合宿の前日は入念な準備に追われる、というのは常のような気がする。
普段の旅行なら、忘れ物をしても最悪現地で揃えればいいか、なんて割り切ることもできるけど、こと学生の合宿となれば大抵は郊外の山奥だったり、人里から大きく離れた場所になるパターンが多い。
観光地でなければ、コンビニすら近所にない。
となれば、忘れ物=死、なんて状況に陥ることも珍しくはない。
言い過ぎではなく。
今回のホテルも立地としては山奥のリゾート地。
これが軽井沢なんかだったらお店もいろいろあるのだろうけど、地方のリゾート地なんてのはシーズンごとの客足に差がありすぎるので、ショップすらもシーズンしか営業してなかったりなんてこともよくある。
はたまた秘境体験を兼ねるために、現代的な設備の一切を廃していたり。
つまるところ、お店はない。
「星ちゃん、明日から旅行なんでしょう。お小遣い大丈夫?」
準備してるところに母親がやってきて、そんなことをのたまう。
私は顔をあげて、首を横に振る。
「旅行じゃなくて合宿なんだけど……それにお金あっても使う暇ないよ」
「あらそう? せっかくの避暑地なのにねえ」
「遊びに行くんじゃないんだから。てか、去年もあったんだからわかるでしょ」
私がそれだけ詳しいのも、去年に姉という試金石に散々土産話を聞かされたからだ。
試金石というには、アレは金剛なみに硬そうだけど。
「お姉ちゃんは、何でもかんでも気づいたら全部ひとりで終わらせてたから、お母さんいまいちよく分かってなくて。ほんと手のかからない子だったわあ」
「私は手がかかるってこと?」
「そういうわけじゃないんだけど、お母さんもお母さんっぽいことしたくって」
お母さんっぽいことって何だろう。
そんな曖昧な理由で干渉される方が対処に困るんだけど。
「だからはい、お金あげる」
「それは一番違う気がするけど」
でもくれるというものは貰っておく。
昨日の買い物で、日用品も一緒に買ったら思ったより使ってしまったし。
お礼を言って、舞い込んだ樋口一葉を財布にしまう。
「でも、お塾でもないのに合宿だなんて、高校の先生は大変だね」
「ウチが特殊なだけじゃない」
少なくとも、周りの高校でそんな話は聞いたことがない。
研修旅行みたいなのであれば、あるところもあるみたいだけど。
都市部と違って塾にいくのが当たり前ではないから、その分――という触れ込みではあるけれど、だからと言って合宿まで企画してしまうのは、教師陣すらウチの高校らしいってことなんだろうか。
頭が下がるけど、同時によくやるなって、冷静になるとちょっとヒく。
仮に将来高校教師になっても、ウチの学校だけは職場に選ぶまい。
なる予定はないけど。
そもそもユリとアヤセいわく、私はものを教えるのが下手くそらしいし。
そりゃ、こっちが分かってることを分からない相手に伝えるなんて、「なんで分かんないの?」状態だし。
ユリに至っては、何が分からないのかも分からないし。
お前よくこの学校入れたなって感じだし。
別に拗ねて言ってるわけじゃないよ。
念のため。
そういう意味では、いつだがアヤセに「ウチの高校の合格者は、トップとドベで百点くらい差がある」って話を聞いたことがある。
噂程度のものらしいけど、倍率一.二倍程度じゃ妥当な数字のような気もする。
公立だから足切りもない。
定員いっぱいまで上から順に合格通知を出すだけ。
この辺だと女子校(書類上共学だけど、めんどいのでもう女子校ということにする)はウチと、だいぶランクが下がるもう一校と、お嬢様学校な私立がひとつしかないから、必然ワンチャン狙ってウチに願書を出す受験生は多くなる。
定員割れしていないのは、たぶんそういう理由からだろう。
進学クラスがある私立校ですら定員割れをするのが地方の少子化クオリティだ。
そもそも、受験で自分が何位だったかなんて分からないわけだけど……だからドベがどのくらいの点数なのかも、真実は「自分こそそうだ」と感じる本人しか分からない。
親しき中にも礼儀ありだと思ってこれまで気にしたことはなかったけど、今度さりげなくユリにでも聞いてみようか。
あくまでちょっとした興味として、気分を害しない程度に。
たぶんあっけらかんとして答えるか、覚えてないかのどっちかだろうけど。
だいぶ話が脱線してしまったけど、とにもかくにも明日から合宿だ。
三泊四日。
普通に長丁場。
事前のスケジュールでは、初日は一日テスト。
二日目にその自己採点と見直しを中心に講義があって、三日目にもう一度テスト。
四日目に再び自己採点と見直しという、ひたすらトライ&エラーのような構成だ。
夕食後にも講義スケジュールがあるので、自由時間は寝る前の入浴を含めた三時間程度しかない。
本当に遊んでいる暇なんてない。
ないけど、いろいろあって修学旅行が一泊二日の温泉旅行だけだったから、私たちの学年に限って言えばこういう機会は初めてだ。
テンションが上がらないわけがない。
その辺はきっと、他のクラスメイトたちと何も変わらない。
もちろん勉強をしにいくって気持ちでいっぱいだけど、言うなればアメとムチのアメ。
酸いも辛いも甘いもある梅キャンディ的な。
要するに、これは「楽しみだ」っていうこと。
買い物でついつい量が多くなってしまったのも、日も沈まないうちから忘れ物がないよう荷造りをしているのも、全部楽しみだってこと。
貰ったお金で、日持ちするお菓子でも買っていこうかな。
流石にバッグに入りきらないか。
部活に出てない分、長期遠征の機会もないからって旅行鞄を新調することも無かったのが仇になった。
京都の時はそれこそ現地調達もできたから、最低限の荷物で何とかなったけど……いや、ここはいけるとこまで行っておこう。
二学期からはイベントらしいイベントもないし、これがほとんど最後の機会みたいなもんだ。
私は階段を駆け下りてって、居間で録画したドラマを見ていた母親に声をかけた。
「旅行鞄、おっきいの貸して」
「あら、入りきらなかった? 確か一週間用が押し入れのどこかに……」
「そこまで大きいのはいらないんだけど」
流石にでかすぎるので、もういっこ小さいサイズの四泊五日用を借りて、何とか荷物を詰め込みきった。
何があるか分からないから、特に着替えを多めに。
寝巻代わりのジャージも、こうして荷物として詰めてみると案外場所を取るもんだ。
それでようやく準備は万端。
後は今夜はちゃんと早く寝るだけ。
こういう時にあんまり寝付けないのだけが心配だけど。