ベンチに座り項垂れる僕の前で、心配そうに覗き込む月見里さんの温かい手が離れていく。
「大丈夫? お水いる? 買って来ようか?」
そんなの、いらない。
それよりも、ぬくもりが欲しい。
「ここにいてください」
心が弱くなっているのが分かる。
ずっとずっと隠していたのに、なんでだよ。
友梨の前でだって、上手く隠していたのに、どうしてこの人の前では、それを晒せるのだろう。
安堵に似た不思議な心地の中、隠していたものが剥がれていくように吐露していた。
「ごめんなさい、今までテキトーに付き合う女の子はいても、本気で好きになったのは友梨だけで……。でももう向けようのないこの気持ちをどうしたらいいか分からなくて月見里さんの優しさに漬け込んで利用しました。
僕は最低な人間だ。だから友梨は僕じゃなくて湊くんを選んだんだ……。僕は……」
本当に最低だ。
僕は弱い。大人のフリをした子どもだ。いつまでも母親の側から離れられない子どもなんだ。
そんな僕の胸の内でも見えたのだろうか。月見里さんはまるで小さな子どもをあやすように僕を優しく抱き締め、良い子、良い子とでもいうように温かな手が背中を這う。
子どもみたいに泣いても、今日だけは許してくれるだろうか。
思考がぐちゃぐちゃに乱れていく。ともすれば叫び出しそうな未熟な僕に向かって、月見里さんが、全部吐き出そう、と言ってくれる。
だから僕は吐き出した。
「ずっと、……友梨が好きだったのに……」
「うん」
「胸が痛い……」
子どもの時からずっと好きだった。
結婚の約束をしたから守らなきゃいけないって、ずっと思ってたのに。
じゃなきゃ、父さんを裏切ったあの人と同じになってしまうと思ってたんだ。
ぐちゃぐちゃな心を吐露すると、いくらか胸の苦しさが緩んでいた。
僕が本当に子どもだったなら、背中を撫でてくれる月見里さんの手が、『痛いの痛いの飛んでいけ』と魔法を掛けてしまったんだと思った事だろう。
月見里さんの温かい手が僕の背中から離れて行く。そんな温かさなど無かったと言うように冷たい風が背中の温度を下げる。
冷えた背中に、ふと現実を見て、自分の見苦しさに気付いた。
「ああ、もう、カッコ悪いな……」
こんな姿、誰にも見せた事なかったのに。
「そんな事ないよ」
月見里さんのその一言がどうしようもないくらい優しくて、僕の目にじわりと涙が浮かぶ。こぼしてしまわないよう上を向き、瞬きをして誤魔化す。
それに気付いたのかそれとも気付いてないのか、
月見里さんは後ろを向いた。
「さ、帰ろ」
叱るでもなく、励ますでもなく、黙って側にいてくれた優しさが身に沁みる。
それから彼女は明るい声を出した。
「友梨さんがアメリカに行くまで、だからね!」
「え?」
「彼女のフリしてあげる。だから行くまでの間、悔いなく過ごそうね」
何を言っているのだろう、この人は……。
「例えばね、私と松岡くんと友梨さんと湊さんの四人で遊びに行くの。たくさん楽しい思い出作ってみるのがいいんじゃないかな? 私の利用価値ってそれくらいじゃない?」
自分で利用価値とかいうこの人のお節介さ加減にどことなく気がぬけてしまい、そうですね、と言っていた。
だけど、この人は偽善者でもなければ、自己犠牲の精神で口に出してる訳じゃない。
どこまでもどこまでも、ただひたすらに心が優しいのだと感じて、僕はまた涙が出てしまいそうだった。
みっともない姿を見せてしまったら、それから会社で顔を合わせるのが少し気まずい。
だけど、月見里さんは僕に対しては至って通常通りだった。
そう僕に対しては。……それよりむしろ、川辺主任に対して過剰反応している。
それがちょっと面白くない。
あんな姿を晒してきっと呆れられてしまったかもしれないと、どこかで後悔していた。
「かっ、カワベ、アノサアー」
「なに?」
あれ、ほんと何なの?
僕の時なんて、平気な顔で下の名前を呼んだくせに、同期の苗字も普通に呼べないなんて、あり得ない。
そう苛立ちながら、パソコンのエンターキーをぱしっと打つ。
プリントアウトした資料を鞄に突っ込んで外に出た。
ほんと、なんだろ、この気持ち?
理解不能。
苛立つ僕のスマホが嘲笑うように鳴り出す。
「はい?」
『歩ー?』
友梨だ。
『ねえねえ、あれから彩葉ちゃん何か言ってた?』
なんで皆、月見里さんばかり……。
「知らない」
『何か怒ってるの?』
「別に」
『ねえ、彩葉ちゃん――』
「連絡先教えるから自分で聞いといてよ。これから電車乗るから、じゃあね」
『待ちなさ』
何か言ってる友梨を無視して通話を切ると、電車に乗る前に友梨に月見里さんの電話番号を勝手に送った。
その週末、友梨から『来週は遊園地だよ〜!』とメッセージが来て、どういう事? と電話を掛けたのは言うまでもない。