7月2日 大人の階段のぼりたい

 ファミレスのボックス席をユリとアヤセと一緒に囲む。

 いつもならその三人だけだけれど、今日はそこに毒島さんの姿もあった。


「テスト期間だというのに、なんで今日なんですか」

「テスト期間だからこそだろ~。すさんだ心を癒してくれ心炉~……ってやだ、おじゃじギャグ行っちゃったじゃん。どうしてくれんの」

「どうもしませんよ」


 隣のアヤセに肩をガクガク揺らされて、心炉はあきれた顔で視線を外す。


「まあ……誕生日は誕生日で祝って、そのあと勉強すればいいでしょ」


 親友のよしみでフォローを入れてあげると、心炉も多少は納得した様子で頷いてくれた。


「それもそうですね。では、お昼ご飯の間くらいの息抜きということで」

「え、なに? この後勉強するの? あたし、何にも持ってきてないよ?」

「いい感じに話がまとまりそうだったのにおまえさあ」


 話の腰を折るユリの頭を、ぐりぐりと押し込めてやる。

 ユリははじめこそじたばたと抵抗していたけど、やがて非を認めたみたいにおとなしくなった。

 それを反省と受け取って、私もそれまでにしておいてやった。


「教科書とルーズリーフ貸したげるから、あんたはそれで保体の勉強でもしてな」

「星、保体の教科書持ち歩いているの? えっちだねぇ」

「高三にもなって、小学生みたいな返しをするな」

「わ~、ごめ~ん!」


 もっかいぐりぐりしてやると、今度こそユリはおとなしくなる。


「その教科書ってもしかして例のアネノートか?」

「なんです〝アネノート〟って」


 アヤセの言葉に、心炉が新鮮な反応を見せた。


「星の姉のノート――略してアネノートだ」


 正式名称はニガテ解体ナントカカントカみたいな感じだったけど、とっくの昔に忘却の彼方に放り去っている。

 心炉も聞いた瞬間は何が何だか理解できていない様子で首をかしげていたけれど、やがて何かが腑に落ちたように頷く。


「ああ、なるほど。学年二位の秘訣はそれですか」

「秘訣ってほどでもないけど」


 わかりやすいというだけで、その実態は要するに教科書の余白に書き込まれた参考書だ。

 それを使って実際に勉強をするのが自分であることには変わりない。


「なんなら、今年の誕生日プレゼントはアネノート一式でもいいぞ」

「馬鹿言わないでよ。それにアヤセは推薦でしょ」

「そうなんですね。ちなみにどちらを志望してるんですか?」

「関東か神戸。どっちも書道推薦で。どっちかと言えば神戸優勢かなあ」

「そういえば書道部でしたね。受かったら受験いち抜けですか……ちょっとうらやましいです」

「落ちたら仲良く共通テストだから、結果出るまでは勉強しなきゃならんのに変りはないけどな」


 不満げに呟いて、アヤセはドリンクバーのカフェ・ラテを啜った。


「てか、そんな気の滅入る話じゃなくって、もっと私の誕生を祝せ!」

「はいはい、おめでとおめでと」

「雑ぅ。祝い方が雑ぅ。なんだよ星、おまえん時はあんなに盛大に祝ったのに」

「何をしたんですか?」

「ステーキパーティ!」


 ユリが誇らしげにどんと胸を叩く。


「ああ、あの焼肉騒ぎ。やっぱりユリさんたちの仕業でしたか」

「大丈夫! 匂いなら8×4で消えたから!」


 だから、8×4でどうにかなるもんなのかそれ。

 当のクラスの本人たちが大丈夫だというなら、消えたんだろうけど。


「でも、その節はご迷惑をおかけしましたので、こちらをお納めください」


 そう言って、ユリはバッグから取り出したプレゼントらしき包みを恭しくアヤセに渡す。


「うむ、苦しゅうない。して犬童屋よ、これはなんぞ?」

「あの日お借りしてスッカラカンにした8×4のお返しでございます」

「プレゼントじゃねーのかよ」


 一瞬で素に戻ったアヤセに、ユリは慌ててもう一個包みを取り出す。


「だ、大丈夫だよ! もういっこあるから!」

「ほんとか~? 二段オチは今時流行らんぞ~?」


 アヤセは、疑いの眼差しで新たに受け取った袋を開ける。

 中から出て来たのは前面に大きく「大人」と書かれたTシャツだった。


「って結局ネタかよ!」

「ネタじゃないよ! お店で十五分も悩んだんだよ!」

「誤差だろ! ほぼ即決と変わらんだろ! だがサンキュ!」

「そこでちゃんとお礼言えるとこ、ほんと尊敬するわ」


 私じゃ呆れてコメントもできないよ。


「良いデザインじゃないですか。芯のある強さを感じます」

「えっ」


 隣で覗き込んでいた心炉がぽつりと呟くようにコメントする。

 聞く人が聞いたら嫌味っぽくも聞こえるだろうけど、その表情も声も大真面目だった。

 私もアヤセも言葉に詰まってその表情をうかがう。


 そう言えば彼女、Tシャツセンスがアレなんだった……ちなみに今日の服装は、子供の落書きみたいな魚の絵に「SAKANA」とローマ字で書かれたTシャツである。

 絶妙なバランスで着こなせてるのは、どんなスキルを駆使してるんだろうか。


「法律が変わって十八歳から成人になったんですから、文字通り大人の自覚を持っていきたいですね」

「大人な~。全然実感ないよな~。一足先に大人になった星ちゃんはどうよ」

「言い方……でも同じく、高校生で成人って言われてもピンとこない」

「別に、成人式あるわけでもないしな」


 成人年齢が下がったところで、成人式は変わらず二〇歳だし。

 もし式の年齢も引き下げになったら、その年だけ三世代合同とかになるんだろうか。

 それはそれで面倒なことになりそうだ。


「よーし、決めた。今年こそカレシ作る!」

「どうしたいきなり」


 すかさずツッコむと、アヤセは右手に大人Tシャツを抱えてぐっと左の拳を握る。


「大人の階段のぼってシンデレラを卒業する!」

「女子校なのに?」

「ばか、学園祭があるだろ」

「女子校の学園祭に来るオトコとつき合いたい?」

「ナシ以外の何物でもないな」


 一念発起したはずの彼女の握りこぶしが、へなへなと力なく解かれた。


「アヤセはてっきりカレシ面女子だと思ってたけど」

「なんですかそれ」

「女友達にカレシ面で接する女子」

「それって何か意味あるんですか?」

「そんな純粋な目で問われても……」


 心炉のストレートな質問と返しに、何て返したもんかと困ってしまう。

 なんていうか意味とか、定義とかじゃなくって、もっとこう、概念的なアレなんだけど。

 認識の共有って難しいな。


「カレシ面ったって、誰にカレシ面すんだよ」

「うーん……後輩ちゃんとか?」

「あー、アヤセ後輩ちゃんに人気だもんねー。この間もデートの御指名受けてたし」

「あれはそういうんじゃねーよ。でも、あえてカレシ面するなら星のカレシかな?」

「ウザ。私はユリで間に合ってるから、心炉のカレシにでもなったげなよ」

「なんでそこで私なんですか」

「そんな投げやりじゃ心炉ちゃん可哀そうだよー。それにあたしはカレシ面じゃなくって王子様面なんだZE☆」


 それじゃあ、ただアホが割り増しになっただけだと思うけど。

 ユリのひと言に、アヤセは腕を組んで小さく唸った。


「うーん、星とユリじゃカレシカノジョってよりは、ママと娘って感じだな」

「なるほど。よーしよし、星ちゃんはいい子だね~」

「なんでユリがママなの。どう考えても逆でしょ」

「え~? じゃあママ~、誕生日に油田買って~?」

「どこの石油王なの?」


 ママプレイ、あり――じゃなくって油田なんて私の方が欲しいわ。

 上目遣いで私のことを見つめるユリを、理性のデコピンで弾き返す。

 すると心炉がじっとりとした目でこちらを見つめていた。


「ほんと、仲良しさんですね」

「しょうがない。やっぱり心炉のカレシ面女子でガマンするか」


 アヤセはそう言いながら心炉の肩に手を回そうとしたけど、間際のところで軽く払いのけられてしまう。


「私、仕方なくを受け入れるほど軽い女じゃないので」

「結局独り身かよー。くそー、私誕生日だぞ、もっとチヤホヤしろ!」


 アヤセの慟哭がファミレスの、主にこのボックス席にだけ響く。

 結局その後もしょーもない無駄話は続いて、ようやくテスト勉強を始めたのはおやつの時間に差し掛かってからのことだった。