「猫田さん、どう思う?」
「どうって、何がだよ」
「…何もない空から突然人が降ってくるなんて、おかしいと思わない?」
「…少なくとも、俺の知ってる限りは普通じゃねーな」
ざわざわとした喧騒が大きくなる。警察が来てから、集まる人々は加速度的に増えているようだ。物見高い人達は、異常な死体を見たいというよりも、非日常から離れたいという欲求を満たそうとしているように見える。
現状に不満がある人間も、特に不満の無い人間でも、変化を望むのは人の本質であり、業なのだ。
こうした謎の多い事件は噂を呼び、人の注目を浴び続けることで都市伝説となり、やがて怪異へと変わって行くことだろう。ただし、最近は噂の移り変わりも早い。あのホストが成仏せず怪異になるとしても、そこまで長い期間人の口には上れまい。そもそもそうなる前に、彼の魂は供養されて成仏していくだろう。
新たな怪異の種が生まれなかったことはいいが、目の前で人が死んでしまっている事の方がより大きな問題である。
警察はこういう場合、自殺として処理する事があるという。確か、エクストリーム自殺と呼ばれていたはずだ。狛はネットでオカルト記事を読むのも好きなので、なんとなく覚えている。
どう考えても自殺などあり得ないのに、他殺と判断するに足る証拠がないので自殺とする…という、ずいぶんとざっくりした処理の仕方を揶揄した呼び名だ。
あのホストもそんな処理で終わってしまうのだろうか?そうだとしたら、それはタクトも同じなのではないか?そう思った瞬間、狛の全身に稲妻のような衝撃が走る。
「あ…っ!」
「なんだ?どうした?」
「もしかして、ミカさんは…そうだよ、猫田さん、ミカさんはそれを狙ってるんだ。誰かがタクトさんを自殺に見せかけて殺したように、自分も
「そんな、まさか…いや、ちょっと待て。仮にそうだとして、ミカはどうやってそれをやってるって言うんだ?あいつはただの人間の女だろう?」
「それは…そう、だけど…」
「お前の言いたい事は解るし、俺は考えた事も無かったが、そういう可能性が無いとは言えねぇ…だが、ちょっと飛躍しすぎじゃねーか?ミカが妖怪ならともかく、あいつは人間なんだ。こんな大それたことが出来るとは思えねぇ」
猫田の言い分はもっともだ。狛は自分の感じた違和感も含め、ミカの出した論を
昼休み、狛達は今日も揃って学食での昼食を楽しんでいる。狛は食べる量が量なので、時間一杯ギリギリまで食べているのが常だが、他の三人はそうではない。メイリーと神奈、それに玖歌は既に食べ終えて、世間話に花を咲かせている最中であった。
「そう言えば、最近なんか変だよね」
メイリーがそう話しだすと、神奈と玖歌はまた始まったかという感じで耳を傾けている。メイリーの情報収集能力は尋常ではない。他クラス、いや他学年の恋愛事情から、教師達のプライベート、果ては近所の噂話までとにかくありとあらゆる情報を仕入れてくるのが凄い所だ。本人曰く、母親がタウン誌の記者兼編集長だから、街中の情報が流れてくるのだと豪語しているが、恐らく単純にメイリー自身も、噂話が好きなのだろうと三人は思っている。
「何が変なの?」
「いやね、なんか立て続けに自殺が続いてるらしいんだけど、それが全部妙なんだって。飛び降りられる建物がないのに高い所から落ちてたり、布団の中で溺れてたり、自分で自分の首を握り潰してた…なんてこともあったらしいよ」
青い顔で話すメイリーの口振りはまるで怪談を話しているかのようだ。確かに、酷い内容だが不思議な話ばかりではある。そう思った時、ふと狛の脳裏にミカの事が思い浮かんだ。
(そう言えばミカさんはどうしたんだろう…やっぱり猫田さんの言う通り無関係なのかな?でも、どうしても嫌な予感が離れないんだよね)
パンをリズミカルに口へ運びながら、狛は考える。嫌な予感というのは、狛のいつもの直感だ。それが大きく外れる事がないのは自分でも何となく解ってはいるが、かといって、絶対である自信は相変わらずない。
「謎の自殺か…誰かが殺害して、証拠を隠滅したんじゃないか?」
「いやいや、証拠の隠滅ってレベルじゃないでしょ?どう考えても不可能な事ばっかりだよ?!」
メイリーと神奈が議論していると、横で聞いていた玖歌が、ジュースをストローで吸い上げながらポツリと呟いた。
「まるで、誰かが
「猿の手…?そっか、そうだ」
猿の手とは、古くから伝えられている怪談の一つで、願いを叶えてくれるという魔法のアイテムのようなものだ。古今東西、様々な形でそのような道具の出てくる話はいくつかあるが、ほとんどの場合、そういったアイテムを使うと呪いのように手痛いしっぺ返しを食う事になる。
ただ、猿の手だけは、願いを叶えた代償が大きくない。もちろん、猿の手に大金を望んだら命を落とす羽目になり、保険金でその大金が賄われたということもあるのだが、願いをかけたものが理不尽に全滅するようなものではないのだ。
そして、狛は気付いた。ミカが普通の人間のままでも、猿の手のような物に頼れば犯行は可能なのではないか?もしも、ミカの復讐がまだ終わっていないのなら、不審な自殺はまだこれからも続くだろう。理由はどうあれ、それは止めなければならない。…誰よりも、ミカの為に。
一方その頃、中津洲市内にあるとあるビルの一角。看板には、ホストクラブ『エリュシオン』という銘が書かれている。まだ昼間だけあって店内に客はいないが、十人程のホストと思しき男達と、彼らを従えるような態度の日焼けして髭面の男が高級そうなソファーに座っている。
「さっき警察から連絡があった。今度はカズヤがくたばったってな。…一体どうなってる?これで4人目だ。立て続けに4人も自殺するなんてありえねぇ!」
髭面の男は忌々しそうにタバコを握り潰し、苛立ちを露わにした。その怒りを受け、周囲に立っているホスト達が身体を震わせて怯えている。グラスやテーブルに当たり散らさないのは店の営業に支障が出ないようにだろう。怒っていながらも冷静な男である。
「エンゼさん、今日の営業はどうしますか?他の二人はともかく、カズヤとトイが死んだのは痛いです。あの二人には既に太客の予約が数件入ってますし…」
髭面の男は、エンゼと呼ばれているらしい。店のオーナー兼ホストという所だろうか、彼が経営の実権を握っているようである。
「ゼイ、テメェこのバカ野郎!どうするもクソもあるか、休むわけにはいかねぇだろ!あの二人の客の他にも太客は大勢いるんだ。考えて喋れ、バカが!」
エンゼは相当苛ついているらしく、ゼイという男を激しく怒鳴りつけ、潰したタバコを投げつけた。ゼイは「すみません…」と小さくなって、投げつけられたタバコを拾い、後ろ手に隠している。亡くなってしまったカズヤとトイは、店の上位ホストだったようで、彼ら目当ての客は既に来店の予約を入れているらしい。
ホストクラブという場所は、ある種の競争の場だ。
客である女性達の中でも資金に余裕のある人間は、自分が推すホストを店のトップにする為に多くの金を使う。ホスト達は同じ店に在籍していても、彼らは仲間以前にライバルであり、しのぎを削る敵でもあるのだ。そんな客からすれば、カズヤとトイが死んだ事は、自分の推す担当が上に行くチャンスでもある。
故にカズヤとトイがいくら上位のホストであっても、彼らが死んだと言って店全体が喪に服していては、他の太客から大きな不満が出るだろう。だが、カズヤとトイの担当する客の金もバカには出来ない。他のホストを宛がうのは当然だが、迂闊な人間に任せては逆効果となり、店の今後にも影響しかねない。
店のトップ2と3が同じタイミングでいなくなったことは店にとって、計り知れない損失であった。
「くそ、ただでさえ4人も一遍に自殺者が出ちゃ店の品位が下がるってのに…!」
その時、より一層苛つくエンゼを嘲笑うように、彼のスマホに一通のメールが届いた。乱暴に操作してそれを開いてみると、そこには短い文章が一行だけ書かれていた。
――私は忘れない。
「くそっ!またコイツか!コイツがカズヤ達を殺りやがったのか!?」
エンゼはスマホをソファに投げつけ、グラスの酒を呷った。彼が苛立っているのは店の営業に差し障りが出るからというだけではない。部下の誰かが死ぬ度に送られてくる、この短いメールに対してもであった。
(だが、どの件も警察は自殺として処理してやがる。…まるで俺達がアイツを、タクトを殺った時と同じように…復讐のツモリか?!クソが!)
エンゼは思い出す、かつての部下で使えない男だったタクトに、多額の保険金を掛け自殺に見せかけて殺した時の事を。
(あの時手に入れた『願いを叶える手』は、まだ俺の手元にある…いざとなったらこれを使って、犯人をぶっ殺してやる…!)
エンゼが薄気味の悪い笑みを浮かべた時、店内に立ち入る一つの影があった。
その数分後、その場にいたものは一人残らず姿を消し、もぬけの殻となった店内は幽霊屋敷のように静まり返っていた。