本日は晴天なり。
下界ならうだるような暑さなんだろうけど、それなりの標高の山の上となれば、吹き抜ける風もスッキリと爽やかになる。
「木漏れ日差し込む、湖畔のリゾートホテル……設備はちょっと古そうだけど良いじゃん。ドラマが始まりそうじゃん」
学校からバスに揺られて一時間半程度。
今日から四日間のお世話になる観光ホテルに降り立つなり、アヤセが感慨深そうに口にした。
「それって、人が死ぬ系のやつ?」
「あー、レイクサイドホテルってだいたい殺人事件起こるよねー」
何ともなしに言った言葉にユリが同意してくれたけど、私は内心で首をかしげる。
確かにその通りなんだけど、なんでレイクサイドホテルってミステリの舞台になるんだろう。
孤島とかならまだわかるけど、湖の傍にあるってだけでクローズドサークルのクの字もないのに。
それこそ謎だ。
単純な場面映えするロケーションの問題?
「お前らなあ、もうちょっと乙女らしい情緒に浸ろうぜ」
ため息をつくアヤセに、私もため息で返す。
「ウチの学校で乙女とか」
こっちは諦めのため息だけど。
一方のユリは、そんな会話お構いなしに湖のほとりまでかけて行った。
「みてみて! 鯉いるよ、鯉!」
柵越しに水面の方を指さしながらはしゃぐ。
かわいい。
私はアヤセと一緒に歩み寄って、柵沿いに並んだ。
「ユリはさあ、池の魚なんでも鯉って言うのやめろよな」
「え、これ鯉じゃないの?」
「いや、たぶん鯉だけどさあ」
柵に近寄るだけで、鯉の群れがパクパク口を開けながら寄って来た。
「わー、凄い寄って来るね」
「餌付けされ慣れてるんでしょ。観光地だし、もうちょっと降りたとこからこの辺一帯がトレッキングコースにもなってるみたい」
「へえー。でもエサとか何も持ってないや。メロンパンのカス食べるかな?」
「食べそうだけどやめときなよ。お腹壊すかもよ」
生き物相手だし、それ用の食べ物じゃないと何があるか分からないし。
人間の好きなものでも、他の生き物にとっては毒なんてことよくあることだ。
犬や猫に玉ねぎとか。
そもそも人間向けの食べ物は塩分過多すぎて高血圧まっしぐらなんて話も聞く。
ストレスに弱い魚であれば、なおさら食べ物は気を遣った方がいいと思う。
「くくく……そんな卑しい目で見つめても、貴様ら雑魚どもに振舞う食物など――あいたっ」
「点呼取ってるから行くよ」
変なスイッチが入ったユリなデコピンを食らわせて、既に入館を始めている面々に合流する。
比較的涼しいとはいえ、日差しが熱いことには変わらない。
また熱中症になる前に冷房のきいたところでひと休みしたい。
「今日ってどんなスケジュールだっけ」
ホテルの玄関をくぐりながら、ユリが尋ねる。
「プリント見ろ」
「聞けば星が教えてくれるから忘れちゃった。テヘ☆」
「テヘじゃない」
「確か、テスト飯テストテストテストテスト飯テストテストだろ?」
指折り答えるアヤセに私は首を横に振る。
「違う違う。テストテスト飯テストテストテストテスト飯テストだよ」
「魔法の呪文かな?」
ユリは完全に頭がこんがらがっているようだった。
ぶっちゃけ私も、何回テストって言ったかわかんないけど。
雰囲気で伝われ。
ロビーでクラスごとの点呼が終わると、事前に割り振られた寝室に荷物を降ろして三〇分後には再集合となる。
部屋割りは基本的にクラスごとだけれど、有志参加である本合宿では、クラスごとに人数のばらつきがある。
それでも学年の大半、約二〇〇人が参加している大所帯なわけだから、どうやってもクラスごとの割り振りからはあぶれてしまうひとが出る。
「その調整役になるのは、まあ私らだよなあ」
アヤセが私と心炉とを見比べて、アメリカのトレンディドラマみたいにやれやれと両手を掲げた。
「いいじゃないですか。生徒の調和を取るのも生徒会の仕事です」
「この場合は、調和を取らされてるように感じるけど」
八畳程度の和室の部屋には、既に三人でそれなりにスペースの確保が行われていた。
何も言わなくても布団ひとつ分くらいのエリアを示し合わせてゾーニングできるのは、お国柄というやつなんだろうか。
「ああ、まあ、こうなりますよねえ」
いくらかのタイムラグがあって、残るふたりの部屋メン――琴平さんと雲類鷲さんも合流する。
「お前ら、奥側にすんの? じゃあ、あたしらは入口側でいいか」
「どうせ寝る時くらいしか部屋には戻ってこないでしょうし、どこでもあんまり変わらないですよ」
そう言って二人は、残った入口側のスペースにそれぞれの荷物を広げ始めた。
八畳の部屋も、五人も詰め込まれればギュウギュウ詰めだ。
本を読む程度ならまだしも、筆記用具やノートを広げるにはあまりに手狭。
休憩時間や、夜の自由時間もロビーやら、講義室として机を並べて貰っている宴会場やらで過ごすのが基本になってくるだろう。
私としてもその方が、いつもの面子で集まりやすいのでいい。
そりゃ、ユリと同じ部屋の方が良かったけれど……あくまでこれは学習合宿なんだから、そこはぐっと堪えよう。
そこからはスケジュール通りに、テストテスト飯テストテストテストテスト飯テスト。
テストの数足りてるかな。
数えなおすのも億劫なので、間違っててもやっぱり雰囲気で伝われ。
教科分けは共通テストと同じものだけど、量はどれも間の休憩時間を含めて一時間程度で終わるぐらいに抑えられている。
代わりに問題の内容は「点を取らせるテスト」ではなく「間違えさせるテスト」とでも言うべき、ちょっと意地悪な設問ばかり。
だから問題数は少なくても、妙に疲れが溜まる。
すべてのテストを終えて自由時間になったころには、大半の生徒が大浴場の浴槽につかりながら、ぼけーっと虚空を見つめるだけの屍になっていた。
「女子しかいないから、男湯も女用に開放されてるのはありがたいよねー」
「でも先生たちとかどうすんの? ウチらの消灯時間の後とか?」
「女のセンセは後で入るけど、男のセンセは部屋のユニットバスだって」
「うわ、かわいそー。温泉なのにねー。どんだけ良かったか明日教えてあげよ」
そんな無駄話を交せるのは、一部の体力馬鹿な生徒だけで。
私はというと、彼女たちの会話をラジオのトーク番組代わりにぼけーっとゆでだこになっていた。
「流石の星さんもお疲れのようですね」
髪をタオルでまとめあげながら、心炉が隣に腰かける。
私は視線も送らずに、「あー」と口だけで返事を返した。
「今日のは、下手に全部解ける人間の方が疲れるヤツだし。チンプンカンプンなヤツの方が、捨てるつもりで問題を飛ばせる分、楽だったと思うよ」
「確かにそうですね。明日はゆっくりとその解説ですし」
「まあ、チンプンカンプン過ぎてもこうなるけど」
私は隣でぶっ倒れてるユリを指さす。
つられて目をやった心炉が、びくりと、警戒するように震えたのを感じる。
「これは……え、大丈夫なんですか。放送できないような顔してますけど」
「後生だから記憶からは消しといてあげて」
「はあ……たぶん忘れられないと思いますが」
放送できない顔でぶっ倒れるユリは、時おりお経のようにカタコトの日本語を呟く。
「ナニモワカラナイ、アタシツイテケナイ、ガッシュクコワイ」
「合宿大好きマンが何言ってるの」
「コレ、ガッシュクチガウ、タダノゴウモンネ……」
「後でお菓子あげるから、このあと予習――あれ、この場合は復習? まあ、どっちでもいいけど、寝るまで頑張りな」
「お菓子! やったー!」
「それだけで復活すんなよ。動物園の猿じゃないんだからさ」
「うー、あげないからね、うー」
「威嚇すんなよ。ほんとに猿かよ」
アヤセは呆れた様子で、温泉水を顔にぱしゃぱしゃとかけていた。
私もそれに習って顔に温泉をまぶす。
まずは一日目。
このまま何事もなく残り三日も過ごせればいいんだけど……そうはならないのがウチの学校で。
事件は既に水面下で起こっていた、のかもしれない。