「いやぁ、まさかあないな大物の妖怪ばっかりが知り合いとはねぇ…犬神ちゃん、君どないな付き合いしてるんや?」
「はぁ…?」
職員室の一角で、湯呑に入ったお茶を啜りながら、大寅がポツリと呟く。そう言われても、狛は普通に生活しているだけだ。もっとも、狛の普通というのは、退魔士業を営む犬神家であっても、少々異常な状況であると言わざるを得ない。
そもそも、退魔士にとって妖怪は敵である。渡り合う相手として多少なりとも妖怪に顔が利くと言う事はあっても、狛ほど妖怪と付き合いがある人間など、そうはいないのだから。
今日は、学園祭である神子祭、その三日目である。一応、今日も学園祭の期間中なのだが、ほとんどのクラスは翌日に控えた神社側の神子祭の準備と、残っている学園側のお祭りの撤収や片付けに充てていて、出し物を開いているクラスはまばらだ。そのせいか、登校している生徒の数も少なく、あれだけの盛況ぶりだった前二日間を考えると学園内はずいぶん寂しい。
教師達は出勤しているものの、今は昼食時ということもあって、職員室にはほとんど人がいなかった。
それでも、明日の神社側の神子祭では神楽やお囃子を務める生徒もいるので、そういった生徒達にとって今日は本番直前の重要な一日でもある。無論、それらの生徒は神社で練習や明日のミーティングを行うため、やはり登校はしていないようだ。ただその熱気だけは、学内や期待している生徒達にも伝わっている。
今日は中休みであると同時に、祭りの最終日を大きく飾る為の充電期間のようなものだ。
そんな状況で、何故狛と神奈だけが職員室にいるのかと言えば、それは昨日の礼を伝えるためであった。
あの時、狛の母、
そこへ助けにきたのが、大寅や猫田達だったのである。
数百年前、雲外鏡が放棄されたのは、文字通りあの一号体育館の遥か地下であった。封印を解析する中でそれを突き止めた大寅は、このままでは狛達を助けるのに時間がかかり過ぎると一計を案じた。
まずカンダタの蜘蛛の糸になぞらえて、ジョロウグモのトワが糸を用意し、それに沼御前のショウコが神性を持たせてやる。そうすることで、決して切れる事のない救助ロープが出来上がる。それを、大寅が疑似神域を応用し仮初の空間を作って、雲外鏡が封印されていた地下の異空間へ繋げたという。
大寅の機転がなければ、物理的に地下の異空間の場所まで穴を掘っていかねばならず、救助には途轍もない時間がかかっていたことだろう。それを知った狛と神奈は、改めて詫びを兼ねて礼を言いに来たという次第である。
「…ところで、大寅先生。つかぬことをお伺いしますが、
「うん?」
話が一段落ついた所で、神奈はずっと気になっていた事を口に出した。前世の鬼との対話で、いくつかの話を聞くことは出来たが、ほとんどが知らない事ばかりであった。鈴鹿午前という名はどこかで聞いた記憶があるものの、はっきり言って曖昧だ。大寅はこう見えて日本史の教師である。歴史上の事なら何か知っているかもしれないと神奈は考えたようだ。
「顕明連言うたら、あれやろう。鈴鹿山の大嶽丸と戦うた鈴鹿午前の持っとった三明剣の一つや。坂上田村麻呂の物語が有名やな。能や浄瑠璃の演目にもなってるさかい、知ってる人は知っていそうやが、それがどうかしたか?」
「なるほど…実は私があの時、前世の鬼と名乗る人物から借り受けたのが、その顕明連だと言っていたのです。鈴鹿午前が母だとか…」
「ふーむ…」
坂上田村麻呂も鈴鹿午前も、有名な歴史上の人物である。神奈の言っている事が事実であれば、日本史上の大事件であるはずだが、大寅の本職は祓い屋であり教師はあくまで仮の職業なのだ。そこをつついて世間に発表しようなどとは全く思っていないようであった。
「そらあれやな、鈴鹿午前と坂上田村麻呂とのあいさに生まれた…なんて言うたかな。半人半鬼の娘の事やな。そう言うたら、三明の剣の内、
「え、じゃあ、本当にその半鬼の人が神奈ちゃんの前世なの!?」
狛が驚きの声を上げ、職員室に響き渡った。別に疑っていたわけではないが、そんな歴史上の人物が出てくるとなれば狛が驚くのも無理はない。普通の人間なら、半鬼という部分に驚くものだろうが、そこは少し感覚が違うのだ。
大寅は名前を憶えていないようだが、一応、神奈の前世は有名人ということになるらしい。近所に有名人が住んでいたとか、隣人が人気の歌手だったというならまだしも、前世の、しかも自分がというのではさすがに神奈もどう受け止めればいいのか解らない。
気恥ずかしいような、縁遠い感じがするような、奇妙な感覚である。
「まぁ…そう、なのかな?」
どうにも煮え切らない返事になってしまったが、大寅の説明を聞くに、裏付けは取れたような気がする。前世の鬼は、またいずれ交流したいと言葉を残していたので、それまでに少しでも相手の情報を手に入れておきたかったのだが、それはまた骨が折れそうだ。
「何を気にしてるのか解らへんが、鈴鹿午前は坂上田村麻呂と出会うてからは、人に害をなすような存在やなかったはずや。もちろん、半人であるその娘もな。仮に悪鬼の類いであったかて、前世は前世、今の蘿蔔とは別人やねんさかい、気にする必要はあらへんで」
そう言って、大寅は神奈の頭を軽く撫でた。今のご時世、それは完全にセクハラ行為なのだが、どうも大寅にとっては狛や神奈は小さな子どものような存在らしい。抗議をしても無駄そうなため、あえて二人は何も言わなかった。そもそも、神奈自身、それほど嫌な思いをしなかったというのもあるようだ。
それから更に十数分ほど話をした後、二人は職員室を後にした。そろそろ他の教師達も戻ってくる頃なので、あまり妖怪がどうのという話はできなくなる。その前に礼は言えたし、謝罪も伝えられたので二人は満足していた。
「そう言えば、ウンちゃんは大丈夫?」
「ああ、心配要らないよ。パ…父さんや母さんは、なんとなく察したみたいだけど、特に何も言っていなかった」
(今、パパって言いかけた…神奈ちゃん、お家だとパパママ呼びなんだ。かわいい)
狛がウンちゃんと呼んだのは、雲外鏡のことである。当初はくりぃちゃあで預かろうかという話になったのだが、雲外鏡が見せた自らの化身…あの少女の霊を何度も見つけたのが神奈だったことから、彼女と雲外鏡の相性が良いのではないかと言う事になり、結局あの後神奈が自宅に持ち帰ったと言う訳だ。
「神奈ちゃんのお父さんとお母さん、優しいもんね~」
神奈の両親は、二人共に霊感が強い。父親は特にそうで、恐らく鬼の血を引いているのは父親の方だろう。
ただ、その父も神奈ほど先祖返りの傾向が強いわけではない。神奈がこれほど鬼の血に影響を受けているのは、前世の鬼が同じ血筋に生まれ変わってしまったからこその、奇妙な偶然によるものだからだ。
生まれ変わりというものは輪廻の中では当然だが、自分の子孫に生まれ変わるというのはあまり聞いた事がないかもしれない。或いは、類例がないだけでそれも当たり前の事なのか、それは誰にも解らないことであった。
「明日は神社の方で神子祭だねー。メイリーちゃん大丈夫かな?」
「昨日の夜は何ともなさそうだったから、大丈夫じゃないか?まさか、恋愛に積極的な自分になりたいと思っていたとは、夢にも思わなかったが…」
メイリーが神子祭の一日目の終わりに、演劇部の先輩たちと共に
つまり、あの洞窟の中で囚われていたメイリーこそが本物のメイリーで、二日目の朝から狛達と一緒に行動していたのは、仮初の魂を入れられた偽メイリーだったのである。道理で、やけに猫田に対して積極的だったわけだ。
また偽物と言っても、違うのは魂だけで肉体は本物なのだから、誰も気付かなくても無理はない。しかし、もしも狛達が今回の件を解決しなかったら…そう思うと狛も神奈もゾッとする。本当に、無事に解決出来てなによりだ。
ちなみにメイリー本人は、今回の事は特に何も覚えていないらしいので、わざわざ伝える必要はないと皆で話し合い、黙っておくことに決めた。
当分は猫田に強くアタック出来ないだろうが、何かあれば自分達が手を貸してあげよう、狛はそう心に決めている。
こうして、神子祭の三日目は平穏無事に過ぎていくのであった。