大寅が代理の担任として着任してから一週間ほどが経った。相変わらず狛は彼に警戒心を持っていたが、特別何かされたわけではないし、接し方も普通である。イツが異常に彼を嫌う事を除けば、そこまで身構える必要はないのかも?と考えているようだ。
一方で、レディは日に日に、大寅への不信感と苛立ちを募らせていた。この一週間、彼は明らかにレディに対してだけ、攻撃的な視線や態度を投げ掛けてくる。廊下ですれ違う瞬間や、出欠確認の際などが特にそうだ。
殺し屋として育ち、人の悪意に人一倍敏感なレディだからこそ感じ取れるような、ほんの些細なものではあるが、それは彼女にフラストレーションを溜めさせるに十分過ぎるものであった。
(ああ、イライラする…!こういう時に限って、ボスから次の仕事は回ってこないし!…そうだ!狛、狛を見て癒されよう、あの子をどうやって殺したら楽しいかな、ふふ…)
目下、レディのストレス発散は、お気に入りである狛をどうやって殺すか、その一点に尽きていた。
レディはその生い立ちのせいか、生きた人間の友達というものを持ったことがない。上辺だけの付き合いならば、処世術として身に着けているが、真の意味で友人というのは今まで一人もいないのだ。
気に入った人間は殺し、自分だけの人形にする。
それが彼女の愛し方であり、友情の築き方である。ネクロマンサーとして死体を操る術に長けている彼女は、そうやって生きてきた。死体は自分から動く事も、考える事もしない。つまり、相手を死体にしてしまえば、その関係は永遠のものとなるわけだ。
『死がふたりを分かつまで』
その言葉は、レディにとっては全く当てはまらない。むしろ、死こそが自分と相手を永遠に繋ぐ架け橋だと、レディはそう考えている。故に今はボスから止められているし、実力的にも簡単に殺せる相手ではない狛は、近くて遠い憧れの存在として、レディの心の中心に鎮座している状態なのである。
(またレディちゃんから変な目で見られてる気がする…)
そんなレディの視線には、さすがの狛も気付いてはいるが、視線を感じるだけなので何とも言えない。もう少しまともな形で仲良くなれれば、と思っているのだが、何分以前向けられた殺意と現在進行形で感じる視線の
結局、奇妙な距離感の関係が、狛とレディの間に出来上がっているのだった。
「……あかんなぁ、あら」
ボリボリと頭を掻きながら呟いた大寅の声は、誰にも聞こえなかったようだ。
その日の放課後、レディは大寅に呼び出されて教室に居残っていた。もうすぐ学園祭が近いこともあって、校内にはまだ部活動をしていない生徒達も多く残っているが狛達のクラスには、もう誰も残っていない。
それもそのはず、狛達のクラスが学園祭で披露するのは、別の教室を使っての仮装喫茶なのだ。
本来、学園祭での出し物は自分達の教室で行うものなのだが、火器を使える家庭科室は、一年生の教室からはかなり遠く、調理と配膳のバランスが難しい。その為、各クラスで飲食物を提供する必要がある場合は、調理設備の揃った別棟の教室を使う事が許された。特に一年生はA組が仮装喫茶、B組はバンド喫茶という喫茶案が被った為、クラス間で対決の様相を呈しており、どちらのクラスもかなり気合が入っている状態だ。
ちなみに、仮装喫茶の案を出したのはメイリーである。狛達と行ったくりぃちゃあがお気に入りの彼女は、自分達もコンセプトカフェを開くのはどうか?と提案し、それぞれ仮装しての仮装喫茶に決まったようだ。
そのことはくりぃちゃあの面々にも伝えられていて、比較的人に近い形態の妖怪達は、当日応援を兼ねて遊びに行くと息巻いていた。本物の妖怪が集まることもさることながら、ハマさんやジョロウグモなどは相当な美人だ。クラスの男子達に変な影響が出なければいいなと、狛は密かに心配している。
そういうわけで、放課後ともなれば、教室には誰もいないのが最近である。そんな所にわざわざ呼び出すとは何を考えているのか、レディは少しむくれながら、窓の外を眺めて大寅を待っている。
「はぁ、It's late…なんなのかしら、あの教師。呼び出しておいて遅れるなんて、頭が悪いんじゃないの?」
「いやー、申し訳あらへん。遅なってもうたで。全く、会議の多い学校やな、ここは」
教室の扉を開けて入ってくるや否や、大寅は苦笑いをしつつ謝罪の言葉を口にしている。まるで、レディの言葉が聞こえていたかのようだ。
「it doesn't matter …で、何の用なんですか?先生。成績も問題行動もしてないはずですけど」
「ああ、そうやな。ほな、単刀直入に言おか。キミ、普通の人間とちがうよね?女の子にこないな事言うのも良うないんやけど、えらい臭いで。キミ、何人か殺してるやろ?そらもうぎょうさん、数えきれへんくらい」
「………」
突然やってきて、言い放った言葉としては荒唐無稽が過ぎるものだが、当てずっぽうで言っているわけではないのは、大寅の目を見れば一目瞭然だ。その瞳は、普段の優し気なものとは打って変わって、レディと同じ殺し屋のような、冷酷で鋭い視線に変わっている。
殺し屋として、それなりにキャリアを積んできたレディだが、こうもあっさりと看破されたのは生まれて初めての経験だった。それにはレディの暗殺者としてのプライドが大きく傷つけられ、クラスでは決して見せない裏の顔が表に出ている。
「おーおー、怖い顔や。別にな、そんなんもう止めろやらそんなんを言いたいわけとちがうんやわぁ。いや、教育者としてはそう言うべきなのかもしれへんけど、キミにはキミの事情があるやろうさかいね。ただ、わしがこの学校におるあいさと、クラスメイトを標的にするのんは止めてくれへんかな」
「…何ですって?」
「知ってんで、キミの狙いは犬神ちゃんやろ?キミがあの子ぉに向ける目つきはえげつない。あの子ぉの方も、キミの視線には気付いてるやろうけど…はっきり言うて、クラス内で殺人なんて事になったら一大事なんやわぁ。めんどかろ?そんなん」
その言葉で、レディはさらにその胸に秘めた怒りを露わにし始めた。狛を狙っているのは確かだが、それは自分が隠しながらも大事に育てている感情だ。云わばレディにとって、恋心をしたためたラブレターを明け透けに公開されたに等しい。彼女のその怒りは、瞬く間に死体の群れを呼び出し、大寅に牙を剥いた。
「Die, incompetent teacher.…!」
「おおっ!?」
十数体からなるその群れは、レディが内包し、操っている死体の総量からすればごく僅かなものだ。しかも、以前盗み出した2万の兵士は温存している。それでも、普通の人間ならば一人では対処のしようがない。それほどの人の波…のはずだった。
「なっ!?」
「あっぶな!…そやけど、やっぱしキミはそっち側の人間やったんやなぁ。いやはや、
レディには、何が起こったのか解らなかった。一団となって向かっていった死体達は、大寅に群がったかと思えば跡形もなくかき消されてしまった。狛のように強大な霊力で薙ぎ倒したのではなく、死体を完全に消し飛ばすなど、見た事もない力だ。
「悪いけど、キミの力はわしには利かへんで。相性悪すぎる。わしはこう見えて神使の端くれやさかいね。穢れ払いはお手の物なんやんな」
「what is it?」
「あー、日本語じゃキミには伝わらへんか。…まぁ、わしはキミの天敵うてことさ。さて、どないすん?まだ無駄な事を繰り返すかい?」
自信たっぷりの大寅の態度に、レディは一層腹を立てたが、かといって対抗手段がすぐに浮かぶわけでもない。いや、正確に言えばまだ手はあるが、それは今のボスに止められているものばかりだ。派手に暴れれば、それこそ後がマズい事になる。
じりじりと後退するレディの額に脂汗が光った時、がらりと教室の扉が開き、誰かが入ってきた。
「レディちゃん!それに、大寅先生も…一体何してるんですか?!」
現れたのは狛だった。皆で学園祭の準備をする最中、呼び出されたレディがいつまでも戻って来ない為、様子を見にやってきたのだ。それだけではない、教室に近づけばレディが死体を操る霊力と、もう一つ、謎の力の存在が感じられた。狛は慌てて教室に向かってきた、というわけである。
「犬神ちゃんか、いや、ちょい聞き分けの悪い子ぉにお説教しとった所やわぁ。まだもう少し話があるさかいキミは準備に戻ったらええのに」
「お説教って…私、
狛がいつになく大寅に食ってかかるのは、さきほどの得体の知れない力に、イツが過剰な反応を見せたからだ。これまで警戒していた相手が尻尾を出した事もあって、狛はこの機会を逃すべきではないと判断したようだった。
「おいおい、わしに怒るのんはお門違いやわぁ。わしはどっちかって言うと被害者の方や。かかってきたのはレディちゃんの方なんやさかい」
「レディちゃんは、意味もなく人を襲ったりしま……しませんっ!」
「いや、キミ今言い直したやん。絶対なんか思い当たる所あるやん?なんなん?わしの事好かん?」
実際は意味もなく襲われた経験がある狛だったが、レディの事はそう悪い人間ではないと狛自身は思っている。出来れば仲良くしたいクラスメイトの一人なのだ。だからこそ、やや強引ではあるが、引き下がるわけにはいかなかった。
「Shut up and die!」
「おわっ!?」
「レディちゃん!?止めて!」
二人のやり取りの横から、レディが大寅の隙を突いて再び死体を呼び出して飛び込ませた。今度こそ、と微笑むレディだったが、完全に隙を突いたにもかかわらず、やはり死体はかき消され、無効化されてしまう。
「…レディちゃん、今話してる途中やろう。キミお行儀悪いわぁ」
「い、今のって」
狛にも大寅が何をしたのかは見えなかった。ただ、目の前でそれを見た事から、その力の一端を垣間見る事は出来たようだ。だが、それよりも、大寅の表情から怒りが見て取れる。このままではレディが危険だ。
「くっ!」
狛は駆け出し、レディを庇うようにその間に立ち塞がった。狛が見たものが予想通りなら、レディに勝ち目はない。狛が何とかしなくては。
「何?犬神ちゃん邪魔するん?しゃあない、ちょい聞かん坊な生徒にはお仕置きが必要やな。ほな、二人纏めて、狐使い・大寅狐太郎の
そう言って大寅が何事か呟くと、目の前に巨大な狐の妖怪が現れた。異様な状況に陥る教室には、グラウンドで部活動をする生徒達の声が遠くから聞こえている。