突然響いた咆哮に、俺も、セリンも、スピカも、セイレーンも……そして遺跡をねぐらにしている絡新婦たちも騒然となった。
まるで地の底に封じられた悪魔が生贄を求めているようだ。
遺跡の中に隠れていた絡新婦たちが、青い顔をして遺跡から飛び出してくる中――俺たちは、咆哮が木霊する暗い遺跡を覗き込んだ。
「いったい、なんの叫び声だ?」
「お父さまの咆哮には劣りますが――人間はもちろん並のモンスターには発せないものかと。旦那さま、どうかお退がりください。危のうございます」
「ぴぃっ! おにいちゃん、もうかえろうよぉ~!」
「あらぁ~? いったいなんやろか?」
どうやらルーシーにも心当たりがないらしい。
まったく状況が掴めないが、領主として見て見ぬふりもできない。
「……中の様子を探ろう」
「旦那さま! 危険だと申したではございませんか! 領主が命を軽んじては……!」
「大丈夫。ちょっと様子を見に行くだけだ。それに、こういう時に行動しないのは、男としても領主としても、面目がたたぬだろう?」
「勇気と無謀は違います! 君子危うきに近寄らずですよ」
セリンの言い分はもっともだった。
ここで俺が逃げても、誰も文句は言わぬだろう。
しかし、それよりも声の主が気になった。
もしもそれがモロルドの領民に危害を加えるものなら――この場から逃げ出すことはできない。領主として、立ち向かう必要があった。
着いてこなくていいと前置きし、俺はたいまつを手に遺跡へと踏み入った。
セリンも心配しているし――手ばやく確認しよう。
絡新婦たちのねぐらは削り出された石でできており、見事なまでの細工に息を呑んだ。
ただ、それなりの歳月が経過しているのだろう、廊下の石畳にはヒビが入り、咆哮に揺れる天井からは埃が降ってきた。
咆哮を頼りに暗闇を進めば――ひときわ、大きな石扉が目に入る。
天井まで伸びるそれは、とても人の手では開けられない。
それが左右に開いている。
さきほどの咆哮となにか関係があるのだろうか?
その時――。
「……誰だ⁉」
背後に気配を感じ、俺は慌てて振り返った。
「あらぁ~? この扉が開きよったんやな。どないやっても開かしまへんから、てっきり飾りやと思とったんに、不思議なこともあるなぁ?」
「なにのんきなこと言ってるのよ!」
「ぴぃいぃ……! こわいよぉ、くらいよぉ……! ぴぃいぃ!」
「セリン、ルーシー、ステラ! 着いてきたのか⁉」
そこにいたのは俺の頼れる夫人と愛人。
「旦那さまを危険にさらすことはできません! 死ぬときは一緒です!」
さきほどまでの弱気はどこへやら。
危険な冒険への随行を申し出るセリン。
「田舎娘の言うとおりなんは癪やけど、ここはうちのねぐらやさかい。きっちり旦那はんを案内せな、筋が通りまへんやろ?」
この遺跡の主にして、誰よりも構造を知っているルーシー。
「すてらは、こわいからはやくかえりたいよ? けど、おに~ちゃんがしんぱいなの!」
そして、勇気を出してついてきてくれたステラ。
「みんな……ありがとう!」
ますますもって心強い妻たち。
俺は、彼女たちを娶ったことを、あらためて神に感謝した。
そんな中、たいまつの火が消える。
開いている扉の奥から――強い風が急に抜けて、火を消したのだ。
どうやらこの扉の先は、天然洞窟にでも繋がっているみたいだ。
「ぴぃいいいいいいいッ! くらいいいいッ!」
「だいじょうぶやえ。周りに気配はあらへんから。ほら、ステラはん、ちょっと落ち着きなはれ。そうせんと……羽むしって、丸焼きにして、食ってまうで?」
「ぴっ、ぴっ、ぴぃぃっ……」
愛人の冗談を真に受ける第二夫人どの。
姿は見えないが――きっとセリンに抱きついて、ルーシーから身を隠しているに違いない。そして、このからかい方は間違いなく、見えていないとできないものだ。
「ルーシー、夜目が利くのか?」
「この遺跡はうちの棲処ですのん。そら、見えへんところに棲んだりしまへんやろ」
「そうか、なら――このまま、俺たちを乗せてもう少し潜れるか?」
「旦那さま⁉ ちょっと見てくるだけじゃなかったのですか⁉」
「ぴぃいいいいいっ! やだよぉ! もうかえろうよ、おに~ちゃん!」
俺だって、帰れるものなら帰りたい。
しかし、あきらかな異常事態に――無責任に逃げ出すことは、俺にはできなかった。