「…ってわけで、消えちゃったんだけど、どう思う?」
狛から伝えられた話は、神奈には正直に言えば信じ難いものではあった。しかし、学園に伝わる七不思議と符合するというのは単なる偶然とは思えず、捨て置くのも憚られる内容ではある。
狛は閉じ込められている人が本当にいるのなら、助けてあげたいと思う。とはいえ、土敷がわざわざ安全を気遣ってトワやカイリ達を送ってくれた手前、危険な事に首を突っ込むのも良くない気がした。その為の相談である。
「確かめる必要は、あるかもしれないな…」
神奈自身、あの少女霊を二度も見つけて、その対応を狛に投げて一任してしまった事が気になっている。もし自分に出来る事があれば何かしたいと考えているようだ。かたや玖歌は、自分が追っている神隠しの妖怪の手掛かりになる可能性が出てきた以上、みすみす放っておくつもりはない。
もちろん、今回の件が七不思議に沿ったものであるなら、神子祭の期間中にのみ起こる怪異ということで、直接の手掛かりにはならないだろう。それでも、可能性はゼロではない。同じ妖怪ではなくとも同種、或いは同類ということも考えられるのだ。
とはいえ、トワ達妖怪三人娘は、少々複雑な気持である。彼女らの目的は、狛の安全を護る事と、その為に万難を排する事だ。狛の優しさは気に入っているし、それは好むところでもあるのだが、やはり危ない事には関わって欲しくないのである。それは昨晩土敷から聞いた、ぬらりひょんのような厄介者がこの学園に引き寄せられているという話を聞いたことも大きく影響しているのだろう。
七不思議の真偽はともかく、実際に一号体育館という場所から感じられる力に危険なものが混じっているのも確かなのだ。
「私としては、出来れば狛に危ない事をして欲しくないのだけど…ほら、ジャンプ弾とか、危ない遊びはしない方がいいでしょう?」
「…ショウコ姉さん、それは古すぎるよ。絶対伝わらないって。でも、あたしも同感かな。ちょっと面倒なヤツっぽいニオイがするし」
沼御前ことショウコは、どうやら玩具や遊びの感覚がかなり古いものらしい。ジャンプ弾というのは、昭和に流行った玩具のことだ。ちなみに以前話していた『タマゴった』も30年近く前に一世を風靡した玩具である。タマゴを育てて色々な形に進化させていくゲームで、タマゴそのものが進化していく為、何かが生まれたりするわけではない。
ショウコに同意したジョロウグモのトワは一号体育館の方を見て、静かに睨みを利かせている。トワは彼女達三人の中ではもっとも若い妖怪だが、蜘蛛という生き物は非常に危険を感知することに長けた生き物だ。それ故なのか、一号体育館に潜む何かが危険であると感じ取っているらしい。
「でも、トワさんが
狛の願いは純粋で、ショウコもトワも、そう言われては頭から否定しづらい。これが土敷ならダメなものはダメと言いそうだが、彼女達はそこまで狛に厳しくできないほど、狛に甘かった。そして、それまで黙って聞いていたカイリが静かに口を開く。
「まぁ、皆落ち着け。私にもかわいい河童達がいるからな、仲間を想う狛の言い分も解る、例え私達に反対されて止められたとて納得はできないだろう。そこでだ、ここは皆で確かめに行くというのはどうだろう?私達がついていれば、どんな相手だろうと易々と後れを取ることはないと思うんだが。ショウコ、トワどうだ?」
カイリの提案は、全員にとっていい落としどころであった。反対していたショウコやトワも、このまま意見が分かれて、狛が一人で先走ってしまうよりはいいと思ったらしい。そうと決まれば早い方がいいと、猫田とメイリーを捕まえて全員で一号体育館へ向かう事になった。
「フフ、猫田さんって温かいですよね。うちのキャシィみたい…あ、キャシィってワタシが飼ってる猫なんですよ。写真見ます?」
「あ、ああ…あのよ、メイリー、だったか?」
「ハイ!」
「う…も、もうちょっと離れてくれると助かるんだが、あ、歩き難くて…」
「ええ…!?そんなぁ…」
「あ、いや、いい。別に、いいんだ。悪いな…」
「フフフ、赤くなっちゃってカワイイですね」
一号体育館に向かう間も、二人の距離感は変わらないままだ。メイリーがここまで恋愛にアグレッシブだったとは、狛も神奈も初めて知った。昨日はすっかり照れていたのに、どういう心境の変化だろうか。まるで、別人のようである。
「ねぇ、神奈ちゃん。メイリーちゃんって、あんなに積極的だったっけ?」
「いや…あんなメイリーは私も初めて見るな。私自身恋愛には疎い方だけど、メイリーはもっと男性に一定の距離を保っている感じがしていたが…」
「若いっていいわぁ、青春よねぇ。101回目のラブストーリーとか好きだったし、憧れるわねぇ」
「姉さん、それ何か混じってない?」
「このメンバーって…」
玖歌も三人娘に初めて会った時の緊張がだいぶ解けてきているようだ。それに応じて、緊張感のない雰囲気に若干頭を痛めている。玖歌は元々ツッコミタイプなので、トワと相性が良さそうだがさすがにまだそこまで仲良くなれるものでもないらしい。カイリはそんな彼女達を眺めながら、最後尾を歩いている。
敵襲を警戒してのことだろう、或いは、生前の彼女の夫である平教経が一ノ谷の逆落としで敗れた事から、彼女は背後からの奇襲を最も警戒するらしい。
そんな一行が一号体育館に到着すると、そこは異常な程の静寂に包まれていた。元々体育館というのは人の気配がないと寂しい感じがするものだが、今日のここは明らかに空気が違う。わずかだが、冷たい妖気を含んだ澱みが館内に充満していた。
「これ…やっぱり」
体育館の扉を開けた瞬間、狛の顔が歪む。人混みを抜けてここまで来れば、はっきりと解った、ここには確実に何かがいる。しかも、強い妖力を持った強力な妖怪だ。それを感じ取れる、メイリーを除く誰もが緊張し、トワ達三人は既に臨戦態勢に入っていた。
8人はゆっくりと体育館内に足を踏み入れると、まっしぐらに体育倉庫へ向かった。猫田も首の後ろがチリチリと痺れるのを感じて、先程までの様子とは打って変わった真剣な眼差しを見せていた。
「この中、だよね?」
「そうだよ、七不思議では神子祭のキカン中にその体育倉庫の中に入ると、願いを叶えてくれる何かがいるんだって、
メイリーは交友関係が広いので、上級生の知り合いがいてもおかしくはない。だが、その先輩という言葉がどうも気になった神奈は、体育倉庫の扉を開ける前にそれを聞いてみた。
「なぁ、メイリー。その先輩というのは誰なんだ?私達の知ってる人か?」
「先輩、は…ううん。知らない、いや、知ってるはず…」
「メイリーちゃん?どうしたの?」
扉を開けようとしていた狛が手を止め、様子のおかしくなったメイリーに近づく。先程まではあんなに楽しそうに猫田にくっついていたというのに、いつの間にかメイリーは猫田から少し離れて俯き、頭を抱えていた。
「とりあえず、開けてみるとしようか」
既に午後三時をとっくに過ぎて、日が傾き始めている。体育館の中は特に暗くなるのが速そうだ。学園に話を通して正式に場所を借りているわけではないので、大っぴらに灯りを点けるわけにもいかない。カイリは前に出て、狛の代わりにシャトルドアに手をかけた。
ガラガラと、鉄製の重いドアが左右に開く音がする。その時、玖歌は少し離れた所に落ちている上履きの存在に気が付いた。片方だけなので、忘れ物ということはないだろう。乱暴に脱ぎ散らかしたような
「…ああ、思い出した。
扉が開き切ったのと、メイリーがそう呟いたのは全くの同時であった。その不可思議な発言に誰もが一瞬意味を考え、気を取られた瞬間に、体育倉庫の中からたくさんの手が伸びてきて、狛達を掴みそのまま体育倉庫の中へ引きずり込んでいった。
「…ここ、は?」
狛が目を覚ますと、そこは薄暗い一本道の洞窟のような空間だった。どこから光が来ているのかは解らないが、辛うじて近くの壁や足元は見える程度の明るさだ。急いで辺りを見回すと玖歌と神奈がすぐ傍に倒れている。慌てて駆け寄り手をかざすと、呼吸はあった。まずは安心だが、このまま寝かせておくわけにはいかない。
「神奈ちゃん!玖歌ちゃん、目を覚まして!」
「う、うう…」
「あ、狛…?」
「良かった、無事みたいだね。ここ、どこなんだろう…」
二人共、頭を手で抑えながら、ゆっくりと起き上がり周囲の様子を窺っている。ここはどこなのか?他の皆は何処に行ってしまったのか?解らないことだらけだ。
「さっきはメイリーちゃんの様子もおかしかった。猫田さん達と一緒にいてくれればいいけど」
「そうだな、本当に。しかし、体育倉庫の中に引き込まれたはずが、何故こんな洞窟なのか解らないが…」
神奈も心配そうな声を上げているが、その中でも冷静だったのは玖歌である。意識がはっきりしたのか、すぐに立ち上がり、壁を伝って少し歩いてみせた。
「…ねぇ、ここ。私達が入ってきた扉じゃない?暗くて見えなかったけど、近寄ってみたら解ったよ」
玖歌の言葉に希望を見出し、二人はすぐさま玖歌の元に駆け寄る。そこにあったのは、確かにあのシャトルドアだ。だが、かなり錆びついてしまっていて、相当な年月が経過しているように見える。意味が全く解らないが、これが超常の存在によるものなのは間違いなさそうだ。
「くっ…!ダメだ、閉じ込められたか」
神奈が渾身の力を込めてドアを開こうとしたが、一ミリも動く気配はなかった。鍵がかかっているとしたら、軋んだりするはずだが、それすらもない。これは物理的な力では開きそうもない。
「どうなっているんだ、一体」
「…静かに、何か近づいてきてる」
玖歌がそう言うと、確かに扉とは逆方向の、先程まで自分達が倒れていた方向から足音がする。コツコツと堅い地面を踏みながら歩くその音は、ゆっくりと近づいてきて、やがてほんの一瞬だけ紫色に輝いた何かが見えた後、その姿がハッキリと浮かび上がった。
「嘘…お母、さん…?」
それは、在りし日の姿。狛がイツの記憶の中でみた病室で死に瀕したものではない、健康そのもので若さに満ち溢れた狛の母…