6月10日 気づかいなんかいらない

 制服の夏服が一番気持ちよく身に着けられるのは、今くらいの時期だと思う。

 夏が本格的にやってくれば、半袖のセーラーを着たってうだるような暑さで参ってしまうし、その残暑も衣替え直前までダラダラと続くのがここ数年の気象事情だ。

 こと湿気というやつが嫌いな私は、空気が澄んで、空も程よく遠いこの初夏が一番過ごしやすいと感じる。


 だから、昼食を屋外でとるなんていう行為も、もしかしたら今が最後になるかもしれない。


「ユリはなんだって?」

「今日は部活のランチミーティングだってよ」


 アヤセとふたり、中庭のベンチに身を預けてぼんやりと食後の余韻を楽しむ。

 血糖値の上昇による思考の低下。

 お腹が一杯になったら眠くなってくるというやつも、今では科学的に解明されている時代だ。


「ふたりっきりってのも、なんか久しぶりじゃないか?」


 アヤセの言葉に、私はぼんやりとここ最近の記憶を思い返す。


「そうかな」


 そうかも。

 でも細かい記憶を掘り起こす前に、大きなあくびに襲われて、なんかどうでもよくなってしまった。


「星よぉ、お前もうちょっとこのアヤセちゃんとの時間を楽しめよな」

「たぶん楽しんでるよ」

「全くそうは見えんのだが」


 ぐいぐいと彼女の肘に体を揺らされながら、私はもうひとつあくびをした。

 なんか今日は、頭の中がすごくぽわんとしている。

 語彙力が低下するくらいに。

 昨日のハーブティーのせいかな。

 だとしたらすごい効果だけど。


「三年になってからなんだかいろいろ目まぐるしくって、こうしてたまの安らぎを楽しんでるでしょ」

「安らぎねえ。確かに星〝先輩〟はいろいろ忙しそうだもんな」

「それだよ、ほんと」


 先輩、を強調したアヤセに、私は素直に頷き返す。

 すると彼女は、当てが外れたように肩をすくめた。


「今日はずいぶんと素直じゃないの」

「実際にさ、まあ……面倒だよね、後輩の扱いって。なんでこんなに気をつかってんだろって思う」

「星ちゃんは、基本的は根が優しいからな」

「そういうんじゃないと思うけど」


 これはきっと優しさなんかじゃない。

 たぶん……なんていうか……そう、ちゃんとしていないのが嫌ななんだと思う。

 後輩たちがどうこうじゃなくって、私自身が自分の行動に対して、ちゃんと責任をとりたい。

 だからこの面倒さも、後輩ちゃんたち自身を疎ましく思っているわけじゃなく、自分の対人スキルの低さを嘆くものだ。


「根本的に、こういうの向いてないんだって」

「一年の時から孤高の女王様だもんな」

「ちょいちょい出てくるその呼び方、なんかむずがゆいからやめて」


 胸元からみぞおちにかけたあたりが、なんだかちくちくする。


「そう? 割とお前、クールビューティな感じで通ってるけど」

「んなわけないでしょ、あほくさ」


 戯言はあくびと一緒にかみ殺して、マイボトルのお茶を飲む。

 やっぱり食後は緑茶に限るね。


「ほんとにそう思ってるんだとしたら、そいつら見る目なさすぎ」

「だよなあ。こんなに健気で可愛いのに」

「あんたは論外」

「それは流石にひどい……最初に声かけたの私だろー?」


 そうだったっけ?

 ユリとちゃんと出会ったときには、確かにもうアヤセとはつるんでいたけど……その出会いのエピソード的なのはすっかり記憶から抜け落ちている。


「もしかして……私との馴れ初めまったく覚えてらっしゃらない?」


 たぶん、怪訝な顔で見つめてしまっていたせいだろう。

 アヤセは若干笑顔をひきつらせながら、首をかしげた。


「席が前後だったとか、そんなんじゃなかったっけ」

「確かに席は前後だったけど……ええ、マジかよ」

「そんな衝撃的なエピソードあったっけ……?」


 むしろ、そんなんあるならこっちが聞きたいよ。

 でも彼女は、拗ねたみたいに顔を背けてすんと鼻を鳴らした。


「んな友達甲斐のないやつには教えてやーんない」

「ああそう」

「ああそう――って、もうちょっと興味持とうや」

「教えたいのか教えたくないのかどっちよ」

「構って欲しいんだよ、わかれよー」


 また肘でぐいぐいと体を揺らされる。

 それがちょうどいいゆりかごみたいで、余計に眠くなってきてしまった。


「こっちは食後のまどろみの中なんだから、わかってよ」

「ぐう……やはり我ら、分かり合えぬ宿命か」

「ぐうの音が出たからこれでおしまいね」

「ちぇー」


 アヤセは唇を尖らせて、ベンチの背もたれにぐったりと背中を預けた。


「そういや、明日ユリと行く映画って決まってんの?」

「ああ、メッセージで来てたけど……なんか、アメコミ系映画の新しいやつみたい」

「大丈夫かそれ。あれ系って、なんだかんだ全部見てないとよくわかんないぞ」

「今までも付き合わされて、かいつまむように観てるけど、その都度それなりに観れてるし」

「すげー、愛のない鑑賞をしてるな……コアなファンに会ったら絶対言うんじゃねーぞ、それ」


 言われなくたって、明らかなファンの会話にわざわざ混ざりに行くようなことはしない。

 それに私の場合は何を観るかよりも、誰と観るかの方が大事であって、ひとりでゆっくり好きな映画を観るなら、家族で登録してるVODサービスで十分だ。


「ちなみに私まだ観てないから、感想爆撃はやめてくれよな」

「しないよ、そんなこと」


 語るほどの熱が残っているかもわからないし。

 それにユリもそういうのはマナーを守るもんだ。


「そっちこそ、お茶屋さんの優待券使ったら御贔屓にしてあげて。あと毒島さんに感想言っといてあげて」

「そりゃもちろんだけど、そこまで念を押すなんてどうした?」

「いろいろあるの」


 優待券がちゃんと有効に使われたことだけは教えてあげないとな。

 それで私の肩の荷も下りるだろう。


 うつらうつらと、本当に眠ってしまいそうになったところで、昼休み終了のチャイムにたたき起こされる。

 私たちはどちらからともなくうんと伸びをして立ち上がると、食べ終えた昼食の荷物を片付けた。


「じゃ、今日は生徒会もないしまた日曜にな」

「現地集合だから、遅れないで」


 そう約束を交わして、それぞれの教室に戻る。

 そんな、何にも気をつかわなくていい、一時の安らぎの時間。