狛が猫田からタクトについて聞いたその翌日。学校帰りの狛は、くりぃちゃあに向かっていた。
「猫田さんが話してくれるきっかけって、土敷さんが言ってくれたからみたいだし、くりぃちゃあの皆にお礼しないとね。どうしたら喜んでくれるかなぁ」
正直な話、妖怪相手に何を土産にするべきかは非常に迷う所である。お菓子なども考えてはみたが、ハマさんのような超越した料理上手がいるとなると、格落ちにも程がある。とはいえ、くりぃちゃあで働く妖怪はかなり数が多いので、一人一人にでは予算的に厳しそうだ。
困ったものだと考えつつ歩く狛が駅前に差し掛かった頃、考え込んでいたせいか注意力が散漫になり、向かいから歩いてきた女性にぶつかってしまった。
「きゃっ」
「ああっ!ご、ごめんなさい!…って、あ、貴女は」
狛はミカさんと言いかけて、慌てて口を塞ぐ。そう、ぶつかった相手は、先日猫田に抱き着いてきた女性…昨日話に出てきたミカその人だったのだ。
「だ、大丈夫です。あら、あなたはこの間の…」
どうやらミカの方も、狛の事を覚えていたようだ。二人はお互いに顔を見合わせて言葉を詰まらせていた。
「コーヒーを、アイスで。あなたは?」
「あ、わ、私も同じものでお願いします」
「そう、じゃあ二つで。よろしく」
畏まりました。と言って、店員が去っていく。偶然出会った二人は、ミカの誘いで近くの喫茶店で席を同じくすることになった。どうやら、ここはミカの馴染みの店らしい。通された席に着くと、彼女はメニューを見もせずに店員を呼んで注文している。初めて入る店なので、狛にはどんなメニューがあるのかも解らない。仕方がないので同じものを頼んだが、変に思われなかっただろうか?
(な、なんでこんなことに…?いや、ついてきたのは私の方だけど)
狛は若干の後悔を滲ませながら向かいに座るミカを見てみた。改めて思うが、ミカはかなり美人だ。ややウェーブのかかった長い髪は、派手過ぎない程度に染められ、店内の灯りが反射して美しく輝いている。
ここに来るまで歩いていた後ろ姿もそうだが、こうして座っている姿勢も綺麗で、本当にその顔の造形も含め、女優かモデルのようだと思えた。
「ごめんなさいね、急に誘ってしまって。予定とかなかったかしら?」
「あ、はい、大丈夫です。友達のお店に顔を出そうか迷っていた所だったので」
「あら、そうだったのね。恥ずかしいけど、私があなたくらいの歳の頃は、毎日遊び歩いていたわ。…あまり変な遊びはしないようにね?ふふ」
「あ、あはは…」
大して親しくもない相手にそう言われても、どう返していいのやら戸惑うばかりだ。しかし、これだけの美貌でこの気安さなら、ミカはかなり男性にモテるだろう。タクトと付き合い、金を持ち逃げしたという猫田の話は、この様子からはにわかには信じ難い。わざわざそんな事をしなくても、金を貢がせるくらいは簡単にできそうである。
どうして彼女が自分を誘ったのか解らない狛は、余計な事を言わないように警戒しつつ話を合わせることにした。
「まず先に謝らせて頂くわ、先日はごめんなさい。人違いとはいえ、あなたの彼氏さんに抱き着いてしまって…そのことを謝りたかったの」
「え?あ、ああ!違います、あの人は私の彼氏なんかじゃありません。えっと、あの人…猫田さんは私の親戚で、兄みたいなもので。そういう関係じゃないんです」
唐突に謝られた挙句に、とんでもない誤解をされていた事を知り、狛は慌てて訂正する。考えてみれば、恋人同士と思われてもおかしくない動きではあるが、狛にとっての猫田は本当に、もう一人の兄か家族のようなものだ。メイリーの事もあるせいか、狛はかなり強く否定していた。
「そうだったのね。年上のお兄さんなんて、素敵に見えるものだと思うけど、そんなに強く否定しなくても大丈夫よ、誰にも言わないわ」
少し含んだ笑いのミカに、狛はどう言えば真意が伝わるのか解らず、困ってしまう。あたふたする狛が面白いのか、ミカはにこやかに笑みを浮かべた後、口を開く。
「…その、失礼かもしれないけれど、あの猫田さんという方はホストをしてらっしゃるの?」
「へ?あ、いや、あの人、今は喫茶店でアルバイトを…」
そこまで言ってから、年齢的にフリーターと言ったのはまずかったかと考える。猫田の見た目は、大体20代半ばと言った所だ。世間的にはアルバイトでもおかしくはないが、あの見た目でアルバイトと言うと、少しイメージが悪いかもしれない。
しかし、他に適当な言葉がないのも事実だ。猫田が妖怪ということを隠していると、こうもややこしい事になるのかと、メイリーとの今後を考え、狛は勝手に憂鬱な気分になった。
「そうなのね。じゃあ、昔ホストとかをやっていたのかしら」
「えっと…ど、どうしてそう思うんですか?」
狛が質問を返した所で、アイスコーヒーが運ばれてきた。ミカはそのコーヒーを一口飲んで口を湿らせると、どこか悲しそうな表情に変わる。
「猫田さんが着ていたあのジャケットはね、私がある人に贈ったものなの。オーダーで仕立ててもらったものだから、他に二つとない特徴があって…それで間違えてしまったのね。その人はホストをしていた人だから、もしかして、譲ってもらったのかと思ってね」
「んん…っ!?」
初めて聞く情報に、狛は心臓が飛び出そうになった。元々、嘘があまり得意でない狛には、急な新情報に対応できる能力がない。
(ね、猫田さんめ~~~!私そんな話聞いてないよーーー!?)
猫田に対して腹の中で怒ってはみたものの、恐らくそんな事は猫田自身知らない事なのだろう。自分で人間の服の流行りが解らないと言っていたし、変化で真似ているだけと言っていたので、見たままを再現してしまっているのだ。背格好が似ているだけでなく、そんな無二の特徴まで真似てしまっていたのでは、間違えても仕方がない。
そうなると、困るのは何故そのジャケットを猫田が着ていたか?ということになる。さきほどからミカが確認しているのはそういうことだ。狛は迷ったが、自分の噓がつけない性格を解っていたので、あえて余計な嘘はつかずにおくことにした。
「その、タクトさんって人は、猫田さんの友達だったみたいです。詳しくは聞いていないんですけど、この間の事があった後、それだけ教えてくれました…」
「…そう、形見分けのつもりかしら。全員覚えていたつもりだったけど、抜かりがあったのね」
「え?」
「いいえ、それよりもタクトの事、どこまで知っているのか聞いてもいい?」
ミカの発言の意図が解らず、聞き返した狛だったが、急にミカからプレッシャーのようなものを感じて、それ以上は言葉が続かなかった。ミカは一見笑っているように見えるが、底知れぬ強い感情が全面に出ていて、その目に睨まれた途端、狛はまるで全身に重石を乗せられたような感覚に囚われてしまった。
(な、なに?!この感覚…普通じゃない!)
狛は戸惑いながらも、どんどんと強くなるその重圧に飲まれないよう、腹に力を込めて猫田から聞いた事を話してみることにした。もちろん、ミカが金を持ち逃げしたことは伏せた上で。
猫田から聞いていた話を話し終えると、ミカがふっと笑って、重圧が解けていく。しかし、その代わりにもたらされた言葉は、狛の心を大きく揺さぶるものであった。
「なるほど、そういうことになっているのね。残念だけど、少し違うわ。タクトはね、自殺したんじゃないの。…殺されたのよ、あの連中に」
そう言い放つミカの瞳は、真紅に燃えているようだった。加えて、その額に薄っすらと角のようなものが見えたのは、狛の見間違いではなかったと知るのはこの後の事である。