今日は、アヤセから貰ったチケットでユリと映画デートの日だ。
作品は彼女が見たがってたハリウッドのヒーローアクション系のやつ。
十年近くマルチな展開をしていて、私は全部を観てはいないけど、テレビ放送だったり、姉やユリに連れていかれてちょこちょこかいつまむように観ていた。
話の繋がりなんて全然わかんないけど、それでもそれなりに楽しめる作りになっているのが、この手の演出が派手めの映画の良いところだと思う。
ナンバリングはされてないけど、今日のは前に一作目をやったヒーローが主軸の二作目。
主演の役者が前から知っていて、それなりに好きだったので、他のタイトルに比べれば鑑賞のモチベーションはある――と思って見ていたのだけど。
「聞いてない」
映画が終わって、いつもならちょっとお茶でも……となるところだったけど、私は映画館のロビーのベンチに腰かけてグロッキー状態だった。
「ホラーだなんて聞いてない」
「ホラーじゃないよ!」
ユリが隣に腰かけて、ホットドリンクのカップをくれた。
あまりに打ちのめされた私の代わりに、彼女に買いに行かせた紅茶のカップだった。
「いや、あれ十分ホラーでしょ」
「そうかなあ? 面白かったけどなあ?」
ユリは首を傾げながら、自分用らしいSサイズのコールドドリンクに口をつける。
カップごしには何を飲んでるか分からないけど、たぶんウーロン茶か何かだろう。
濃い琥珀色の液体が、半透明のストローの中を登って、彼女のつやつやした唇に吸い込まれていく。
いや、そんな一挙手一投足に見とれている場合ではなくって。
私は、あつあつの紅茶に口をつけて、おおきくひとつ息をつく。
お腹がじんわりと温かくなってくると、少しは気分も落ち着いてきた。
「前はこんなんじゃなかったじゃん。何でいきなりホラー?」
「えー、ホラーじゃないよ……でもまあ、一作目とは監督さん違うからとかかな?」
「そうなの?」
そういや、ハリウッドって結構そういうのあるって聞いたことある。
シリーズだけど、監督が全然違うとか。特に最近流行りの、このマルチユニバース系だと、色んな作品を同時並行で作っているからどうしてもそうなってしまうのかもしれない。
「今回の監督はサムだから。ホラー映画で売れた人だから」
「やっぱりホラーじゃん」
「ホラーじゃないよ!」
頑なに否定されても、あれはホラーだって。
前の席で見てた家族連れのお子様とか泣いてたし。
泣くのは我慢できた私は、流石にお子様よりはホラー耐性はあるようだけど。
「しょーがないなあ、よし、ラーメン食べいこ!」
ずずーっと飲み物を啜りながら、ユリが拳を振り上げる。
私は、垂れる前髪の間からそれを見上げて、小さく頷く。
「いく」
「よしいくぞう!」
こういう時はカロリー取ればだいたい何とかなる。
それが生きる知恵ってものだ。血肉になるのは今は忘れよう。
「あ、こんばんわ」
学生ご用達の、学校そばの例のラーメン屋に入ったら、カウンターで穂波ちゃんが大盛のしょうゆラーメンをすすっていた。
「あれー、穂波ちゃんじゃん。どうしたの? ひとり?」
ユリはぱたぱたと駆けて行って、当然のように隣の席に腰かける。
そう言えばここ、寮から近いって言ってたっけ。
体がとにかくカロリーを求めていて、何も考えずに来ちゃったなと、自分のお腹をこっそり戒める。
穂波ちゃんは、大胆に器から直にスープをすすって、満足そうにほっとひと息ついた。
「土日は寮母さんもお休みなので、ご飯は寮生たちで準備するんです。でも今週は部活の大会がある人も多いので、各自で済ませようってことになって」
「穂波ちゃん、寮なんだっけ?」
「はい。えっと……あっちの方に歩いて一〇分くらいです」
そう言って、彼女はカウンターごしの厨房の方を指さす。
ちょうどそこにいたラーメン屋のおじさんが、ぎょっとしながら一歩横にずれた。
「いいなー、あたしも寮生になってみたかったなー」
「あんた、自転車すら使わなくていい距離でしょ。すみません、しょうゆラーメンのトッピングメンマお願いします」
「だからこそ憧れるんだよー。毎日が合宿みたいで楽しそうじゃん。あたし、みそチャーシュー大盛で!」
「ここだったらしょうゆでしょ」
「今日はなんかお味噌の気分だったの!」
別に何頼もうともいいけどさ。
一刻も早く胃の中を鶏ガラスープで満たしたくって、気持ちが焦ってるのかもしれない。
鎮まれ私のドーパミン。
「先輩たちは……デートですか?」
穂波ちゃんは、空になった器をおいて小首をかしげる。
空腹なこっちと違ってすっかりお腹がいっぱいになったのか、表情もどこかふわふわとろんとしていた。
「そういうんじゃ――」
「そう。映画館デートだよー」
ない――と言いかけたところで、ユリの言葉が遮った。
すると、穂波ちゃんの表情がぱっと明るくなる。
「おふたりはつき合ってるんですか?」
明るくなったというよりは、ウキウキしてる。
私は、ユリがまたあることないこと言う前に、その口を塞いで羽交い絞めにした。
「彼女、純粋なんだから変なこと言わないでよ」
「まだ何も言ってないよー」
手のひらに、ユリの唇の動きと声が伝わって、ちょっとこそばゆい。
一方の穂波ちゃんはというと、抗議するように私をじっと見ていた。
「純粋じゃなくてお年頃です」
「つまり楽しんでらっしゃると?」
「違います。興味深々なだけです」
心なしか目が輝いている。
これ、絶対にただ楽しんでいるだけだと思うけど。
「あ……大丈夫ですよ。私、口は堅いので。それにウチの地元、同世代の子が少なかったので、学生同士でそういう子もいましたし」
そういう子がどういう子を指すのかは何となく押して知るべしとして、私は咳ばらいをしつつ、ユリを解放する。
「残念だけど、そういうんじゃないから」
本当に残念だけど。
きっぱりとそう口にすると、穂波ちゃんもまた残念そうに肩を落とした。
「そうですか。私しか知らない先輩たちのことを知れた気がしたんですけど」
それから彼女は、がま口から小銭をじゃらじゃら取り出して、カウンターの上に置いた。
「じゃあ、私はお先に失礼します。明日、楽しみにしてます」
それから礼儀正しくお辞儀をして、店を後にした。
誤解はされてなさそうだけど、心なしか疲れたような気がする。
「はい、しょうゆラーメンにメンマと、味噌チャーシュー大盛ね!」
店のおじさんが、カウンターの上にどんぶりを並べる。
香ばしい醤油の匂いをかぐと、お腹が正直にぐうの音をあげた。
「いただきまーす」
ユリが、さっそくチャーシューにかぶりついていた。
私はレンゲでスープをすすって、主張の激しいお腹を黙らせる。
「でも、星なら付き合ってみてもいいかな?」
「ぶふっ」
と思ったら、黙らせる前に思いっきりむせてしまった。
どんな気持ちで言ってんのか知らないけど、ユリはいつものふざけるときのキザったらしい笑顔で顎をさする。
なんだか無性に腹が立って、鍛え抜かれたデコピンをズビシと喰らわせてやった。
「あいたっ」
「アホ言ってないで食いなさい。麺がのびちゃうでしょ」
「はーい。にしても相変わらず痛い……」
ユリは涙目で額を押さえながら、ずるずると麺をすすった。
私も気を取り直して、小麦色のストレート麺をつるつると吸い上げる。
ラーメン屋のカウンターでなんて、時と場所が悪すぎる。
いつものおふざけだろうけど、こんなところを思い出の場所にするのは乙女的に絶対にNOである。
気づくと、今日半日のストレスを発散するようにスープまですっかり平らげてしまった。
はあ……おいしかった。