休日の真昼間に家から追い出されてしまった。事の発端は、つい先ほどの母親のひとこと。
「今日この後、エアコンの清掃業者くるから、しばらく外出てなさい」
「このタイミングで? もう日中とか使ってるんだけど」
「なんか今年は混んでたのよ。土日だと今日しか空いてないって」
単純に連絡するのが遅かったのでは……とも思ったけど、急に暑くなったせいもあるだろう。
いつもならまだ扇風機で対応できる時期のはずなのに、今年は除湿の力を借りないと、暑さも湿気も既に限界だ。
「別に外出る必要ないでしょ。部屋のエアコン掃除してる間は、仏間なり開いてる部屋で勉強するから」
「またそう言って、勉強ばっかりするんだから。少し息抜きもしてきなさい」
「してるし。それに世の親は普通は逆のこと言うと思うんだけど」
昨日だって出かけたし、何もない日も散歩なりなんなり適度な息抜きはしている。
それを知ってるか知らないかでとやかく言われたくなんてない。
「どっちにしろ、お昼ご飯もないから外で食べてきなさい。お金あげるから」
「え……何で無いの」
「ついでだから冷蔵庫も掃除しようと思って、昨日の夜に食材全部使っちゃった」
ああ……そう言えば昨日の夜、キムチ鍋だったっけ。
辛味噌味なら何突っ込んでも食べられるからっていうカレーみたいな理論で、ウチの在庫処分セールはだいたい味噌ベースのキムチ鍋だ。
もう夏なのになんで鍋なんだと思ったら、そういうことだったらしい。
美味しかったけど。
「じゃあ麦切りとか」
「今年はまだお爺ちゃん家から届いてないよ」
「ご飯炊いてお茶漬けで食べる」
「その頑なに外に出ない姿勢はなんなの」
何なのと言われても、単純に暑いのが嫌なだけなんだけど。
冬は着こめばいくらでも耐えられるけど、夏はいくら脱いでも暑いものは暑い。
「とにかく行ってきなさい。はい、出た出た」
「その頑なに外に出そうとする姿勢はなんなの」
そんなこんなで炎天下に追い出されたというわけだ。
別に引きこもりってわけでもないのに、対応が完全にそれで納得いかない。
しかもこういう日に限って快晴なんだから、帽子をかぶっていてもなおキツイ日差しに目がくらみそうになる。
目的がご飯なのに、あったはずの食欲だってなくなってしまう。
逆に、ダイエットにはちょうどいいのかもしれないけど。
炎天下ダイエット――字面から既に不健康感がバリバリ伝わってくるうえに、仮にどこぞのインフルエンサーが提唱してもやりたいとは思わない。
それで、結局何を食べようか。
街の中心までやってはきたけど、既に食欲は最低レベルまで減衰している。
どっかのカフェでカロリーだけでも摂取していこうか。
ほら、タピオカミルクティーは点滴ですとかいう人もいるし。
そう思って店の前までやって来た時、ガラス張りの壁ごしに見覚えのある姿が見えた。
遠くからでも目を引く色素の薄い髪の人物と、それに向かい合って座るひょろっとした長身の人物。
あれって雲類鷲さんと琴平さんじゃないだろうか。
コトヒラと書いてコンピラです。
うん、なんか嫌でも覚えてしまった。
見たところ、お茶をしながら試験勉強をしているようだけど。
こういうときしれっと声を掛けるか、見なかったことにして店を変えるかで人間性がよくあらわれる気がする。
特筆するまでもなく、私は後者だけど。
ただ私というやつはどうしようもなく運がないもので、踵を返そうとした瞬間に、ちょうどひと息ついて顔をあげた琴平さんとバッチリ目があってしまった。
流石に彼女も私に気づいたようで、ニッコリとわざとらしい笑顔を浮かべて大きく手を振って来た。
そんなことをされたら当然、雲類鷲さんの方もつられて私に気づく。
これでこのまま帰ったら私、薄情なやつじゃないか。
仕方なく当初の予定通り、店に入ることにした。
「やあ会長サン、奇遇ですね。もっともこの場合、奇遇なのはワタシたちの方だと思いますが」
「奇遇にあっちとかこっちとかあるの?」
「ほんとならこんなとこに居る予定じゃなかったんだよ。いろいろ事情があってな」
雲類鷲さんがうんと背伸びをして答える。
何やら事情がありそうだけど、とりあえず何も買わずにくっちゃべるのはお店的にマナー違反な気がするので、アイスのカフェモカを注文してから再度合流する。
お昼ご飯はもうこれで大丈夫かな。
品を持って席に戻ると、ふたりも一端休憩にするつもりなのか、テーブルの上の勉強道具たちは綺麗に片付けられていた。
「それで、会長サンは何をしてらしたんです?」
「何っていうほどではないのだけど、しいて言えば散歩?」
「狩谷は家この辺なんだっけ?」
「ここからだと、学校に行くのと同じくらいの距離かな」
「確かに、ちょっと散歩ってくらいの距離ですね」
「ふたりはこの辺……ではないよね、確か」
「ええ。市内ではあるんですが、ワタシたちは十中学区なので」
「ああ、モールの方の……というか〝たち〟ってことは雲類鷲さんも? それで休みなのに一緒だったんだ」
「いや、別に、おな中だから仲良しとかそういうんじゃねーよ」
「じゃあ、どういう仲良しなんです?」
「いや、それは……」
琴平さんのすかさずのツッコミに、雲類鷲さんは気まずそうに口ごもる。
確かによく分からない否定の仕方だった。
照れ隠しかな。
「ちなみに会長サンはどこの学区なんです?」
「私は四中」
「ああ、あそこ剣道部強いですよね」
「強いことは強いけど、それがどうしたの」
「いえいえ、何かってわけではないのですが」
そう言って彼女は、氷が解け切ったらしいアイスコーヒーのグラスを傾ける。
私もつられてカフェモカを啜った。
「そっちこそ、なんでこんなとこに? それこそ十中学区からなら遠いでしょ」
尋ねると、雲類鷲さんが大きなあくび交じりに答える。
「こいつと、あともうひとり別のやつと試験勉強する約束してたんだけど、そいつが学校に用事できちまってよ。あ、そいつってのはもうひとりのヤツのことな」
「そうなんだ」
「だったら県立図書館でも行くかって話になって……そんで、あたしらはここで用事が終わるのを待ってるってわけだ」
図書館。
なるほど、そういう選択肢もあったね。
また家を追い出されそうになった時の選択肢に入れておこう。
「そう言えば会長サン、台本の方はもう読んでいただきました? 夏休みに入る前に、一度みなサンで軽い打ち合わせをしておきていのですが」
琴平さんの言葉に、記憶の端に追いやられていた映画のことを思い出す。
それこそすっかり忘れていたし、台本もまだ読んでない。
コピーして生徒会のみんなに配りはしたけど……模試に期末テストと忙しかっただけで、決して意図して読んでなかったわけじゃない。
ほんとに。
決して。
怖くて読んでないわけでは。
「それは構わないけど。そう言えば、結局、配役とかもわからないし」
「全員が全員、メインキャストになれるわけではないですからねえ。ええ、もちろん、幹部役員の方には何かしらかはやっていただきますが」
「それは確定事項なの?」
確かに姉も先代も去年の映画に出てたけどさ。
琴平さんは、一切の遠慮も悪びれる様子もなく頷く。
「こういうのは身内ネタが大事ですので。〝見知ったあの人が変なことやってる〟って内輪感そのものがエンターテイメントなんですよ。ようはガキ使です。ガキ使」
「そんな、年に一度の大型コンテンツと一緒くたにされても」
「まあ、そんな気負うなって狩谷。どうせ学生の自主製作なんだから、ちょっとチープなくらいでちょうどいいだろ」
「流翔ちゃん、それ何目線ですか。それにチープなんじゃなくて低予算と言っていただきたい。言葉の前向き度が違いますから」
「安っぽいことに変わりはないだろ?」
「予算のない中でどれだけレベルを高められるかが大事なんですよ。予算を盾に妥協するのとはわけが違うのです」
「へいへい、そーですか」
雲類鷲さんは話半分に頷いて、もうひとつ大きなあくびをした。
「ところであいつ、いつになったら来るんだよ。そろそろ長居するのもきついぞ」
「とか言ってると来るんですよ、ほら」
琴平さんが入口の方を指さす。
私はつられて視線を向けて、同時に入店してきたその自分物にギョっとした。
「おまたせ」
さも当たり前のように、制服姿の須和さんがそこにいた。
「狩谷さん、なんで?」
「いや、こっちこそ〝なんで?〟なんだけど?」
首をかしげる彼女に、同じくらいの疑問形で返す。
すると、雲類鷲さんが思い出したように頷いた。
「そう言えば狩谷は普通に知り合いだったな。こいつもあたしらとおな中」
「ああ、そうなんだ」
私には、そう頷くことしかできないけど。
私は三人の顔を順番に見比べる。
中学が同じとは言え、この三人がどうしたら繋がるんだろう。
謎だ。
「狩谷さんも図書館?」
尋ねる須和さんに、私はすぐさま首を横に振る。
「いや、これ飲んだら帰るけど」
「そう」
短く答えて、彼女は注文カウンターの方を振り返る。
「何か買ってくる」
「今日は暑いですからねえ。水分とってからやることやりましょう」
琴平さんが全部言い切る前に、彼女はすたすたと飲み物を注文しに行ってしまった。
相変わらずのマイペースで恐れ入る。
「世の中いろいろあるんだね」
「いきなりなんの話をしてんだよ」
雲類鷲さんには呆れられてしまったけど、そう表現することくらいしか、状況を理解する方法はなかった。
それから、ちょうど須和さんが席につくのと入れ替わりに、私は空になったグラスを持って席を立つ。
気を遣ったとかじゃなくって、ほんとに単なるタイミングの問題だったのだけど、無理に引き留められるようなこともなかった。
こっちは何も持ってきてないし、引き止められても困るんだけど。
内輪感……須和さんも映画に出たりするのかな。
そんな姿が全く想像できないからこそ、なんとなく、見てみたいような気がしてしまった。
きっとこれがガキ使的な感覚なんだと理解した。