92話:王女様の護衛

 世界中に複数点在する転送装置エグザイル・システム。

 半径1メートルほどの黒い石造りの台座に、短い銀の支柱のようなものが3本立っている。台座の中心には世界地図が彫り込まれていて、エグザイル・システムが置かれている各地を示す、突起のようなスイッチがある。行きたい場所のスイッチを踏めば、装置は起動して、目的地へ一瞬にして飛ばしてくれるのだ。

 3本の支柱は惑星間移動用のスイッチである。

 ハワドウレ皇国の皇都イララクスにあるエグザイル・システムは、エルダー街から歩くこと20分ほどの距離に、行政街との異名を持つクーシネン街に置かれていた。

 エグザイル・システムはどこのものでも無料で誰でも使え、利用者も多く、あらゆる国々から行き来している。人でも物でも飛ばせるので、特に惑星間の移動では大量の荷物を往復して飛ばしてくる者もいた。そのため国によっては出入国手続き窓口や税関が設置されている。休むことなく24時間常に賑わう場所の一つだ。


「それでは、行ってきますね」

「おう、がんばってら」

「……」


 トゥルーク王国にあるアン=マリー女学院へ向かうため、エグザイル・システムへと来たメルヴィン、タルコット、ルーファス、シビルの4人は、キュッリッキとザカリーの見送りを受けて、列に並んでいた。


「リッキー」


 むすっと下を向いたまま唇を尖らせているキュッリッキに、メルヴィンは優しく呼びかける。

 エグザイル・システムまで見送りに行くと言いだしたのはキュッリッキで、こうしてエグザイル・システムまでくると、途端に不機嫌度MAXに拗ねて黙り込んでしまった。

 メルヴィンは苦笑すると、身体を屈めてキュッリッキと目線の高さを同じくする。


「いってらっしゃい、と言ってくれないんですか?」


 無言のままちらっと目だけをあげて、すぐに伏せてしまう。

 口を開けば寂しさに襲われて泣きそうになる。今生の別れではないが、数日もの間メルヴィンと会えないと思うと、涙を堪えるので精一杯だ。

 見送りは笑顔で、とキリ夫人にも言われているが、まだまだ慣れない。


 辛抱強く待つこと数分、キュッリッキは顔を上げると、自分からメルヴィンに感情を込めてキスをして、


「早く帰ってきてね、いってらっしゃい……」


 そう、蚊が鳴くほどの小さな声で、涙目に言った。

 キュッリッキなりに割り切り我慢しようとしている。それでも離れ離れになるのが寂しくて辛いと、キスで伝わってきた。今もこうして、泣くまいと堪えている。

 仕事に行くのだから、笑顔で見送って欲しいと思う。しかし、恋人となって初めての短い別れだ。もちろんメルヴィンも辛いし寂しい。だから、これは2人にとって最初の試練かな、とメルヴィンは思った。


「はい。行ってきます」


 メルヴィンはにっこり笑い、キュッリッキを抱きしめた。


「愛しています」


 耳元で囁かれ、キュッリッキは顔を真っ赤にして、やっと微笑んだ。

 2人の様子を黙って見ていた仲間たちは、ヤレヤレと苦笑する。心情としては連れて行ってやりたいが、強大な圧力のもとでは仕方なかった。

 メルヴィンはもう一度キュッリッキを優しく抱きしめ、そして列に戻った。

 傭兵ギルドに所属している傭兵たちは、ギルドから特別に発行されている身分証明証を持っているので、どの国でも出入国の際に面倒な手続きをパスしてもらえる。傭兵業を営む人々は皆持っていた。

 順番を待って4人は台座に立つと、遠くで見ているキュッリッキとザカリーに手を振って、光に包まれ飛んだ。


「無事飛んでったな。さて、帰るか」


 ザカリーに言われ、キュッリッキは小さく頷いてきびすを返した。


「アタシ、ちょっと街をぶらついてから帰る」

「なら、オレも一緒に行くぜっ」

「えー……」


 物凄く嫌そうに言われて、ザカリーは慌てて作り笑いを浮かべる。


「そんな嫌そうな顔すんなって~~。好きなモン奢ってやっからサ、なっ?」

「………じゃあイイヨ」

「オッケー! ブローリン街行こうぜ」


 キュッリッキから承諾を得て嬉しいザカリーは、意気揚々とブローリン街へ向けて歩き出した。その後ろを歩きながら、キュッリッキはもう一度エグザイル・システムの方を見て、寂しそうに唇を尖らせた。



* * *



 ヴィプネン族の治める惑星ヒイシには、17の小国と5つの自由都市がある。しかし、8月に起こったソレル王国、ベルマン公国、エクダル国、ボクルンド王国の4国が、ハワドウレ皇国に反旗を翻し、圧倒的な力で鎮圧され、国名は削除された。

 現在は13の小国と5つの自由都市となり、4国は皇国の一地方県となった。

 ウエケラ大陸は南半球にある大陸で、トゥルーク王国はこのウエケラ大陸にある。

 大陸の約3分の1の国土を有し、織物の生産が盛んで、裁縫〈才能〉スキルを持つ者が多く生まれることでも有名だ。

 綺麗で品質のいい布地が沢山あり、この惑星ヒイシに留まらず、惑星ペッコ、惑星タピオにも輸出されている。そして、人気の服飾デザイナーも多く輩出していた。

 トゥルーク王国の首都ヴァルテルから汽車に乗り、2本乗り継いでノーテリエ山地に着く。そこから駅馬車を乗り継ぎ、アン=マリー女学院のあるシエンという街まで2日。やや強行軍で計3日をかけ、メルヴィンたちはシエンの街に到着した。


「さすがに休憩なしのノンストップ移動は、身体に堪えるな……」


 腰をトントンと叩きながら、ルーファスがゲッソリと言う。


「普段女のケツばかり追いかけて、鍛錬を怠るからそうなる」


 タルコットから素っ気なく言われて、ルーファスはしょんぼり肩を落とした。図星だから反論のしようがない。


「まあ、鍛錬はともかく、ちょっと休憩を挟んでから学院へ行きましょうよ」


 疲れたようにシビルが言うと、メルヴィンも頷いた。


「どこかでお茶でも飲みましょうか。我々が来た使いも出しておかないといけませんしね」

「あそこにカフェある、行こう」


 ルーファスが街の一角にある洒落たカフェを指差し、スタスタと歩いていった。

 標高はあまり高くないゼウダ山の麓にシエンの街はある。なだらかな土地に合わせて街が作られたのか、ゆるやかな坂道が多い。

 アン=マリー女学院のほかに、2つの大学、裁縫〈才能〉スキルの専門学校などがあるせいか、とくに学生を意識した建物や店が多い。道の端々まで綺麗に舗装されていて、美しくお洒落な街並みだ。

 メルヴィンはカフェにくる途中で見つけたメッセンジャーボーイに手紙を渡し、アン=マリー女学院の院長へ届けるよう使いを出した。場所が場所なだけに、いきなり訪れるわけにもいかない。

 カフェで一息ついた頃、ほどなくしてメッセンジャーボーイは一通の封書を持って戻ってきて、メルヴィンに手渡した。


「すぐに読んでくださいだってさ」


 メッセンジャーボーイにチップをはずみ、メルヴィンは手紙を開いた。


「門の前に案内人を待機させるので、すぐに来て欲しいそうです」

「では行きましょう」


 シビルは椅子を飛び降りると、皆頷いて立ち上がった。




 街の南側の奥に、アン=マリー女学院は建っていた。

 手入れが行き届いているのか寂れた様子はなく、外観は白の漆喰に塗られた上品な建物だ。

 黒く塗られた大きな鉄の門の前に、一人の女性が立っている。四十あたりだろうか、濃紺の質素なドレスに身を包み、紅茶色の髪を後ろで一つにまとめている。表情は穏やかで、柔らかな笑みをたたえていた。


「あの人かな?」

「そうですね」


 女性に近づくと、あちらも気づいたのか丁寧に一礼してきた。


「ライオン傭兵団の皆様ですね。遠路御足労様でした。わたくしはこの学院の教頭をしている、クラーラと申します。院長がお待ちになっております、こちらへ」


 クラーラと名乗った女性は、手振りで学院の中に招いた。

 メルヴィンたちは頷くと、クラーラの後ろに続いた。

 生徒たちは授業のため教室にいるのか、校内は静けさに満ちていた。壁が厚いのか、殆ど物音一つ聞こえてこない。時折風に揺らされる木々の葉音がするくらいだ。


「どんなレディたちがいるのか、楽しみにしてきたのになあ~」


 心底ガッカリしたようにルーファスが言うと、シビルが顔をしかめる。


「そういうことを、口に出して言わないでくださいよ」

「だーってさあ、まだ今日の授業終了じゃないだろうし。休み時間にかち合えば良かったナ」

「全くもう……」


 2人の会話に、クラーラがくすくすと笑う。


「お好みはともかく、良い子たちですよ、当学院の生徒たちは。全寮制なので、ちょっと箱入り気味ですから、あなた方のような傭兵には馴染みがないので、会えば途端に群がられましてよ」

「いいね、いいね。群がられたいっ!」


 ルーファスが目を輝かせながら言うと、


「未成年者の群れだがな……」


 ぼそっとタルコットがツッコんだ。


「うっ……」


 幻想が打ち砕かれて、悲壮感を漂わせながらルーファスはしょげた。そのルーファスの脚を、慰めるようにシビルがポスポス叩く。


「面白い方たちですこと」

「はは…」


 笑いながらクラーラが言うと、メルヴィンは苦笑しながら、こっそりため息をついた。「”女の園”と言い出さなかっただけマシかな」と思いつつ。

 やがて黒檀の扉の前で立ち止まり、クラーラは軽くノックをした。


「院長様、くだんの傭兵の皆様をお連れいたしました」


「入っていただいてください」

「はい。失礼致します」


 クラーラは扉を開けると、身体を扉に寄せて、メルヴィンたちに道を譲った。


「失礼します」


 メルヴィンを先頭に皆中へ入ると、クラーラが扉を閉める。


「ようこそ皆様、遠くからお疲れになったでしょう」

「お気遣いありがとうございます。これも仕事なので大丈夫です」


 メルヴィンの返事に頷き、院長は椅子から立ち上がった。


「当アン=マリー女学院の院長をしております、シェシュティンと申します。早速ですが、ご依頼のことをお話してもよろしいでしょうか?」


 赤みを帯びた茶色いドレスに身を包み、白いものの混じった髪はショートボブにしている。姿勢もよく、小柄で上品な老婦人だ。


「はい、お願いします」

「そちらにお掛けください」


 シェシュティン院長は応接ソファを皆にすすめ、自らは窓のそばに立った。

 温かな湯気をくゆらせた紅茶を、クラーラが運んできてテーブルに並べた。


「クラーラ先生、彼女をここへ」

「はい」


 一礼してクラーラが退室する。そして、ほどなくして一人の少女を伴って戻ってきた。

 扉が閉められたのを確認し、シェシュティン院長は口を開いた。


「この御方は、我が国のイリニア王女殿下でいらっしゃいます。勉強などを学ばれるために、当学院でお預かりしております」


 紹介された王女を見て、メルヴィンたちはぽかんと口を開けて固まってしまった。


「イリニアでございます」


 紹介を受けて丁寧に頭を下げた、王女のその容姿。

 ストレートの長いプラチナブロンドの髪に白い肌、そして茶色の瞳。幼さを僅かに残す柔和な面立ちは美しく、紅もさしていないにもかかわらず、唇がほんのりと赤い。精緻な人形に生命が吹き込まれたような王女の美しい容姿より、何よりも驚くのはその瞳だ。


「殿下は、召喚〈才能〉スキルの持ち主なのですか…」

「まあ、よくご存知ですわね」


 茶色い瞳にまといつく、虹色の不思議な光彩。それは、紛れもなく召喚〈才能〉スキルを持つ者の証なのだ。


「ええ、まあ」


 メルヴィンは口を濁した。まさか、キュッリッキ以外の召喚〈才能〉スキルを持つ者に会えるとは驚きだった。


「先日、殿下の父君と母君であらせられる国王夫妻が、ご視察先で不慮の事故にみまわれ、崩御なさいました」


 シェシュティン院長は瞑目する。イリニア王女も悲しげに目を伏せた。


「そのことで、急遽殿下を次の女王にと、首都ヴァルテルの王宮から連絡がございました。ですが…、ですが同時に殿下のお命を狙っている者が暗躍している、という情報ももたらされたのです」

「よくありそうな話だな」


 腕を組んで感情の伺えない声でタルコットが呟く。これを機に、玉座を簒奪しようと画策する者はどこにでもいる。


「首都ヴァルテルからも遠く離れ、また、殿下には信頼の厚い心許せる家臣がございませぬ。誰が敵であるか、わたくしどもには判断がつきません」

「それでギルドに依頼なさったんですね」

「はい」


 薄く皺の刻まれた面を悲しげに歪ませ、シェシュティン院長は一旦口をつぐんだ。


「殿下には、他にご兄弟はいらっしゃいません。お血筋で言えば、現在宰相の地位に就いておられる叔父君のニコデムス様と、従兄弟である近衛騎士団長のトビアス様だけ。その御二方も、正直わたくしは信用してはおりません。まして、殿下は召喚〈才能〉スキルをお持ちなのです。御身の安全を第一に考えますと、とても同国の者には任せられないのです」


 情けないことでございますが、とシェシュティン院長は苦笑する。

 召喚〈才能〉スキルを持つ者は、生国で大切に保護をする。しかし今回のように、その国の頂点に立とうという王女自身が召喚〈才能〉スキルを持っており、きな臭さの漂う国情では、国民に保護を求めるのは難しいだろう。


「どうか、時期女王であらせられる殿下を、無事首都まで送り届けていただけますでしょうか」

「お任せ下さい。ですがお話の通りなら、道中奇襲もありましょう。危険も伴いますが、守るために野蛮な振る舞いをすることがあるかもしれません。お忍びという形になると思うので、バカンスのような旅はできません。それらのことに、殿下は耐えられるでしょうか?」


 イリニア王女をじっと見据え、メルヴィンは言った。

 体力とは無縁そうな、華奢でなよやかな体格をしている。散歩以外まともに身体を動かしたことがないのではないかと思わせるほどに。そんな少女を伴っての旅は、自分たちがしてきたような強行軍を取るわけにはいかない。とったところでもたないだろう。そしてメルヴィンが言ったことが飲めないようでは、長距離移動を伴う護衛は難しい。

 メルヴィンの瞳を見つめ返しながら、イリニア王女は毅然とした表情でゆっくりと頷いた。


「はい。ご迷惑をお掛けすることになると思いますが、皆様にお願いいたします」


 優雅な仕草で、深々とイリニア王女は頭を下げた。