当然の可能性として追っ払われることも覚悟したが、俺たちは家の中へと通された。
雑巾がけが行き届いた清潔な廊下には、ごく最近撮影したと思われる家族写真が飾ってあった。格式ばったものではなく、四人とも私服でリラックスした表情を浮かべている。その一枚の写真は俺に洗濯洗剤のテレビコマーシャルを連想させた。
元々役者でも通用するルックスの父と母だ。その二人の血を漏らすことなく継いだ子どもたちもやはり、カメラ映えする容姿を備えていた。もうすでに。
広く開放的な居間では、大きなテレビとグランドピアノが特別目を引いた。
たしかにここならば、近所迷惑などに気を揉むことなく好きなだけピアノが弾けるだろう。そもそも、近所という概念がこの地には存在しないのだ。
思い返せば、近所付き合いは母がこの世で最も忌み嫌っていたものの一つだった。回覧板が来るたび、豚と猪の交尾でも目撃したかのようなしかめっ面を彼女はよくしていた。この家より
南向きの大きな窓からは絶えず日光が降り注ぎ、室内の空気を隅々まで浄化していた。そしてあちらこちらに四人が映った家族写真があった。
俺と柏木が連れていかれたのは、居間の奥にある畳の間だった。
そこでは立派な
そういえば今日はちょうど桃の節句だった。よりによってなにかと面倒くさい日にこの旅を組み込んでしまったことを俺は反省した。
八畳ほどの部屋の中央には木目調の大きな座卓があり、俺たちはそこを境に向かい合って座った。もちろん俺の隣には柏木が足をケアしながら陣取り、それぞれの正面にそれぞれの親の顔がある。
三輪車の練習時間を突如として奪われた何の罪もない幼い双子は、この部屋からは遠く離れた一室で遊んでいるように母から指示されていた。彼らは涙ながらにそれに従った。そしていよいよ我々四人だけの時間が始まった。
「ふぅ」と柏木恭一が頬を氷のうで冷やしながら一呼吸する。「けったいな登場だなぁ、晴香。なにも有希子の息子と一緒に来なくたっていいじゃねぇか」
「誰と来ようがわたしの勝手でしょ」と娘はすぐに返した。
「兄ちゃんも兄ちゃんだ。出会い頭にぶん殴ってくるなんて、まともな人間のやることじゃねぇぞ。まったく、親の顔が見てみたいわ」
笑えない冗談だったし、実際誰の顔もほころばない。つまらないジョークの罰としていっそもう一発殴ってやろうかと思ったが、やめた。腹が立つたびいちいち殴っていたら、目的を果たす前に日が暮れてしまう。
「それにしてもおまえたちが知り合いとはなぁ」
恭一は柏木と俺を交互に見る。そして眉を不気味な角度に持ち上げた。
「わかったぞ! さてはおめぇら、できてるんだろ。そうなんだろ。さしずめ婚前旅行ってところか。今夜はお楽しみだな。いいねぇ、若いモンは」
柏木が座卓を両手で叩いた。
「うるさいっつーの! べらべら余計なことばかり! 黙れっ!」
「はぁ? 黙っちゃっていいのかよ。じゃあオレ、何を聞かれてももう喋んねぇぞ」
娘の言葉尻をとらえて大人げないことを言いだした恭一の脇を母が咳払いしながら肘で小突いた。すると彼は頭を掻いて、少し申し訳なさそうな顔をした。なんとなく現在の二人の力関係が見て取れた気がした。
「よくここがわかったわね、悠介」と母は無表情な声で言った。
「ネットで見つけて」
「そう」
「もちろんただ顔を見に来たってわけじゃない」
成長を見せたかったというわけでもない。
「俺と彼女はあなたたちに大切な用があって来た」
彼女、と耳にした恭一が
「なんか勘違いしているみたいだけど、俺たちは交際してはいない。高校の同級生だ」
「なぁんだ」とつまらなそうに恭一は言った。それからやっと親らしいまともな質問をしてきた。「高校はどこに行ってるんだ?」
「
「そいつは傑作だ」恭一は身を乗り出す。「ていうことは、おめぇら、オレと有希子の後輩かよ」
「あんたは落ちこぼれだったと聞いた」俺はいずみさんの話を思い出していた。
恭一は豪快に笑ってそれを認めた。
「まぁな。でもな、一つ良いことを教えてやるわ。大人になっちまったら学校の勉強なんて糞の役にも立たないからな。こいつは負け惜しみなんかじゃねぇぞ。若いうちに勉強するのは大いに結構だが、頭でっかちな人間にだけはなるなよ。大人になってから苦労すっぞ。鳴桜の先輩からのありがたいアドバイスだ」
社会を生き抜くヒントを聴きたいがために、俺たちははるばる富山まで来たわけでもなかった。よって「本題に戻る」と俺は一方的に宣言した。「なぜ俺に三発殴られたか、あんた、わかってるか?」
「さぁね」
「一発は純粋に俺からのプレゼントだ。あんたのおかげで、こっちは最高の十代前半を過ごすことができたからな。まぁ、そのお返しってことだ」
「そりゃあどうも」
恭一はふてぶてしく会釈し、氷のうを強く頬に押し当てた。要するに俺への当て付けのつもりなのだ。
「問題は、
「あんまりオレのことを舐めんなよ、兄ちゃん」
そこで恭一の目から、
「晴香はオレの娘だぞ。そんなもん、一目見ておかしいと思ったわ。歩き方が不自然なのはもちろん、ああ、なにより、言動がぎくしゃくしてる。なんつーか、体は成長してるが、心はガキの時のまんまって感じだ。……いったい、何があった?」
右隣から視線を感じて俺が顔をそちらに向けると、柏木はすがるような眼差しで俺の目を覗き込んできた。どうやらこれまでのいきさつを筋道立てて話す自信がないようだ。
俺が話した方がいいか? と尋ねると、彼女はすぐにうなずいたので、正面に向き直り、「記憶がないんだよ」と事実を告げた。