ブローリン街の雑貨屋で食用油の大瓶を2つ買って店の外に出ると、店の前で待っているはずのキュッリッキがいない。メルヴィンは辺りを見回して、斜め向かいの店の前にキュッリッキを見つけた。
ショーウィンドウに張り付くようにして、何かに見入っている。その足元には、仔犬姿のフェンリルとフローズヴィトニルが、退屈そうに座っていた。
「どうしたんですか、リッキー」
「うん……」
上の空のような返事をするキュッリッキに、メルヴィンは不思議そうに首をかしげ、ショーウインドウの中を見る。
真っ白なシルクのドレスに白いレースをふんだんにあしらった、煌くようなウェディングドレスが飾られていた。
キュッリッキは夢見るような、憧れを込めた眼差しで見入っている。
それに気づいて、メルヴィンはちょっと照れくさそうに微笑み、そしてウェディングドレスに目を向けた。
いつの日か、ウェディングドレスを纏ったキュッリッキを、この腕に抱く時がくるのだろうか。つい先日恋人同士になったばかりだが、ドレスを見ていると思ってしまう。
ちらりとキュッリッキを見て、目の前のドレスを纏った彼女を想像してみる。
金色の髪を結い上げて、半透明な白いヴェールをかぶり、雪のように白いこのドレスを身にまとった彼女は、誰よりも美しく、天使のように無垢な姿だろう。
「ねえ、メルヴィン」
突然声をかけられ現実に戻ると、メルヴィンはちょっと慌てながら、見上げてくるキュッリッキに笑いかけた。
「ど、どうしました!?」
「いつか、アタシもこんな綺麗なウェディングドレス、着たいなぁ……」
そして、恥ずかしそうに頬を染める。
それはつまり。
(ウェディングドレスを着たいとおねだりしてくるってことは、遠巻きに、プ、プロポーズを受けているってことじゃ……?)
メルヴィンは焦った。何故なら、プロポーズは男からするものだと昔から思っているからである。しかしこの解釈は、やや角度がズレていた。
キュッリッキは単に、乙女の憧れを口にしただけで、なにもメルヴィンにおねだり攻撃兼プロポーズを仄めかしているわけではない。
大きく勘違いしたメルヴィンは、買ったばかりの食用油の大瓶をいれた紙袋を落としそうになって、慌てて抱えなおす。
「ま、まずは、婚約指輪からですよ!?」
思わず声が裏返りながら言うと、メルヴィンも顔を赤くしながらキュッリッキの手を掴み、逃げるようにエルダー街のほうへ早歩きし始めた。いきなりのことに、キュッリッキは「あれ?」と首をかしげる。
「?? メルヴィンどうしたの!?」
「早くこの油をキリ夫人に届けないと、もうすぐお昼ですしね!」
「にゅ? でも、今日のランチは外で食べようって、言ってなかったっけ?」
「い、急ぎますよ!」
「あぁん」
(『外に出たついで』に『ストック用』の食用油を買ってきて、ってキリ夫人に言われてた気がするんだけど??)
そうキュッリッキは数十分前の記憶をたどったが、メルヴィンにグイグイ引っ張られて、抵抗のしようがなかった。
早すぎるデートから帰ってきた2人を、ガエルは玄関で不思議そうに出迎えた。
「昼は外で食べてくるって、言っていなかったか?」
「そ、そうでしたっけ」
「そうだったもん!」
案の定キュッリッキはむくれている。メルヴィンはどこか誤魔化すような笑顔を浮かべていた。
「まあ、ちょうどいい。カーティスが呼んでいたぞ」
「仕事ですか?」
「みたいだ」
「油を届けてから、すぐ行きます」
「キューリは俺に付き合ってくれ。蜂蜜買いに行く」
「……グンネルさんとこの、ウルトラスペシャルバケツパフェおごってくれるならイイヨ」
「好きなだけ食わせてやる」
「じゃ行く!」
キュッリッキはむくれ顔のままガエルの手をギュッと掴むと、引っ張るようにして外に出て行った。
最近蜂蜜屋の売り子が若い女性になり、なんとなく気恥ずかしいガエルは、いつもキュッリッキに同伴を頼む。キュッリッキが一緒なら、蜂蜜が大好きなのはキュッリッキで、自分は荷物持ちだからと言い訳したいのだ。それなら多少気恥ずかしさも和らぐためだった。
もっとも、買っていく量が業務用レベルなので、効果はあまり期待できないし、蜂蜜屋ではガエルが食べるぶんだということは先刻承知の上だ。バレバレなことにガエルは気づいていなかったが。
内心「ごめんね」とキュッリッキに詫びながら2人を見送り、メルヴィンは台所へ向かった。
大きく勘違いしたまま、
(プロポーズは自分からきちんとしたいから)
そう、心の中で呟いた。
談話室へ行くと、カーティスをはじめとした面々が顔を揃えていた。
「あれ、ランチ食べてくるんじゃなかったのか?」
ザカリーにまで不思議そうに言われて、メルヴィンは困ったように頭を掻いた。
「いえ、その、予定変更しました…」
歯切れの悪い言い方に、みんなに「ん?」という顔をされて、メルヴィンはますます困ったように俯いた。
キュッリッキの遠まわしのプロポーズめいた言葉に焦って――思いっきりカンチガイ――逃げ帰ってきたとは到底言えなかった。
「まあ、タイミングが良かったというか、なんというかですが、仕事です」
いまいちよく判らないけど、といった表情でカーティスが本題に切り替えた。
「トゥルーク王国にある、アン=マリー女学院というところから、ギルド経由で依頼がきています」
「女の園!!」
興奮したようにルーファスが反応する。
「ええ、未成年者いっぱいの女の園です。その未成年だらけの女の園の院長が依頼主ですが、在校生であるトゥルーク王国の未成年の王女の護衛を頼みたいそうです」
くどいくらいに”未成年”を強調され、ルーファスは渋い顔をした。
「ふーむ、王女サマの護衛任務かぁ~……護衛ねぇ」
つまらなさそうにマリオンが呟く。それにギャリーも同意するように呻いた。
「オレぁーパスだな、護衛は性に合わねえ」
「なんで、学校の先生が王女の護衛依頼なんかするんだい?」
珍しくランドンにツッコまれ、カーティスも首をひねる。
「諸々の細かい理由などは、現地で話したいということなんですよ」
「なんだそりゃ…」
ザカリーの呟きに、談話室のあちこちから頷きが返ってくる。
普通は護衛に至る経緯などを添えて、依頼してくるものである。傭兵側は命をかけるのだから、内容を秘匿されてまで、金のためだけに依頼主に忠誠を尽くす理由はない。必ず背景事情も知って、受けるかどうするかの判断材料にするのだ。
「まあ、所謂”ワケアリ”って感じですかねえ。先方もそれを臭せたような依頼の仕方だったそうで、ギルド側の判断でウチに回してきたようです」
数ある傭兵団の中でもトップクラスの実力を持つライオン傭兵団は、ギルドの中でも一目も二目も置かれている。難解な内容、破格の報酬になると、こうした実力のある傭兵団へ優先的に仕事を回してくるのだ。
「ペルラとブルニタルに、この件の調査を任せました。いずれにしても報酬がとてもいいし、前金も支払うということなので、引き受けることにします」
筋のいい依頼主は、必ず前金を払う。前金は必須ではないが、報酬提示額が高い場合は前金を支払うと、傭兵側の信頼を得やすくなるためだ。
「メルヴィンをリーダーとし、ルーファス、タルコット、シビルの4人で行ってもらいますね」
「ん? キューリは加えなくていいのか?」
ギャリーが意外そうに言うと、カーティスが肩をすくめた。
「……ベルトルド卿から、出来る限り仕事へ向かわせるな、と釘を刺されています。それを後押しするかのように、実は、皇王様から内々にご指示を賜ってます」
「御大からそういう釘を刺してくるのは予想通りだがよ、そこになんで皇王が出てくんでい?」
「キューリさんがハーメンリンナにいるあいだに、皇王様と社交界の皆様にお披露目をしたらしいんですよ。その際に、皇王様にいたく気に入られたそうです。それで、傭兵を続けることは渋々黙認なされたようですが、危険な仕事にはあまり向かわせるなと、そう厳命してくるよう――我々に、御使者の方は重々言い含められたそうです……」
「……めんどくせぇな」
「全くです」
戦勝パーティーにて皇王から直々に、メルヴィンとの恋を応援してもらったキュッリッキだっが、実はこの先傭兵を続けていくことに、皇王はあまり快く思っていなかったのだ。
優秀な召喚
そのことはベルトルドもキュッリッキも、当然知らない。
「まぁ……皇王サマにぃ、そう言われたんじゃあしょーがないもんねぇ~。でもぉ、それでキューリちゃんが納得するぅ?」
マリオンにずばり指摘され、カーティスとギャリーはメルヴィンの肩を掴む。
「しっかり説得は頼みましたよ」
「ガン泣きされっから、キスしても犯してでも黙らせろや」
「へっ!?」
「どーしてアタシは一緒に行っちゃいけないのよ!!」
予想通りの反応に、皆沈黙で答えた。
ガエルと共に戻ってきたキュッリッキに、護衛仕事の件を話すと速攻噴火した。
ベルトルドと皇王から内々に釘を刺されていることは伏せている。知られればハーメンリンナに怒鳴り込みに行きかねない剣幕だ。
「アタシもその王女とやらの護衛任務行くのっ!!」
持っていたクッションで、足元に座っているギャリーの頭をバフバフ叩きながら、キュッリッキは大癇癪を炸裂させる。小さな火山からマグマが噴き出さないよう、ギャリーはおとなしく叩かれていた。
「だいたい、アタシが召喚したものに乗せてったら、一日もかからず仕事終わるじゃない! 乗っけてる間アタシの護衛はメルヴィンがすればすむことでしょ」
両手を腰に当ててカーティスをジロリと睨む。「そんなことも判らないの!?」と、不思議な光彩に彩られた黄緑色の瞳が物語っている。
「いえ……この仕事、ただの護衛で終わらないような感じなんですよ。危険な臭いがものすご~くするというかなんというか」
「そんなの、仕事に危険とイレギュラーはつきものじゃない」
「それはそうですが。でもキューリさんは召喚士です。召喚士を守りながら護衛任務は無駄に人数を増やすだけですしぃ…」
「アタシのお守りはフェンリルとフローズヴィトニルがいるもん!」
「不測の事態もありますし」
「そしたらメルヴィンに守ってもらうもん!」
「護衛に行ってる傭兵を護衛してたら、護衛任務が矛盾だろ……」
「ギャリーはうっさい!」
「すンません」
「とにかくアタシも行くったら行くの!!」
「リッキー、聞き分けて留守番しててほしいな」
これ以上噴火させないように優しく言うが、キュッリッキはふいに悲しそうな
「なんで? メルヴィンはアタシと一緒にいたくないの?」
――そうくるか。
皆一斉に引きつる。
「いえ、一日でもリッキーと離れてるのは嫌です。でも、これは仕事だから」
キュッリッキはふくれっ面でメルヴィンを睨みつけて、ぷいっと横を向いた。
こんなところは、どうしようもなくまだ子供だ。そんな拗ねるキュッリッキに、メルヴィンは苦笑する。
メルヴィン自身も離れ離れになっているのは嫌だった。しかし、依頼内容が護衛任務のため、危険な場面に遭えば、最優先で守るのは依頼の護衛主だ。それを考えると、今回内容がはっきりしないため、ますますキュッリッキを連れて行くわけにはいかない。
メルヴィンがこの仕事へ行かないということもできるが、そんなことではこの先仕事にならなくなる。
どうキュッリッキを説得するか、各々思案していると。
「夫の帰りをじっと耐えて待つのも、妻のだいじな役目なんですよ」
そこへ飲み物と軽食を運んできたキリ夫人が、にっこりとキュッリッキに笑いかけた。
「キューリちゃんは、いずれメルヴィンさんのお嫁さんになるんでしょう? だったら、今のうちに慣れておかないとね」
「お、お嫁さん……!」
「そうそう。これも立派な花嫁修業よ」
途端、キュッリッキは真っ赤になって、照れなが手にしていたクッションで遠慮がちにギャリーの頭をぽふっぽふっと叩く。急にソフトタッチになって、ギャリーは疲れたように薄く笑った。
「花嫁修業……、すっごくいい響き…きゃあっ」
キュッリッキはクッションを放り出して顔を両手で覆うと、嬉しそうに身体をくねらせた。
――う、ウマイ!!
にこにこ微笑むキリ夫人を、皆尊敬の眼差しで見つめた。
* * *
夕食が済んでから就寝までの時間、メルヴィンとキュッリッキはどちらかの部屋で、2人きりで時間を過ごす。今日はキュッリッキの部屋になった。
ベッドに並んで座り、他愛ないおしゃべりをする。
万難を排して無事恋人同士となって早2週間。アジトだから当然仲間たちがいるので、ゆっくり2人だけの時間を持ちたいと考えたメルヴィンの提案で、こうして自室でその時間を作っていた。
「メルヴィンと離れ離れになっちゃうの、やっぱりヤダな……」
キリ夫人のナイスアイディアで、なんとかキュッリッキの噴火は収まり話はまとまったが、キュッリッキとしては片時もそばを離れたくないのだ。結ばれてまだ2週間しか経っていないのもある。
「オレもです。でもね、この先こんなことはしょっちゅう続くわけで、割り切らなきゃ」
「そんなこと、判ってるもん…」
嘘でもいいから「やっぱり仕事行くの止めようかな」と言って欲しいのだ。もちろんメルヴィンは、そんなキュッリッキの気持ちはお見通しだ。それでもやはり、それは言ってはいけないと判っている。
メルヴィンは拗ねているキュッリッキの細い肩を抱き寄せ、両手でしっかりと抱きしめた。
「今日は一緒に寝よう」
囁くように言われて、キュッリッキの顔がパッと明るくなった。
「うん!」
「数日会えないから、出発するまでリッキーと一緒に居たい」
「アタシも」
耳まで真っ赤にしながらも、喜びに顔を生き生きと輝かせてメルヴィンに微笑んだ。そんな愛しい少女に微笑み返しながらも、メルヴィンは心の中でちょっと苦笑した。
「一緒に寝よう」と言って警戒されないのも、抵抗されないのも悲しいものがある。キュッリッキはまだ、男を知らないからだ。
この少女がどんなに色香に欠ける身体をしているとはいっても、抱きたいという願望はある。
キュッリッキの体臭は花の香りのような、優しく甘い匂いがする。香水は使っていないようなので、これがキュッリッキの放つ香りなのだ。この香りは常にメルヴィンの心をざわつかせ、幾度となく理性との戦いを強いられていた。
自分から求めてくるようになるまで、我慢すると決心している。果たしていつまで耐えられるか自信がない。
そんなメルヴィンの男心も知らず、キュッリッキはキスをねだってくる。まだ自分からしてくることはないが、愛らしい唇をツンと差し出し、目を閉じてメルヴィンからしてくるのを待っている。
「あなたを食べちゃいそうです」
「え?」
求められるまま濃厚な口づけをかわし、倒れこむように狭いベッドにキュッリッキと横たわる。そしてキュッリッキに覆いかぶさるようにして、その美しい顔を見おろした。
キス以上の何かを期待するような色は、その不思議な瞳には浮かんでいなかった。警戒したり不安そうにしたりというような色もまるでない。じっとメルヴィンを見つめながら、顔を紅潮させているだけだった。
性欲がまるでないのか、それとも自分を信じきっているのだろうか。キスはするのだから、まるきり性欲がないとは言えないだろう。純粋だから、という言葉で完結するのも何故か虚しかった。
「まだまだ、先は長そうです」
「何が?」
「いえ、何でもありません。もう寝ましょうか、明日は早いですから」
「うん~」
首をかしげるキュッリッキに優しく微笑みかけて、メルヴィンはサイドテーブルのランプを消した。