「おはよー!あっ!コマチだー!昨日どうしたのー?」
メイリーが狛に挨拶もそこそこに抱き着いている。まさに開口一番という言葉がピッタリな光景に、他のクラスメイトはメイリーが狛の飼い犬のように見えただろう。正直な所、狛自身も、最近のメイリーはアスラに似てきたと感じている。
メイリ―は猫田に惚れているはずなのに、何故なのかが狛にはよく解らなかった。
「ごめんね、ちょっと
ミカとは血縁でもなんでもないが、実際の関係を説明するのは難しい。狛は一番当たり障りのない言い訳として、少しだけ嘘を吐いた。とはいえ、それは一定の信憑性がある噓だったようだ。何せ狛は、昨日までの四十九日の間、本当に身内が亡くなったような憔悴の仕方をしていたのだから。
「そうだったんだ…タイヘンだったね。でも、昨日は学校もタイヘンだったんだよー!担任の
「え?若桜先生が?…そうだったんだ。怪我は大丈夫なの?皆でお見舞いとか行くのかな?」
「今のトコ、そーいう話は出てないみたい、怪我もそこまで酷くはなくて、年明けくらいには復帰できるんだって。でね、代わりの先生が来てるんだよ。なんか、ちょっと不思議な雰囲気のヒトでね。ちょっとコマチに似てるかも」
「私に?」
不思議な雰囲気が狛に似ているというのは、一体どういうことだろう?メイリーは神奈や玖歌と違って、狛の裏稼業や霊感のことなどは何も知らないはずだ。ただ、メイリーは狛ほどではないにしろ、勘が鋭いので、もしかすると何か気にかかるものがあるのかもしれない。
狛が少し首を傾げながら席に着く頃、神奈も朝練を終えてクラスに移動してきた。
「狛!おはよう、昨日はどうしたんだ?心配したんだぞ」
「うん、心配かけてごめんね。ちょっと親戚の法事があったんだ」
メイリ―の時と同じやり取りだが、ある程度の事情を知っている神奈にまで嘘を吐く必要はあまりない。ただメイリーの手前、本当の事を言い出しづらい事もあって、結局狛は嘘を吐き通す事にした。そもそも狛は嘘を吐くのが苦手なので、人によって言う事を変えているとボロが出そうだから、というのもあるようだ。
そんな狛の事を、じっと見つめて熱い視線を送っているのはレディだった。当然、狛はその視線に気付いているが、あれ以来、特にちょっかいを掛けてくることもないので放置している。藪をつついて蛇に出られては敵わない。それでなくても今は落ち込んでいるのだから、余計な苦労を背負いたくないというのが狛の本音であった。
「ね、新しい先生ってどんな人?」
「ああ、メイリーから聞いたのか。うーん、そうだな…ちょっと気安い感じはするが、悪い人ではないと思うよ。ただ、どこか狛に似ている雰囲気があるかな」
試しに神奈にも聞いてみれば、またこれである。気安いという印象は初めて聞いたが、二人して雰囲気が狛に似ているというのだから、よほど似ているのだろう。こうなると、メイリーの感想も単なる勘ではなく、何かしら事実に基づくものがあると思わざるを得ない。
(二人共同じ感想ってことは、よっぽど私に似てるのかな?…もしかして、うちの親戚?でも、学校の先生やってる人なんて聞いた事ないけど)
犬神家の表稼業はペットショップやドッグカフェ、はたまたペット用品の開発を行う事業が主体だが、他にも警察犬の訓練士や盲導犬の育成など、動物に関わるものばかりである。一応、病院の経営も行ってはいるが、それは裏稼業の為のもので例外に近い。ましてや学校の教員などは狛の知る限りでは記憶になかった。
では、赤の他人がそこまで狛に似ているのか?という話になるが、考えてみれば二人は雰囲気が似ていると言っているだけだ。時にはそういうこともあるだろうと、無理矢理納得しておくことにした。
その後、しばらく二人と談笑をしてHRの時間が近づいてくると、狛は奇妙に襲われた。
(なんだろ?何か落ち着かない感じがする…)
胸がざわつくという言い方をするとやや大げさだが、漠然とした不安感のような、不快な感覚が狛の中に芽生え始めている。それは時が経つ毎に強くなっていって、どうやらイツの心が狛にフィードバックしているらしい事がおぼろげに解ってきた。
何か、イツにとって嫌なものが近づいてきている。それが原因だとはっきりわかったのは、廊下からその人物の足音が聞こえ始めた頃だった。
カツカツカツという乾いた足音が聞こえた時、普段は狛の影に潜んでいるイツが、突然
(え、イツどうしたの?)
狛は生まれてこの方、ずっとイツと一緒に暮してきたが、こんな事は初めてだった。怒っているような怯えているような、どちらともつかない奇妙な感覚である。イツにとって、近づいてくるそれはとても嫌なものらしい。
狛にもその緊張がうつり、ドキドキと心臓が高鳴り出すと、やがて足音は止まった。ガラっと教室の扉を開けて入ってきたのは、眼鏡をかけた若い男であった。
「おはようさん。はいはい~、今日も朝から楽しい楽しいHRの時間どすえ。皆席に着いとくれやっしゃ~」
「…んん?」
どこかで聞いたような聞かないような言葉遣いだった。これは、京都の方言だろうか?その男の背はあまり高くなく、眼鏡をかけ、髪型は少しぼさぼさ頭で、白衣を無理矢理明るい茶色に染めたような薄手の上着を羽織っている。
上着の下は普通のYシャツとスラックスだが、履いているのは雪駄だ。なんだかよく解らない出で立ちだが、優しそうな顔立ちは、不思議と嫌悪感を抱かせない。しかし、イツはその男を間違いなく警戒している。一方の狛も、違和感は拭えずにいた。
男は教卓の前に立つと、ぐるっと教室を見回し、ふと狛に目を留めた。
「今日も皆来てるみたいやな、感心感心。お?君は昨日休んどった子ぉやな。親戚の法事やったって聞いてんで、ご愁傷様」
「え?あ、はい。あ、ありがとうございます…?」
突然声を掛けられて、狛は思わずよく解らない返事をしてしまった。だが、男は特に気にしていない様子だ。
「ほな、初めましての子ぉもおるさかい、もういっぺん先生も自己紹介すんで。わしの名前は
大寅は、カッカッと小気味良い音を立てて、素早く黒板に名前を書いてみせた。発音に癖はあるが、字は綺麗で読みやすい。ぼさぼさ頭と眼鏡で解りにくいが、よくよくみれば年齢は30代の前半と言った所だろう。生徒達に向けてニコっと笑った顔は、ずいぶんと人懐っこそうな印象を受けるものであった。
(確かに、悪い人じゃなさそうだけど、何だろう?この感覚…イツもずっと警戒してるし。っていうか、この人のどこが私に似てるの?)
正直に言って、見た目は狛とはまるで違う、正反対の人間である。狛は、神奈とメイリーがどうして彼が自分に似ていると思ったのか全く分からないままだ。ただ大寅と目が合うと、首筋にチリチリと焼けたような感覚がする。その不快感は、いつまで経っても消える事は無かった。
かたや、狛とは違う視点で、大寅を見つめていたのはレディである。彼女の場合は狛とは違って、大寅に対し激しい嫌悪感を抱いているようだ。
(なんなの?あの教師…私にだけすごく敵意を向けてくるじゃない。feel ill…嫌な奴ね)
他の生徒達は、大寅の存在を好意的に受け入れ、歓迎している。クラスの中でただ狛とレディだけが、彼を警戒し、または嫌っているのだ。
それが何故なのか解ったのは、それから数日後の事であった。