主要駅の西口にできたばかり文化ホールは、この街の新しい文化の発信拠点として建てられた。
地方銀行がスポンサーになっているおかげか田舎にしては立派な建物で、大小さまざまなコンサートや舞台の公演が既に決まっているという。
そして今日、わが校の吹奏楽部の定期公演が行われるのもこのホールだ。
「ここ始めて来たけど、こんなでかいのな」
屋外のイベント広場から建物を見上げて、アヤセが感嘆の声を漏らした。
タイル張りの広場は今日は何も催し物がないけれど、長期休暇には出店が並んだり、ちょっとした野外ライブフェスなんかも行えるらしい。
傍らには全国的にも有名なイタリアンの系列店がテナントに店を構えていて、お腹の文化も満たしてくれるようだ。
興味はあるけれど、昨日ラーメンを食い散らかしたところだし、今日は抑えておこう。
「去年は商店街の方のホールだったもんね」
「あそこ、エレベーターもエスカレーターも混むからちょっと不便だったんだよなあ」
ユリが言う商店街のホールは、文字通り商店街の目抜き通りにある複合商業施設の上層階にある。
設備も綺麗だし客席の造りも良いのだけど、大勢の客が集まる公演では数の少ないエレベーターとエスカレーターが激混みしてしまうという欠点があった。
ここならその心配もなさそうだ。
「高校の吹奏楽部の定期演奏会って……こんなに人が来るんですね」
宍戸さんが、広場を行き交う人の波を見ながら、怯えたような声をあげた。
私も同じように当たりを見渡す。
「仮にも強豪校だから。この時期だし、偵察も兼ねてるんじゃないかな」
「確かに、強いチームほど大会前の練習試合の申し込みが増えますからね」
穂波ちゃんも同意して頷く。
さっきからホールの入口に吸い込まれていく大勢の、おそらく定演に来たお客たち。
生徒の親たちらしい人も大勢いる中で、様々なデザインの制服の集団が目に付く。
他の学校の吹奏楽部の生徒か、はたまた単なるファンか。
どちらにせよ、地方大会を控えるこの時期に行われる演奏会に、他校が興味を示さないわけはない。
客引きとしては十分な効果が得られるだろうし、偵察されることも織り込み済みで――なんなら実力を見せつけるつもりでの公演とも言える。
それは強豪校の余裕と貫禄のなせる業かもしれない。
「星先輩は、去年も聞きに来たことがあるんですか?」
尋ねる穂波ちゃんに、私は頷き返す。
「ユリとアヤセと一緒にね」
「やっぱり、すごいんですか?」
「音楽の良し悪しはよくわからないけど……圧倒はされたかな?」
音圧って言うのかな。
こう、ビリビリと肌に響く音の波みたいなのが違ったような気がする。
するとユリが私の肩に手を回して、ぐっとサムズアップをした。
「音楽に言葉はいらないってね」
「あんたは何目線よ。私たちもそろそろ席取らなきゃ」
うっとおしい笑顔を手のひらで押し返して、ホールに歩き始める。
チケットを持っているのは私なので、みんなもつられて歩き出した。
入口でチケットを切って、プログラムを貰う。
正面にはずらっと長テーブルが並んで、そこに出演者へ向けたお花やらプレゼントやらが山になっていた。
穂波ちゃんが、興味深そうにそれを眺める。
「こういうの、アイドルの公演とかだけだと思ってました」
「行ったことあるの? アイドルの公演」
「ないですけど、ステージ裏ドキュメンタリーとか見るのは好きです」
テレビ局系のVODにたまにあるやつね。
フォーティーエイトなグループが昔に映画でやってから、今ではすっかり定着した手法だと聞く。
動画配信サービスやらで誰でも発信者になれる今の世の中では、アイドルだって夢の存在であるよりも、ひとりの人間である姿の方がファンも興味があるのかもしれない。
……と語れるほど、私は今のアイドルに詳しくないけど。
私にとってのアイドルソングは聖子ちゃんの時代で止まっている。
歌いやすいから。
「私、先にトイレに行って来ていい?」
「おう、そんなら席取っとくよ」
そう言ってくれたアヤセに、ユリ含むお子様三人の相手をお願いして、私はトイレに向かう。
さっさと用事を済ませて、さてホールに向かおうかと思ったところで、背後から呼び止められた。
「狩谷さん」
「えっ……ああ、スワンちゃん」
手に大きな花束を抱えた須和さんが、エントランスの向こうからこちらに歩いてくるのが見えた。
コンクールの衣装なんだろう、紺色の冬服セーラーが、真っ白な夏服ばかりの人込みの中で黒点になって目立つ。
「来てくれてありがとう」
「せっかくチケットもらったし……というか、その花凄いね」
「貰ったの」
「だろうね」
花束の中央に「須和白羽様へ」と書かれたメッセージカードが見えた。
彼女は長テーブルの、自分の名前が書かれたスペースにそれを並べて置いて、こちらに向き直る。
彼女のスペースには、他にも小さな花かごやらお菓子の包みやらが積み上げられていた。
「来てるよ、宍戸さん」
「そう」
「あんまり興味ない?」
「演奏を聞きに来てくれるのなら、誰だって嬉しい」
そう語る彼女は、なんだかいつもよりピリついた空気を纏っていた。
それは試合を前にしたスポーツ選手のそれにも似ていて、彼女には今、目の前の演奏会のことしか見えていないんだろうなということが肌で感じられた。
それ以外のことなんて、全部どうでもいいくらいに。
「じゃあ、私は客席に行くから。頑張って」
「ありがとう」
彼女も花束を置きに来ただけのようで、すぐに関係者通路へと消えて行ってしまった。
彼女がいなくなるのと一緒に張りつめていた緊張の糸みたいなのがぷっつり途切れて、同時に、たまたま近くにいたらしい他校の女生徒たちのグループが色めき立つ。
吹奏楽部のエースは、対外的にも有名人で人気者らしい。
確かに、緩やかにスカートのプリーツを翻した彼女の立ち姿は、それだけで絵になっていた。
それからしばらくして開演時間がやってくる。
大勢のお客が押し寄せていたように感じたけど、それでも座席に余裕があるのは、このホールの広さゆえだろう。
約一年ぶりの吹奏楽部の演奏会。
去年来たのは、ユリのたっての願いによるものだった。
私は全く興味がなかったけど、彼女がどうしても行きたいというから、あの人にチケットを貰った。
素晴らしい演奏だった。
同時に、彼女には敵わないなと理解した。
それが今年は私の方から誘って、迷える後輩をこの場に連れて来た。
たった一年でも歳を重ねれば立場は変わるもんだ。
変わらずにあり続けるのは、私とユリの関係だけ。
私はそれを、良いことだと信じている。
信じているけど……。
ふと傍らを見ると、宍戸さんがじっと演奏する部員たちの姿を見ていた。
瞬きも忘れて、その目に焼き付けるように。
その目にうっすらと涙を滲ませて。
「つかう?」
横から、ユリがびしょびしょのハンカチを差しだす。
なんでそんなに濡れてるんだと思ったら、彼女も顔がぐっしょぐしょになるくらい泣いていた。
「情緒不安定かよ」
「音楽に言葉はいらないんだよ……」
小声で突っ込んだアヤセに、ユリはボロボロと涙を流しながら答えた。
流石にこのハンカチは……と思って、私は自分のハンカチをポーチから取り出す。
「あ……ありがとうございます」
だけど、私がハンカチを手渡す前に、宍戸さんはユリのハンカチを受け取ってしまった。
ただ、彼女はそれで自分の涙を拭くことはせず、ぎゅっと握りしめてステージを見つめていた。
「ユリはこれ使いな」
「あ゛り゛か゛と゛う゛」
行き場を失ったハンカチを、代わりにユリに差し出すと、彼女はひったくるように受け取ってぼろぼろ零れる涙を拭った。
これじゃすぐに同じようにびしょぬれになりそうだ。
それに隣でこんだけ泣かれたら、自分が感動してる暇もない。
チケットをプレゼントしてくれた須和さんには悪いけど、今日の私はあくまで保護者でしかいられないようだ。
「わたし……来てよかったと思います」
「……そう」
宍戸さんのつぶやきは、自分自身に当てたものだったのかもしれない。
だけどその想いを繋ぎ止めるように、頷き返すことにした。
人の心を動かせるのはきっと、言葉じゃなくって生き方とか姿勢とか、そういうものだと私は思う。
人はきっとそれを自信と呼ぶんだ。