叩き込んできた。


「くぅっ!んんんんっっ!」


 狛は、それを右手で受け止めた。さらに間髪入れずに鬼の右拳が飛んできたので、それも左手で受け止める。全身の霊力をフルに使って、巨大な両拳を受け止める狛の姿は、犬神宗吾以上のパワーを感じさせるものであった。


(な、なんなのだ!?こいつは…!)


 その光景を前にして、外柴は柄にもなく恐怖していた。単純に、今の狛の馬鹿力…いや、怪力は宗吾のそれを大きく上回っている。それは何も狛の内在する霊力が、一族の中でも頭抜けて高いというだけではない。種明かしをするならば、狛の身を包む九十九つづらの恩恵と、大日如来に出会い、己の霊力の効率的な使い方を知った事の相乗効果によるものである。


 これまで、狛は狗神走狗の術により人狼化した際に溢れ出る霊力をコントロールしきる事が出来ず、余剰分を九十九のサポートによって扱ってきた。所有者の霊力を生命力とし、それによってより大きな力を返すという九十九の特性上、それはお互いにとって想定以上の効果を発揮していたものの、狛が垂れ流している霊力は九十九のキャパシティを超えるものであった。

 それ故に、いくら九十九が狛の霊力を無駄にしないようにしていても、どうしても余剰分が発生していたのである。しかし、大日如来との邂逅により、狛は己の霊力にどれだけの無駄があったのかを把握することが出来るようになった。今風な言い方をすれば、のだ。


 加えて言えば、狛はまだ成長期であり、霊力を生み出す源であるその魂は地獄という大きな抑圧により鍛えられた、という見方も出来るだろう。それらが狛の力を大きく伸ばす結果に繋がったのだった。


「くうぅぅぅっ!で…えぇぇいっ!!」


「う、うおおおおおっ!?」


 鬼の拳は、狛の身体をすっぽりと包み込めるであろう大きさだったが、狛はそれを掴み、あろうことか気合と共にその巨体を持ち上げていた。そして、外柴に向かって強引に投げ飛ばす。外柴は飛んできた鬼の身体を咄嗟に伏せて避けたが、それは致命的な隙を生む行動である。


「なんとか避けられたか、あ、危なかった…ハッ!?そうだ、や、奴は、小娘はどこだ!?」


 轟音を響かせて、法廷の奥の壁にぶつかる鬼の巨体を見送った後、外柴は狛が既に移動している事に気付いたようだ。立ち上がって周囲を見渡した時には、既に狛は外柴の真横に立ち、拳を放つ寸前であった。


「これで、終わりっ!!」


「し、しまったあっ!?ぐが…がはあっ!!」


 鳩尾に突き立てられた狛の拳は、その強力過ぎる霊力によって、外柴の腹を貫き、背中まで繋がる大きな風穴を開けるほどであった。

 普通なら即死してもおかしくないほどのダメージのはずだが、外柴は既に死んでいて、それは式神を応用した仮初の肉体である。その程度で魂は消滅しない。だが、その傷口から、膨大な程の狛の霊力が流れ込み、外柴の身体を構成する式神は無惨にもひび割れて崩壊寸前に陥っていた。


「ぐふっ…ま、まさか…?!」


「貴方には、一度に操れる他人の数に限界があるんです。操る数が多ければ多いほど、動きは単調で、隙が大きくなる。…宗吾さんは気付いていました。私はそれを記憶から引き継いでいたから知っていた。それが、貴方の敗因です」


 どれだけ多くの肉体を操ろうとも、それを操る頭脳…即ち外柴本人はたった一人である。仮に人間の腕が100本あったとて、特殊な鍛錬を積みでもしない限り、それを活かしきることはできないだろう。外柴は、高い霊力という己の才覚に溺れ、他人を操る数にしか固執してこなかった。もし彼が、己の力を過信せず真面目に鍛錬を積む性格であったなら、もっと恐ろしい結果へと繋がっていたに違いない。


 死して地獄に落ちてからも尚、復讐を遂げようという執念は凄まじいが、それを自らの力を高めることに使わなかったこと、それがもっとも重大な敗因と言うべきだろう。


「き、きさま…ごとき、に…こ、こうなったら…きさま、を、みちづれに…」


「えっ!?」


 外柴がそう呟くと、俄かに閻魔庁そのものが揺れ始めた。その揺れは段々と大きくなっていき、大地そのものが鳴動していると狛が気付くのに、時間はかからなかった。


「う、嘘でしょ!?」


 慌てる狛を見た外柴は、邪悪な笑みを浮かべている。連れ去られたメイリーの魂はどこにいるのか?狛は外柴が仕掛けた最後の罠に挑む事になるのだった。