「一生お別れするわけじゃないんだからあ……」
「俺にとっては、一生別れるようなものだ!!」
ベルトルドはキュッリッキをぎゅっぎゅっと抱きしめ、これでもかこれでもかと頬ずりする。そしてこれでもかこれでもかと、キュッリッキの頬にキスの雨を降らせた。
「毎週水曜の19時には、テレビ観に遊びに来るってば」
「泊りがけ?」
「泊まっていってもイイケド」
テレビ放送は、現在ハーメンリンナのテレビモニターを持つ家屋敷と、イララクス内の公共機関にあるモニターでしか観られない。あまり一般人には馴染みのないものである。
そのテレビ放送で毎週水曜日に『美魔女っ子騎士カトリーナ』というドラマがあり、これにキュッリッキは激ハマりしていた。一人の美少女が魔法で騎士に変身して悪者と戦うもので、出演の女優は魔法
変身シーンが出てくると、テレビモニターの前で一緒にポーズを取るほど、キュッリッキは大好きなのである。
「毎週水曜しか会えないのかああ!」
「いつまでリッキーさんを抱きしめているんですか! 早くどいてください」
キュッリッキを独占し続けるベルトルドに、アルカネットがキレる寸前の表情で睨みつけていた。
「俺のリッキーだから、名残惜しんでいるんだ!」
「誰があなたのですか! いい加減放しなさい」
我慢しきれず、アルカネットはベルトルドの首を本気で絞め上げた。
「し…死ぬ…」
「ドケこら」
「……」
今日はキュッリッキがエルダー街のアジトへ帰ってしまう。
ベルトルドとアルカネットは出仕の時間だが、見送りに出てきたキュッリッキを、名残惜しみまくっているのである。
「旦那様がた、そろそろお出にならないと、本当に遅刻なさいますよ」
涼しい
「りっきぃ……」
「いってらっしゃい!」
「早くお行きにならないと、リュリュ様が飛んできますよ?」
「うっ…」
ベルトルドの顔が真っ青になり、不承不承の体でキュッリッキから離れ、トボトボと玄関を出て行った。
「またすぐに会いましょうね」
アルカネットはキュッリッキをしっかり抱きしめ、額にキスをして離れた。
「うん、いってらっしゃい」
2人の姿が見えなくなるまで玄関前に佇み、そしてキュッリッキは屋敷に戻った。
「さあお嬢様、お仕度なさいませ」
「うん!」
あと2時間ほどでメルヴィンが迎えに来る予定になっている。
嬉しそうな笑みを浮かべ、キュッリッキは跳ねるようにして部屋へ戻っていった。
* * *
ドアノッカーを叩く音がして、セヴェリが出迎える。
「いらっしゃいませ、メルヴィン様」
「こんにちは。リッキーは用意出来ていますか? 迎えに来ました」
白いスタンディング・カラーの丈の長い上着を着込んだメルヴィンが、柔らかな笑顔をセヴェリに向けた。
「それが……」
セヴェリは堪りかねたように吹き出した。
「ど、どうしたんです?」
「2時間ほど前からお仕度を始めたのですが、何を着ていくかお悩み状態で。衣装部屋でリトヴァと共に大騒ぎでございますよ」
「そ、そうなんですか」
「こちらでお待ちください、お茶を持ってこさせます。お嬢様におしらせしてきますね」
「お願いします」
メルヴィンは苦笑すると、玄関フロアにある待合用のソファに腰を下ろした。
「もっともっと、大人っぽい服がいいの!」
「そうおっしゃられても……」
ハンガーから離れて床に散乱する衣服を眺め、リトヴァは困ったようにため息をついた。そこへノックの音が聞こえて衣装部屋から出る。
「もぉ…大人っぽい服がナイよぅ」
ベルトルドとアルカネットがキュッリッキのために用意した服は、どれも可愛らしく、キュッリッキにとてもよく似合うものばかりだった。しかし、キュッリッキが思い描く”大人っぽい服”に該当するデザインのものがない。
「お嬢様、メルヴィン様がお迎えにみえられましたよ」
「えええっ! もうそんな時間なの!?」
床に散らかる服を摘んでは放り投げ、また摘んでは放り投げ。
「どうしようリトヴァさん」
「お嬢様、無理に背伸びしようとなさらないでください。これらの服は、どれもお嬢様にお似合いになるものばかりでございますよ。メルヴィン様は今のお嬢様がお好きなのでしょう?」
「う…うん」
「さあ、早く選んでしまいましょう。あまりお待たせしてはいけませんわ」
「うん」
散々悩んだ挙句、オールドローズ色のシルクに、白いレースとシアン・ヤー・ホン色のリボンで飾られた、クラシカルな可愛らしいワンピースを選んだ。夏も終わり秋に入り始めた季節によく合う。
「やっぱ、子供っぽいかも……」
鏡の前で唇を尖らせるキュッリッキに、リトヴァは笑ってみせた。
「お嬢様、こうしたデザインのワンピースは、今しか着れないものですのよ」
「どうして?」
「あと10年もしたら、きっとお似合いになりませんわ」
「え…そうなの?」
「そうですとも。こうしたデザインのものは、お若い頃しか似合わないようになっているのでございますよ。わたくしが着たら、自分でガッカリしてしまいます」
「うーん…」
「お嬢様のお気持ちも判らないわけではありませんが、そのお年の頃に似合うオシャレを楽しみなさいませ。メルヴィン様は、今のお嬢様の可愛らしさを好ましく望みますよ」
「そっかなあ」
「そうですとも。もっとご自分に自信をお持ちになってください。大切なのは、メルヴィン様を思うお心。見かけではなく、ありのままのご自分をお見せになって、幸せになってくださいまし」
「そうだね……うん。アタシ頑張る!」
力んで返事をするキュッリッキに、リトヴァは優しく微笑んだ。
「メルヴィン!」
階段の上に姿を見せたキュッリッキに、メルヴィンは眩しげに笑顔を向けた。
飾っておきたいほど可愛らしく装われた少女が、満面の笑顔で小走りに階段を駆け下りてくる。両手を広げると、勢いよく飛び込んできた。
「お待たせっ」
「今日も素敵です」
照れくさそうに言うと、メルヴィンはキュッリッキの顔を上向けさせてキスをした。
メルヴィンが迎えに来てくれ、こうしてキスもしてもらい、キュッリッキは嬉しさのあまり全身から力が抜けて座り込みそうになった。
崩れ落ちそうになるキュッリッキをしっかり抱きしめ、メルヴィンは見送りに来たリトヴァや使用人たちに会釈する。
「リッキーを連れて帰りますね。ベルトルドさんとアルカネットさんに、よろしくお伝えください」
「承りました」
一同を代表して、リトヴァがにこやかに頭を下げた。
「お荷物などは、今日中にエルダー街のほうへお運び致しますので」
「お願いします」
「リトヴァさん、セヴェリさん、アリサ、みんな、お世話になりました」
ようやく自力で立って、キュッリッキはぺこりと皆に頭を下げる。
大怪我をおってこの
「でも、また来週テレビ観に来るね」
にっこり言うキュッリッキに、セヴェリは涙を浮かべて頷いた。
「いつでも我々は、お待ち申し上げております」
「お身体にお気をつけて」
「お幸せに、お嬢様!」
使用人たちは各々、2人の門出を祝福するように、応援や励ましの言葉を投げかけていた。
「行こうか、リッキー」
「うん。じゃあね」
メルヴィンに肩を抱かれて、キュッリッキは使用人たちに手を振った。
メルヴィンと手をつなぎ、ハーメンリンナの地下通路をゆっくりと歩く。こんな日は、地上をゴンドラでゆっくり進むのも悪くはないかも、とふと思う。メルヴィンと一緒なら、瞬く間に時間は過ぎてしまうだろう。
大きな手に握られた自分の手に目を向け、キュッリッキは幸せそうに微笑んだ。
こうして迎えに来てもらったことと、もう一つ嬉しいことがある。
自分の愛称を、敬称付ずに呼んでもらえたことだ。
いつも「さん」を付けて呼ばれていた。でも、今は呼び捨てられる。それがとても嬉しい。
誰にでもそう呼ばれたいわけではない。近しい友人や、仲間、そしてメルヴィンのように恋人には、とくに敬称付けて呼ばれるのは嫌だ。他人行儀に聞こえてしまうから。呼び捨てられることで、関係がもっとも近しくなった気がするから、だから「リッキー」と呼び捨てられて嬉しかった。
「みんなも楽しみに待っていますよ。キリ夫妻は早朝からご馳走の仕込みに大忙しでしたし」
「おばさんの料理、とっても久しぶり」
「そうですね」
「ライオン傭兵団にきて、アタシってばアジトにいた時間の方がすごく短いんだよね」
「そういえば、殆どいなかったですね…」
1ヶ月も居ないまま、ハーメンリンナに行ってしまっていたな、とメルヴィンは思い返す。
「でもね、なんだかとっても懐かしいの。ずっと住んでた場所みたいな感じがして。だから、早く帰りたかった」
キュッリッキには故郷と呼べる場所がない。生まれたのは惑星ペッコで、幼い頃を過ごしたのは修道院。しかしそこは、キュッリッキにとっては忌むべき場所だ。
現在は皇王とベルトルドによって、皇都イララクスのハーメンリンナに住所登録をされている。でもあまりにもこれまでとはかけ離れるほど上級階級の世界すぎて、いまいち実感がわかない。ライオン傭兵団へ来る前に暮らしていた港町のハーツイーズにも、とくに愛着は湧いていなかった。
今のキュッリッキにとって、故郷と呼んでも差し支えのない場所は、仲間たちの待つエルダー街のアジトだ。
自分の帰りを待っていてくれる仲間たちがいて、そして、メルヴィンもいる。
ハーメンリンナの外に出ると、途端に見慣れ親しんだ街の光景が目に飛び込んできた。行き交う人々の姿も、ハーメンリンナの中とは大違いだ。
「さあ、行きましょう」
「うん」
一歩進むごとに、アジトが近くなる。
エルダー街に入ると、昼日中だというのに人通りが少ない。閑散とした雰囲気を漂わせるこれが、エルダー街だと実感させた。エルダー街に住む人々は、傭兵稼業、夜に店を開く者、夜に働く人々が多く住んでいるから、それで昼日中は寝静まっているのだ。明け方干されたままのロープに吊るされた洗濯物が、日陰の中風にそよいでいた。
やがて、白い漆喰に塗られた、界隈では比較的品の良い建物が見えてきた。
オレンジ色の瓦が抜きでて、陽の光を浴びて明るい。
元は宿屋だった建物を買い取って、改修してアジトとして使っている、ライオン傭兵団の本拠地。
メルヴィンが玄関のドアを開いて中に入る。キュッリッキはその後ろから入ると、目の前にはパンツ一枚だけ履いて、そのパンツの中に手を突っ込んで股間をボリボリ掻いているギャリーが立っていた。
「お、キューリじゃねえか! やっと帰ってきたかあ~」
「ギャリー、なんてカッコしてんのよ…」
「さっき起きたばっかでよ、まだねみぃ……」
そう言ってパンツから手を出すと、キュッリッキの頭を撫でようとして、メルヴィンに手を払われた。
「股間を掻いた手で、リッキーに触らないでください」
「ンな、ケチケチすんなや」
「触っちゃヤなのっ!」
「あー! リッキーさんだああああ」
「えっ、帰ってきたのか!!?」
シビルとザカリーが奥からドタドタ駆け寄ってきた。
「うわーん、おかえりなさいリッキーさ~~ん」
「キューリおっかえりい!」
「キューリちゃん帰ってきたの?!」
「シビルぅ~」
「また股間掻いた手で触られてるぞシビル」
「ぎやああああ」
「キューリちゃぁん~~ひっさしぶりん」
一斉に玄関フロアに皆が集まりだし、キュッリッキは面食らってメルヴィンの後ろに隠れてしまった。
「ほらほらみんな、キューリさんがビックリしちゃってるでしょう」
パンパンッと手を叩く音がして、カーティスが姿を見せた。
「よく帰ってきてくれました。おかえりなさい、キューリさん。ずっと待っていましたよ」
簾のような前髪の奥でにっこり笑う。
メルヴィンの後ろに隠れていたキュッリッキは顔をのぞかせると、とても照れくさそうに、
「ただいま」
と言ってはにかんだ。
「かかかかかかんぱいかんぱーーい!」
「うおらああああ!!」
わけのわからないザカリーとヴァルトの乾杯の音頭でスタートをきった宴会は、真昼間から盛大に行われた。
キリ夫妻も一緒に、料理に酒に大盛り上がりだ。
キュッリッキが帰ってきたら、すぐに宴会をしようと、皆で企んでいたのである。
「どうせカーティスのポケットマネーだからな、遠慮なんかすんなよキューリ! じゃんじゃん飲め、食え!!」
「いきなりこんなに飲めないよお!」
すでに酔っ払っているギャリーが、ビールジョッキにワインをなみなみと注いで、キュッリッキは目を回した。
ライオン傭兵団全員が、久しぶりにアジトに顔を揃えた。それでみんなテンションも上がってより盛り上がっている。いつも以上にみんな大はしゃぎしていた。
そんなみんなの様子を見て、キュッリッキは内心ホッとするところがあった。
アジトに帰ったら、みんなに話さなくては、と思っていた。
自分のことを、みんなに聞いてもらうために、話さなきゃと。
でも、今はこうして、自分が帰ってきたことを喜んでくれている。前と少しも変わらない様子が嬉しかった。もしかしたら、腫れものにでも触るように接してくるのではないだろうか、と不安だったのだ。
(この様子じゃ今日は無理ね。明日話そう…。みんなに聞いてもらおう)
「リッキー」
隣に座っているメルヴィンが、気遣わしげにキュッリッキの手をそっと握った。
「大丈夫」
メルヴィンににっこり笑うと、ビールジョッキを握ってワインをグイッと飲み干した。その様子にメルヴィンがギョッと目を剥く。
「おー! キューリのエンジンがかかったぞ!! ホラどんどん飲め飲めぃ!」
ギャリーがさらに雄叫びをあげると、ガエルが手にしていた蜂蜜酒の瓶を、キュッリッキのビールジョッキに傾けた。
「飲め」
「ガエルも、もう酔っ払ってる……」
すっかり目が据わっていた。
「盛り上がってるじゃないかクソッタレども!」
そこへ、いきなり偉そうな声が轟いて、皆一斉にドアのほうへ顔を向けて仰天した。
「おっさんがなんでいるんだよ!!?」
「誰がおっさんだザカリー! リッキーのための宴会なら、この俺が参加しなくてどうする!!」
「仕事はどうしたんすかっ」
「そんなもんは明日やればいい!!」
ふんぞり返るベルトルドの後ろから、アルカネットが爽やかな笑顔を覗かせる。
「リッキーさんのお荷物は、全部持ってきましたからね。部屋に運ばせました」
「あ、アルカネットさんまで……」
「おいカーティス、リッキーのための衣装部屋を用意しろ! リッキーの部屋の箪笥じゃ全部入らん」
「そんな余分な部屋はありませんよ」
「だったら増築しろ! 金は俺が出してやる」
「んな無茶な……」
「さあ、酒も持ってきたぞ! どんどん飲むがいい!!」
「あーもーヤケだチキショー!!」
ギャリーが吠えて、宴会は再開した。
(朝、あれだけ大仰に別れを惜しんだのは一体なんだったんだろう…)
そうキュッリッキは引き攣りながら薄く笑った。