狛達が、再度、狛の母と対峙する少し前…その外では大寅と猫田達が疑似神域内で大立ち回りを演じていた。
「君らやるなぁ…四対一とはいえ、わしとおとら狐本気出して倒しきれへんなんて初めてや。犬神ちゃんとレディちゃんの時とは違うて、一切手加減してへんのやけどな。これじゃ主様に申し訳立たへんね。傷つくわー」
大寅は、
「はぁ、はぁ…くっ…!コイツ、思ったよりずっと強ぇな」
肩で息をしながら、猫田は大寅を睨みつけている。戦いが始まった時、まず最初に海御前のカイリが潰された。カイリの持つ薙刀や弓を見て、彼女が大寅の苦手とする中~近距離戦を主体とする妖怪だと察したのだろう。榊や樫などの枝を纏めて作った玉串を地面に刺して呪文を唱えると、玉串から
カイリが咄嗟にその
また、残ったジョロウグモのトワと沼御前のショウコは、大寅の使役するおとら狐と極めて相性が悪かった。イツも苦戦したおとら狐の火炎は、トワやショウコの最も苦手とするものである。
ジョロウグモはその名の通り蜘蛛なので言わずもがなだが、沼御前のショウコは蛇…つまり、蛇妖である。蛇という生き物は元々、脱皮によって身体を再生させ成長を続けることから、不死性の象徴であり、古くはナーガと呼ばれる神族の一端に祀られるほどの強力な力を持っている存在だ。
もちろん、全ての蛇妖がナーガの一族というわけではないが、蛇はそれだけの魔力を持った生物なのである。
だが、そんな蛇妖にも弱点がある。かつてのナーガ達の王、ナーガラージャ達ですら、サルパサトラの祭火によって成す術もなく滅びに至ったように、蛇妖の弱点は炎なのだ。
強力な火炎を吐き出し、素早く駆けてはヒットアンドアウェイ戦法で戦うおとら狐は、トワとショウコにはまさに天敵と言ってもいい相手であった。
一方、猫田は人型のままで全力を出してはいなかった。それは大寅を殺す事が目的ではなかったからである。そもそも、猫田達の戦う相手は大寅ではなく、狛達を異界に引きずり込んだ妖怪の方だ。ここで全力を出して大寅を倒した所で、狛達が助かるわけではない。
むしろ、大寅を死なせるほどの事態になれば、騒ぎが大きくなって余計に狛達を助けるのが厄介になるだろう。それは全く望んでいない結果だ。
なので、多少痛い目に遭わせて無力化出来ればいいと踏んでいたのだが、予想以上に大寅が実力者であった事で苦戦を強いられている。もし、最初から猫田が大寅を殺すつもりで戦っていたならば、ここまで苦戦はしなかっただろう。初手の対応を誤ったと、猫田は後悔しっぱなしであった。
「こうなりゃ、コイツを殺すつもりで戦うしかねーか…!」
狛がそう易々と命を落とすとは思っていないが、既に彼女らが異界に消えてから一時間以上が経過している。狛一人なら何が相手でもあまり心配は要らないのだが、問題はその友人達も一緒に連れ込まれてしまったことだ。
一応、玖歌はトイレの花子さんという妖怪であるし、神奈と呼ばれていた娘が半分鬼である事は猫田も知っているが、メイリーはただの人間である。もしも相手の妖怪がぬらりひょんのように狡猾であったなら、人質くらいは平気で取るだろう。あの甘い狛の事だから、友人を人質にされれば、あっけなくやられてしまっても何ら不思議ではない。猫田は、なによりもそれを一番危惧しているのだ。
実際、猫田の心配は一部当たっている。人質よりも厄介な事に、敵そのものが狛の母の姿をしているのだから、狛にとってはこれほど厄介な相手はいないだろう。
猫田が覚悟を決めて、本来の大猫の姿に戻ろうとしたその時、疑似神域全体に、空から大きな声が響き渡った。
――愚か者ッ!いい加減にせい!
耳をつんざくほどの、轟音と言ってもいいほどの音量で何者かの声が聞こえる。
「う、うるせぇっ!?なんだぁ?!」
猫田は猫なので、耳が頭についている分、空から降ってきた大音量はかなり効いた。頭の中でわんわんと音が反響して眩暈がしてくるようだ。トワやショウコも耳を塞ぎ、その場に蹲っている。だが、その声に一番反応していたのは、大寅の方であった。一瞬で滝のように汗を掻き、これ以上ない程に、地に頭を擦りつけている。
「あ、ああああ主様!?一体何?なんでわしが怒られてるんでっしゃろか…?」
――狐太郎、お主まだ解らぬのか?その者達は悪ではない。人間を救う為に命を懸けようという者達だ。それを貴様は…!戦っている相手に害意や邪気がないことくらい見破れぬのか?!それでも誇り高き我が神使か、この未熟者が!!
「あばばばば!も、申し訳なく…っ!ぎぇえええっ!?」
大寅が謝罪にならない謝罪をしかけた瞬間、雷鳴が轟き、大寅に命中した。そうは言っても命に別状はなさそうだが、かなりきつそうな仕置きである。目の前に落ちた雷の威力に、猫田は息を飲んで、ほんのちょっぴりだけ大寅に同情している。
――不肖の神使が、すまぬ事をしたな。改めて謝罪しよう、すまなかった。
「…な!あ、主様謝る事なんてあらしまへん!しくじったのはわしどす。主様がたかが妖怪如きに頭を下げるなぞ、あったらあかんこっとす!」
――ええい、狐太郎、お主は黙っておれ!その主に頭を下げさせるような事をしたのはお主じゃ!
「ヒィッ!?す、すんまへんっ!!」
あちこち黒焦げになり、ボロボロの服を振り乱して大寅は土下座したまま動かなくなった。…正確に言えば、かすかに全身が震えている。猫田はその姿が哀れに思えて見ていられないと、溜息を吐いてみせた。
「別に構やしねーよ…事情を知らない人間、特に祓い屋からすりゃ、俺達が怪しいのなんて当たり前だ。…しかし、それにしたってこの対応は破格すぎないか?こう言っちゃなんだが、アンタ、名のある神だろう?そんな高位の存在が、俺らみたいな妖怪に声を聞かせる、いや頭を下げるなんて、聞いた事ねーぜ」
一口に神と言っても、その力によって、影響力や権力は様々だ。特に人々の信仰を多く集める神格の高い神であればあるほど、その存在は次元が違うものである。もしも、今話している相手が猫田の想像通りの相手ならば、現状、日本の神々の中ではトップクラスに位置する存在である。
おいそれと声を聞かせる事すら、人界に多大な影響を及ぼしかねない、とてつもない力を持っているはずだ。
しかし、大寅の主はそれを全て理解していると言いたげに力なく笑い、自嘲してみせた。
――ふふ、神と言っても色々縛りがあるのでな。お前達が思っているほど、その力に自由はないのだよ。それに、そこの沼御前は我には及ばぬが神格を得ている。口を利くくらいは問題あるまいよ。なにより、猫又よ、我は個人的にお前に礼が言いたかったのだ。…あの、150年前の
「…アンタに礼を言われるような事じゃない。あれは別に神の為に戦ったんじゃねーんだ。あれは俺や大事な仲間達が、それぞれ護りたいものの為に勝手に命を懸けて戦った、それだけの事だ。逆に、あれをアンタら神に捧げる聖戦…神饌のように言われるのは我慢ならねーな」
「あ、主様に何言う口の利き方を…!あっ、すんまへっ、アァッ!!」
猫田の口振りに我慢ならなかったのか、頭を上げて抗議をしようとした大寅に、さきほどよりも弱い雷が落とされた。いっそ本当に哀れである。
――そうは言っても、お主らと人間達のおかげで、間違いなくこの国は救われたのだ。その後の歴史はどうあれ、もしお主達が尽力していなければ、この国は…いや、この世は終わっていたかもしれぬ。いくら礼を言っても言い足りぬほどよ、それほど、この国の神々は感謝しておるのだよ。
「なら、どうしてアンタら神々はあの戦いに加勢しなかったんだ?神の力があれば、死なずに済んだ仲間もいたはずなのに…!」
――先程も言うたであろう。我ら神の力に自由はないのだと…現世の事に自在に干渉できる神は少ないのだ、残念ながらな。故に、今回も手を貸してやれることは限られておる。
神の声がそう囁くと猫田達の身体が軽くなり、これまでの傷も癒えて力が漲ってきた。これが神の力、真なる御利益というものか。
――そして、お主らが助けようとしている犬神の娘…あれも類い稀な存在よな。残念ながら、我が自ら救う事は適わぬが…狐太郎よ。お主が力を貸してやるがよい。よいな?
「は、はははは、はいっ!全身全霊で務めさして頂く所存どす!」
――よろしい。では急ぐがよい、娘らに危機が迫っておる。それと…猫又よ、またいずれ、近い内に相まみえようぞ、ふふふ。
「なに?おいそりゃどういう…」
猫田が問い質す前に、疑似神域は消滅し、猫田達は体育館の中に戻っていた。最後に言い放たれた「近い内に再び会う」という言葉、それは神の予言なのか、それとも…
猫田の胸中に言い知れぬ不安と複雑な思いが去来する。夕暮れの太陽は、やがて宵闇の訪れを報せるかのように、空を茜色に染めあげていた。