神子祭、四日目。
朝から、一年生を中心とした生徒達が、アタフタと神社の敷地内を走り回っている。今日まで行われていた神子祭と同様に、この祭りに催す側として参加するのは大半が彼ら一年生だ。
もちろん二年生や三年生が関わってはならないというわけではなく、単純に彼らの受験などに配慮した決まりなので、既に受験が終わっていたり、就職が決まっている上級生達は一年生のサポート役として普通に参加している。
とはいえ、それはあくまでサポートである。この神子祭は一年生が主体となって執り行われるものと決まりがある以上、上級生はそれを見守る事が要求されるのだった。
慣れない行事を任されて、一年生の多くは重圧と楽しさを感じているようだが、やはりプレッシャーに負けて気落ちするものもいるようだ。神社のあちこちでは、失敗や段取りが上手くいかないことへのいら立ちを含めた喧騒がひっきりなしに聞こえていた。
そんなざわめきを吹き飛ばすように、一人の女性が強く大きな音を立て、平手を打った。鋭く乾いた打音は、一瞬にして敷地内の騒音雑音をピタリと止めている。そして、その人物は誰よりも澄み渡る声で生徒達を諭してみせた。
「皆、落ち着きなさい!我が神子神社の祭神・ヤマ様は些細な失敗程度で理不尽にお怒りになったりはしない!…だから安心して、皆が一生懸命に取り組む姿こそが、最高の捧げものなのだからね」
そう語り掛ける女性こそ、現在の神子神社の宮司でもある女傑、神子桔梗その人である。
桔梗の一声で、生徒達は一気に落ち着きを取り戻し、作業は再び進みだした。このカリスマ性と統率力こそが、桔梗の最大の武器であった。
「さすが桔梗さん、一発で騒ぎを止めちゃった」
狛が感心するように呟くと、目の前で巫女装束を着たメイリーも同じように頷いている。神奈と玖歌がいないのは他の作業を手伝っているのだろう。狛はメイリーの着替えなどを手伝っているようだった。
神社側の神子祭では、絵巻神楽と呼ばれる伝統の舞を、巫女役の生徒が踊ることが決まりになっており、またそれが最大の見せ場である。
かつて、この地に降り立った祭神・ヤマ様と、それを補佐した巫女の物語を舞にしたものらしいが、内容は飛んだり跳ねたりとかなり激しいものだ。狛も子どもの頃から何度も見ているが、成長するにつれてその舞の難易度の高さが解ってきて、毎年圧倒されている。
絵巻神楽と言っても、台詞などは一切ないので、見る側は演者となる巫女の動きだけで何を表現しているのかを想像しなければならない。狛が昨年見た時、この舞は巫女が何かと戦っている姿なのではないか、そんな風に見えて驚いたものだ。
ちなみにヤマ様というと、あまり聞き覚えの無い神様だろうが、実は皆が良く知っている存在の別名である。インド神話における最初の人間、或いは最初の死者…そう、ヤマ様とは仏教でいう閻魔大王の事なのだ。
どうして閻魔大王を祭神として祀るようになったのか、そのきっかけは誰も知らない。神子神社の跡取りであり、宮司の桔梗ならば知っているのだろうが、ほとんどの人間はそれに興味がないので知ろうともしないらしい。一説によると神子神社の本殿、その最奥には、その昔、地獄に通じる門が開いていたとか…そしてそれを封じたのが閻魔大王であり、ヤマ様だというのだ。
言い伝えが正しいのならば、巫女はその地獄の門を封じる手伝いをした事になる。それを再現するのであれば、確かに激しい踊りになってもおかしくなさそうだ。
「はい、オッケー!準備できたよ。メイリーちゃん和服も似合うねぇ」
最後に全体を整えて、狛がメイリーの肩をポンと叩いた。メイリーはにっこりと笑って「ありがとう!」と礼を述べている。今年の巫女役として選ばれたメイリーは、一昨日あんなことに巻き込まれたというのに、体力的には問題ないようだ。もっとも、本人には雲外鏡にまつわる記憶はないので、気にしようがないというのもあるだろう。
(でも、なんかちょっとおかしいよね。この装束)
狛は軽く動きの確認をしているメリーを見ながら、そう思った。本来、巫女が神楽などを舞う際の装束と言えば、
更にこれから力仕事でも始めようかとばかりに、紅色の紐をたすき掛けにしているのだ。おかげでかなり動きやすいらしく、メイリーはその場でジャンプしたり、くるくると回転してみせたりしている。
もっと言えば、頭にかぶっている髪飾りも妙だった。普通、髪飾りと言えばその名の通り髪を飾る為のものである為、そう頑丈な造りはしていない。しかし、今メイリーが被っているのは基礎に鉢金を置き、それを華美に装飾している、さながら軽装の兜のような飾りだ。
また右手には神楽鈴と呼ばれる、持ち手の先にたくさんの小振りな鈴が着いた道具を持っているが、反対の手に持っているのは靴ベラくらいの長さをした板状の棒である。見ようによっては小刀に見えなくもない物を持つその姿は、本当に戦に出る前のように見えた。
「うん、大丈夫そう!コマチありがとねー!着付け出来るなんて知らなかったよー」
「どういたしまして。でも、着付けって程じゃないよー。まぁうちはお兄ちゃんもハル爺も和服多いから、少しは慣れてるけどね」
男性の和装と女性の和装では難易度がかなり違う。無論、男の和服も着こなすには相応に着付け技術がいるのだが、女性のそれとは比較にならないものだ。慣れていると言っても、狛は着付けの資格を持っているわけでもない。単純に、今回の巫女装束は簡単な部類に入るというだけの話である。
「それじゃ、ワタシ行ってくるねー!」
「うん、頑張ってね、メイリーちゃん!私達も応援しながら見てるからねー!」
着替えが済んだので、いよいよ絵巻神楽の本番である。現在午前十時、絵巻神楽はかなり長丁場な舞なので、十時半頃から開始され、昼休みを挟んで午後と更に休憩を挟んで夜の計三回に分けられている。午前はまず、降臨したヤマ様と巫女の出会い(と思われる)場面から始まるのだ。
一日かけての神事である為か、さすがに午前の部から見に来る客は少ない。この時間ではまだ屋台も出ていないし、休憩の合間に時間を潰せる場所もないから、当然と言えば当然である。
メイリ―と別れた狛は神奈や玖歌、そしてレディの三人と合流すると、神社の境内に設けられた舞台傍へと移動する。広い境内の中央に赤と紫の紐で四角く括られた舞台があった。お囃子の楽隊は舞台の少し奥にある本堂と、舞台の間に専用のスペースが作られていて、そこから音を鳴らしている。
狛達が舞台を見渡せるベンチに座ってしばらくすると、本堂の中からゆっくりとメイリーが姿を現した。さすがに演劇部のエースだけあって、本番ともなれば堂に入った佇まいである。しづしづと歩きながら舞台に入って一礼すると、周囲で見ている数名の客達が拍手をしている。
そして、本番が始まった。
「わぁ…!」
狛は思わず感嘆の声をあげた。今までに見たどの絵巻神楽よりも、メイリーの舞は滑らかで、言葉が無くても動きだけで情景がハッキリと浮かんでくるようだ。さすがの演技力である。
どうやら、ヤマ様は、森か山の中で倒れ伏していたようである。そこを通りかかった巫女が見つけて助けた、そういう物語のようだ。さすがに台詞がないので詳しい状況までは掴めないのだが、恐らく巫女の方がヤマ様に気に入られて、ヤマ様の目的を手伝う事になったのだろう。
時折、神楽鈴をシャンシャンと鳴らしてはいたが、狛と別れた時に持っていた木の棒は腰に刺したままで、使っている素振りはなかった。後半の舞で使うものなのかな?と狛は思ったが、そんな細かい疑問など忘れてしまう程の、素晴らしい完成度の舞であったと言えるだろう。
そのまま滞りなく午後の部が終わり、いよいよ残るは夜の部だけ。そう思った頃、事件は起こった。
本殿で休んでいたメイリーが、何者かに襲われたのである。
今年の神子祭は、最後まで気が抜けないようだ。