「こ、殺された?」
「そうよ。タクトは殺されたわ、あの当時、彼を雇っていたホストクラブのオーナーとその仲間達にね。…私は、それに気付いたからこの街に戻ってきたの。あなた、本当は私とタクトの関係も聞いているでしょう?私が彼のお金を持ち逃げしたと、そう聞かされているんじゃない?」
「え、っと…」
ミカの鋭い視線が狛の胸を貫き、じっとりと脂汗が流れ落ちて来る。概ねミカの言う通りだ、猫田から聞いた話と違うのは、タクトが自殺したか殺されたかの一点のみ。しかし、それこそがとてつもない違いである。
まさかそんな特大級の爆弾発言を投げられるとは思いもよらなかった狛は、それ以上言葉が出せなくなった。猫田が嘘を吐いているとは思えない。しかし、ミカの言葉が予想以上に効いてしまっている。何故なら、ミカの提示した事実こそが、狛が気になっていた部分の核心を突くものだったからだ。
猫田の話を聞いて違和感を覚えたのは、タクトという人物の行動と、聞いている性格や考え方との剥離であった。
大怪我をしていた見ず知らずの猫田を病院に連れていき、そのまま自分で飼う事にするという行動力と責任感。苦労して育ててくれた母の為に、一旗揚げて楽をさせたいという思考、そして、ホストなど向いていなかったと言われるような優しい性格の持ち主が簡単に自殺などするだろうか?
いくら恋人に捨てられたとは言っても、予め聞いている人物像とは違い過ぎる行動だ。
もちろん、自殺するほど追い詰められていたのだから、突飛な行動に出てもおかしくないのかもしれない。だが、狛にはどうしてもタクトという男が、猫田や母親を見捨てて自害するような人間には思えないのだ。昨晩、猫田から事情を聴いた時には漠然としていた違和感が、はっきりした形になった気がする。
だが、猫田とミカ、どちらを信じるのかと言われれば、狛が信じるのはやはり猫田の方だ。
ただもし仮に、二人共嘘を言っていないのだとすれば、それはどういうことなのだろう。
言葉を詰まらせて悩む狛を、ミカは黙って見つめ、また追い打ちをかけるように口を開いた。
「確かに、私は一度タクトの元を去ったわ。でも、金を持って逃げたというのはでたらめよ。私がタクトから離れたのは、奴らに脅されたから…何も言わず、黙ってタクトと別れろと、そうしなければタクトを殺すと…そう言われたの。今考えればタクトと一緒に逃げるべきだったわ、でも、当時の私は若くて愚かで、恐怖心の方が勝ってしまった。悔やんでも悔やみきれないって、こういうことを言うのね」
「そんな…!?」
あまりにも酷い話に、狛は思わず立ち上がりそうになったが、踏み止まった。くりぃちゃあならともかく、ここは普通の喫茶店だ。あまり騒ぎを起こすのはよろしくないだろう。気になるのは、ミカがどうしてそれらの事実を知ることができたのかである。
猫田の話や、彼女自身の口振りから、以前この街を出たのは間違いない。それなのになぜ今、自分の命を脅かそうとした相手のいるこの街に戻ってきたのか。
「ふふ、私の話を信じるかはあなた次第よ。久々に戻ってきたけれど、また近い内に私はこの街を出て行くから、今度は
「ど、どうしてそれを私に?」
「
「え、あ、ま…待って!」
ミカは年長者らしくスマートに伝票を取ると、狛の制止には耳を貸さず淀みない軽やかな動きでレジに向かい、会計をして店を出て行った。
狛は後を追おうとしたが、何故か身体が動かせず追いかける事も出来ない。ようやく動けるようになって慌てて店を飛び出したが、既にもうミカの姿はどこにもなかった。
「ミカさん、あの人…」
狛の呟きは雑踏に紛れ、誰の耳にも届かない。
その後、狛はくりぃちゃあに行く気になれず、駅前のベンチに座ってミカの漏らした言葉について考えていた。
彼女の言葉が真実だとすれば、猫田はタクトが殺された事に気付いていないと言う事になる。猫田がその事実を知れば、狛以上にショックを受ける事になるだろうが、それを猫田に伝えるべきだろうか?
黙っているのも良くないと思うが、ミカの話が真実だと言う確証もない。そもそも猫田の目を欺いてタクトを殺すと言う芸当が、ただの人間に出来るのかも怪しいところだ。そう考えてみると、やはりミカが嘘を吐いているような気もする。
グルグルと廻り回る思考に振り回されて、狛はすっかり疲れてしまった。そもそも、あまり考え込む事は得意な方ではない。直感で行動する事の多い狛には、この手の思考は苦手以外の何者でもないのだ。
肩を落として考え込む狛の身体は、すっかり冷え切っていた。そんな狛の肩に、ふわりと暖かいものがかけられ、狛はハッとして顔を上げた。
「よっ。キミ大丈夫?ずっとここに座ってるよね?風邪引いちゃうよ」
「え、あ、すみません…」
気安い声をかけてきたのはホスト風の男だった。狛の事を家出娘か何かかと勘違いしたのか、優しそうな笑顔を見せている。ただ、その目の奥には単なる優しさだけではないものがあると、狛は感じていた。
「何か悩み事?俺で良かったら話聞こうか?」
男は狛の警戒心など気にしないように、当たり前のように隣に座った。かなり距離が近い為、鼻のいい狛には香水とアルコールの匂いがキツイ。それだけでも狛は男に嫌悪感を抱いたが、俯いているその表情は男には見えていないようで、男は笑顔で狛の横に陣取ったままだ。
「いえ、大丈夫です。放っておいてください」
「臭いので」とまでは言えず、狛は男を相手にしないよう、肩にかけられたジャケットを返そうとした。しかし、さすがはホストである、そう簡単には引き下がりはしなかった。
「気にしないでいいって、着てなよ、寒いでしょ?キミみたいに可愛い子が寂しそうにしてたら放っておけないしさ。キミ、高校生みたいだからうちの店には連れてけないけど…ウチくる?」
男はそう言って、狛の髪を指でさらった。狛の全身にゾワゾワと悪寒が走り、飛び上がりそうになる。殴り倒して離れようかと拳を握った瞬間、怒気を孕んだ声がその場に響いた。
「おい、そいつに何してやがる。離れろ…!」
「ああ?!」
「あ、猫田さんっ!」
どうやら、狛が色々と悩んでいる間に、猫田もくりぃちゃあでの仕事を終える時間になっていいたらしい。狛は天の助けと言わんばかりに破顔して、猫田に駆け寄ろうとする。そんな狛の耳にはかすかに、隣にいる男の呟きが届いていた。
「た、タクト…?いや、そんなはず…」
「!?」
今、確かに聞こえたのはタクトという名前だった。この短期間に何度も聞いた名前なのだ、聞き間違えではない。気になって狛が足を止めようとしたが、男はそのまま走って逃げていってしまった。
「狛、大丈夫か?」
「あ、うん。ちょっと気持ち悪いし臭かったけど、平気。…それより猫田さん。今の人、タクトさんの事知ってたみたい」
「なに…?」
猫田は男が走って行った方を見たが、もう男はどこかに行ってしまった後である。仮にまだ近くにいたとしても、猫田には追いかけて話す事など何もないのだが。
しかし、ここへ来て、狛は心が決まったようだ。いつまでもうじうじと考えているのは性に合わないし、気になる事もある。
「ねぇ、猫田さん。さっき偶然、あのミカさんって人に会ったんだけど」
「ん?そうなのか。それでなんかあったのか?」
「落ち着いて聞いてね。ミカさんが言うには、タクトさんは…自殺じゃなくて、殺されたんだって、ミカさんがお金を持ち逃げしたっていうのもでたらめなんだって、そう言ってたの」
「なんだと?」
「私は、猫田さんが嘘を吐いてるなんて思ってない。けど、猫田さんから聞いたタクトさんって人は、自殺をするような人には思えないんだ。もしかして、猫田さんの知らない事情とか、あるんじゃない?」
「そんなバカな…」
猫田が否定しかけたその時、突然、離れた所から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。二人はすぐにそれに反応し、声のする方に走って行くと人だかりができ始めていて、それをかき分けて見てみれば、駅前の大型交差点の中央に先程のホストの姿があった。全身が異様な形に折れ曲がり、頭が潰れてしまっている。一体、何があったのか。
「すいません、何があったんですか?」
「わ、わかんねーよ!あのホスト風の奴が突然、空から落ちてきたんだ!」
「落ちてきた…?交差点のど真ん中に?」
狛と猫田は辺りを見回すが、当然、そこに高い建物などない。一番近いビルからでも交差点の真ん中までには50メートル近い距離がある。そんなところまで、飛べるはずがないのだ。しばらくすると警察がやってきて、規制線を張り始める。
狛と猫田はこの異常な光景に、なにがしかの怪異の影を感じ取るのだった。