昼を少し過ぎた頃、狛達は猫田率いるくりぃちゃあの面々その二と合流することになった。
今日来たのはジョロウグモのトワと、沼御前のショウコ、それに海御前のカイリという三名で全員女性の妖怪である。くりぃちゃあにも鬼部や土敷、猫田のような男性の妖怪がいるにはいるのだが、男性の妖怪は総じて一般的な人間の姿形を逸脱しているものが多く、
もちろん、本来のジョロウグモは半身が蜘蛛の形をしているし、沼御前もやはり半身が蛇のいわゆる
ちなみに残りの海御前は河童達の親分にあたる存在で、元の出自が平家の貴人ということもあってか、頭の皿さえ隠せば見た目はほぼ通常の女性と変わりがなく、温厚である。
「猫田さん、こっちこっちー!良かった、来てくれて。あ、皆紹介するね。くりぃちゃあで働いてるトワさんとショウコさんとカイリさん。皆凄い美人でしょ?お姉さんって感じで良くしてもらってるんだよね~」
「わぁ…!ホント、スゴイ美人ばっかり…あ、ワタシは
「私は
「
この場にいるのがほぼ妖怪かそれに準ずる存在だと、知らないのはメイリーだけだが、ある程度の事情を知っている神奈も自然体で対応している。かたや、玖歌だけはやたらに緊張しているようだった。その理由は言わずもがな、集まってきた面子のせいである。
(ちょっと、どういうことなの?!誰も彼も武闘派な妖怪ばっかりじゃない…!?くりぃちゃあには何度か行ったけど、こんなヤバイ奴らも居たなんて聞いてないわよ)
ジョロウグモや沼御前は、かつて多くの人を襲ったとされる逸話を持つ、強力な妖怪達だ。とはいえ、逸話ではそれぞれ討伐されたり退治されたりしているのだが、実際には生き残っているし、それぞれに事情があってのことだったらしい。ジョロウグモは昔恋仲になった人間が、妖気に中てられて死んでしまった事から凶悪な妖怪にされてしまっただけだし、沼御前に至っては神格化され、神社に祀られているほどである。その為か、現在では人に危害を加えようという気は全く無く、怒らせなければずいぶん温厚であるようだ。
そして海御前は元々温厚で、源氏が絡まなければ人を襲う事もない妖怪だ。ただし、生前は薙刀や弓の扱いに精通していたようで、戦闘能力はやはり高い。この三人は、くりぃちゃあきっての武闘派でもある。玖歌からすると、相当恐ろしい相手らしい。
ジョロウグモはともかく、沼御前と海御前はくりぃちゃあの他に生活の場が確立されているので、店に立つ回数は少ない。それ故に、玖歌は出会う事もなかったのだろう。
「あらあら美人だなんて…ふふ、若い子ばかりで楽しくなるわ、よろしくね。皆『タマゴった』とかやってる?」
「沼…いや、ショウコ姉さん、今時の子はもうそんなのやってないよ…ごめん、皆よろしくね」
「おお、神奈くんじゃないか、久し振りだね!相変わらず鍛えていていい身体だ、また一緒に汗を流したいな!よろしく頼むよ!」
三人共に狛だけでなく、メイリーや神奈、それに玖歌の事も受け入れてくれた様子だ。実はかなり愛が重い三人なので、猫田は彼女達が裏で狛をどれだけ可愛く思っているかをよく知っている。狛の友人に嫉妬しやしないかとヒヤヒヤしていたこともあり、何事も無さそうで一安心しているのだった。
「猫田さん、そう言えば土敷さんは?」
「ああ、アイツは疲れたから今日は来ないってよ、明後日の仕込みもあるしな。後で顔出してやってくれ、お前がいけば皆喜ぶからよ」
そう言った後、猫田は狛にそっと近づいて耳打ちをした。
「昨日の事があったから、特に戦える奴らを連れて行けって土敷が選んだんだ。何か妖怪絡みの問題があったら、俺達がなんとかしてやるからお前は目一杯遊んでろ。それが一番こいつらも喜ぶしな」
「そうだったんだ…ありがと!」
狛が笑顔をみせると、猫田に鋭い視線を向けていたカイリ達三人は、途端に笑顔になった。どうやら、男が狛に近寄る事を警戒しているようである。そしてそれは例え猫田であっても許せないらしい。猫田は溜め息交じりに狛から一歩離れ、両手を上げて降参するような仕草をとってみせた。
(こいつら集めて、面倒な事にならなきゃいいけどな…土敷の奴、俺に押し付けやがって、覚えてろよ…!)
その後、いつの間にか猫耳と猫カラコンを着けていたメイリーに猫田が動揺させられたりもしたが、それ以外には問題なく8人で学内を見て回る事になった。緊張して固くなっている猫田を除けば、皆とても楽しく過ごしていたはずだ。それを破ったのはもうすぐ午後三時頃になろうかという頃の事であった。
「ん?あの子は…」
最初に気付いたのは神奈である。廊下の隅で自信なさげに周囲をキョロキョロと見回しているのは、昨日、狛達が店を出していた教室の入口にいた少女の霊だった。何故か神奈と波長が合うのか、必ず最初に神奈が気付くようだ。神奈はどうしたらいいか解らずに、ただその姿をじっと見つめているだけだった。
「おや、神奈どうしたんだい?…あれは少女の霊だな。人の多い所に惹かれて出たのか…気になるのか?」
「カイリさん…ええ、でも、私は狛と違って、どうしていいのか解らないんです」
「ふむ。そうだな、私も人間の霊を消滅させるならまだしも、穏便に済ませる手段となるとな…そういう時は、素直に友人に頼るのもありだぞ?」
「!そうですね、ありがとうございます。…狛、ちょっと」
急に話しかけられた狛は、思わず楊枝に刺していたタコ焼きを落としそうになって、慌てて口でキャッチした。まだ冷ましていた所だったのでかなり熱い。学生が作ったにしては本格的だが、食べ歩くには向いていないようだ。
「あっつっ!ハフハフ、神奈ひゃんちょっとまっへ…」
「何してんのアンタ…ほら、冷たいお茶」
「く、玖歌ひゃん、あひがとおー!んぐんぐ…はぁ、熱かった。ごめんね、助かったよー。で、神奈ちゃんどうかしたの?」
「ああ、すまん。食べてるとこ悪かったな。実は、あの子なんだが…」
神奈の視線の先では、少女の霊が相変わらず立ち尽くしてキョロキョロしているのが見えた。どうも誰かを探しているような、そんな様子にも見える。二人の世界に入り込んでいるメイリーとやや魂が抜けた猫田を除いた面々はそれに気付いて、その霊を注意深く確認していた。
「ああ、昨日の…いつの間にか居なくなってて、見つからなかったんだよね。様子は昨日と一緒だけど、場所を変えてるのかな?」
「ふぅん、あんなのもいるのね。これだけたくさん人間がいれば当然か、子どもの霊なんて人の気配に寄ってくるもんだし」
「ああいうのを放っておくと、魂を餌にする妖怪も近寄ってきてしまうわね。近くにはいないようだけれど…
ショウコのどうする?という言葉には言外にプレッシャーが感じられた。彼女だけでなく、トワやカイリも、大事なのは狛とその友人達だけで見ず知らずの霊など構っていられないということだろう。彼女達はその気になれば、あの霊を成仏させるのではなく、いつでも消滅させられるのだ。しかも、決して目立たず、誰にも気付かれずに…神奈と玖歌は一瞬気圧されてたじろいだが、狛はニコっと笑って三人を制した。
「大丈夫、話せば解ってくれると思う。…ちょっと行ってくるね。神奈ちゃん、これお願い」
「あ、ああ…」
神奈はタコ焼きを自分に渡して軽やかに少女霊の元へ歩いていく狛の背中が、いつも以上に頼もしく思えた。狛や自分に向けたものではないとはいえ、この三人の圧は相当なものだった。自分では到底逆らう事など出来ないだろう、隣に立っている玖歌も彼女らと同じ妖怪であるはずだが、神奈と同様に気圧されているのが見て解る。それでも、狛は全く動じていないのだ。
その頼もしさは、神奈の心にいつも以上の狛への想いを強くもたらしているようだった。
「ねぇ、何してるの?誰か、探してる?」
廊下の隅に立つ少女霊の横にしゃがんで、目線を合わせた狛が話しかける。ぱっと見は一人で喋っているようだが、ちょうど壁を背にしているので、人混みからは少し距離があって気にしている人もいないようだ。声をかけられた少女霊は驚いて目を丸くした後、おずおずと応え始めた。
「わたしのこと、みえるの?」
「うん。名前とかは解らないから、良かったら教えてくれる?」
少女の霊はそれには答えず、下を向いて呟いた。雑踏の中だが、何故かはっきりとその声は聞こえるのが不思議である。
「たすけてほしいの…たいいくかん」
「体育館…?もしかして、一号体育館のこと?そこに何かあるの?」
「とじこめられてるの、たくさん。ねがいとひきかえに…おねがい、たすけてあげて」
「あなた…」
狛が返事をしようとした次の瞬間、少女の霊は消えていた。昨日見つからなかったのも、こうやって姿を消したのだろう。狛は胸に例えようもない寂寥感を覚えつつ、少女霊の立っていた場所を見つめていた。