交流会に向けた生徒会の雑務を終えて、役員はそれぞれ自分たちの部活に向かう。
宍戸さんも、今日は料理愛好会の活動があるらしく、珍しく真っ先に生徒会室を後にした。
日曜日にある吹奏楽部の定期演奏会の約束はなんとかとりつけられたけど、彼女自身はやっぱり少し気が引けるというより、怖がっているように見えた。
それでも断らなかったのは、私の圧に負けたのか、それとも彼女自身も前に進もうとしているのか。
音楽の世界に戻ることを「前」と表現してしまうのは、私自身の中ではもう応援すべき方向が定まっているからだろうと思う。
「お疲れ様です、会長。この後、ちょっと時間ありますか?」
帰り支度を整えていると、唯一部屋に残っていた毒島さんが声をかけてきた。
「あるけど、そっちは部活はいいの?」
「英語部は基本的に開店休業状態ですので」
そういえば英語部だったっけ、毒島さん。
スピーチコンテストとかがないと、それほど目立った活動はないと聞いている。
ユリ曰く、本校の三大謎部活のひとつ。
実際、その名前からは何をする部活なのか全く想像がつかない。
私は、壁掛けの時計を見上げて答える。
「あんまり時間がかからないなら……ほら、模試の勉強しないといけないし」
「調子はどうですか?」
「ぼちぼちかな」
「ぼちぼちで私に勝つつもりなら大したものです」
社交辞令的な返しのつもりだったけど、言葉のままに受け取られてしまった。
いや、たぶんわかったうえで、そのまま返してきたような気がするけど。
「それもそうだね。実際のところ本気で取り組んではいるつもり」
「ならよかったです」
定期テストを目前によくある、「いやあ、全然勉強してないわ」みたいなのはこの際なしだ。
互いに万全だと言い合ったほうが、ちょうどいい緊張感を保てる気がする。
「ちなみに、中間試験はどうでした?」
「狙った点は取れてるよ」
「そうですか。なら、安心しました」
そう言って彼女は、長机に置いた自分の鞄をあさり始める。
「あれ……どこかに連れていかれるんじゃないの?」
すっかり部屋を出るつもりで、スクールバッグまで担いだ私に、彼女は鞄から取り出した可愛らしい包みを見せる。
どこかで見たことがあるようなロゴ……確か、昨日貰ったお茶屋だかなんだかの優待券に書かれたのがあんなだった気がする。
「お試しに、少し飲んでいきませんか?」
「ああ……そうね」
私は、表情がひきつりそうになったのを抑えて頷く。
貰った直後にアヤセにあげたなんて、言わないほうがよさそうだ。
「みなさんの分を用意できたら、会議中に振舞ってもよかったのですが。家にあったのがこれっきりで……あ、準備している間にご自分のことをされてて大丈夫ですよ」
電気ケトルでお湯を沸かしながら、毒島さんは部屋に備え付けのポットやカップを取り出して、てきぱきとお茶の準備を進める。
自分のことって言われても……堂々と勉強するのも気が引けて、とりあえず英単語帳でもめくることにした。
やがて、部屋の中にハーブティー独特の薬っぽい香りで満たされていった。
知識なんてさっぱりないので、これがなんのハーブの香りかなんて言い当てられないけど、ドリンクバーとかで飲めるティーバッグのものとは全く違う種類のハーブなんだろうなということくらいはわかる。
「お試しなので、お店で固定で売られているブレンドのものです。リラックス効果と、消化器を整える効能があります」
「要するに胃腸に優しいってこと?」
ちょうど、胃がじくじくしてきたところだったのでちょうどいい。
ここはありがたくいただいておこう。
「口をつけるまえに、湯気の香りをたっぷりとお吸いになってください。香りの中にも有効成分が含まれてるので、まずは鼻から。そして実際に飲んで口、胃腸から。そうやって、ハーブを全身で楽しむんです」
「そう言われると、危ないお薬みたいに聞こえるけど……」
「茶化してるのはこっちなんですから、つべこべ言わずにどうぞ」
私は傍らに単語帳を置いて、差し出されたティーカップを手に取る。
暦の上では夏とはいえ、本格的な猛暑がやってくるまでは、まだまだ暖かい飲み物がおいしい。
ええと……先に香りからだっけ。
うん、いい匂い。
それから飲んで……うん、苦いお茶の味。
「やばいね」
やばいのは私の語彙力だけど。
いや、とてもおいしい。
安いハーブティの、舌の根元がイガイガするようなえぐみが全くなくて、爽やかな苦みと、そのあとにほんのりとした渋み――くらいしか、私にはお伝えできない。
もういくらか詳しければ、また別の表現もできるんだろうけど、今はお茶の語彙力を頭に入れるよりも英単語をひとつでも覚えるほうが重要だ。
「お気に召していただけましたか?」
「美味しい。確かに勧めてくれただけある」
「よかったです。他にもお店のブレンドは種類がありますし、身体や心の悩みを伝えると、それ用のブレンドも作ってくれますよ。多少、値段は張りますが……」
「ちなみに毒島さんは、いつもなんて注文するの」
「抗不安と安眠と整腸と……って、何言わせるんですか」
「まさか答えてくれるなんて思わなくて」
「まったく、デリカシーがないですよ」
すっかり怒られてしまった。
そんな時こそぜひハーブティーを――と思いはしたけど、流石に口には出さずにおこう。
「お気に召していただけたなら、ぜひお買い求めになってください。そうそう、昨日お伝え忘れてしまったのですが、お店に行ったときには私の名前を出していただけると」
「ああ、チケットに書いてあったの見たよ。ただあれ……アヤセにあげちゃったけど」
「ええっ! あげちゃったんですか!?」
「いや……すごく欲しがってたからつい」
「がーん……そうなんですね」
なんか、久々に聞いたなそのフレーズ。
毒島さんは、すっかり気を落としてしまって、ちょっと泣きが入りそうなくらいだった。
「彼女もお店の価値わかってて欲しがってたから、ちゃんと御贔屓にしてくれると思う」
そういう問題じゃないと思うけど、なんかフォローしとかなきゃなと思って言葉を添える。
「わかりました。別にいいですよ。喜んでもらえたなら何よりです」
「そう」
毒島さんも納得してくれた様子で、溜息交じりに許してくれた。
「でもお試しで飲ませてもらって、ちょっともったいないことしたなって思ってるよ」
「なら……また飲みたくなったら私に言ってください。持合いのものでよければ準備しますから」
「あ、そう? じゃあ少し得したかな」
「得?」
「ああ……いや、なんでもない」
そういえば、映画のチケットと交換したことは言ってなかったな。
うっかり口を滑らせそうになってしまったのを、寸前で飲み込めた。
首をかしげる彼女をごまかすように、程よくぬるくなったカップの残りをひと口でいただく。
わらしべ自体に何も罪はないはずだけど、今度お茶菓子か何かお詫びに持ってこよう。
じゃないと、せっかく調子を取り戻した胃腸がまたキリキリしてしまいそうだ。