「おじさん、誰?」
ヨウマが切っ先を向けて問う。
「ゴーウェント。ニーサオビンカ第7席でございます」
ゴーウェントは恭しく一礼する。
「グリンサが来ると思っていましたが、あなたが来るとは。ヨウマですね?」
「そうだけど。僕ってもしかして有名人?」
「ええ、オビンカ殺しとしてニーサオビンカの優先排除対象となっています」
「怖いこと言うなあ。見逃してくれない?」
「いえ、積み重なった怨念から目を逸らすわけには参りません。死んでいただきます」
彼がレイピアを抜く。ゆっくりとした動きで、先端でヨウマを差した。
「死ぬのはそっちだよ」
ヨウマが大きく踏み込んだ。逆袈裟に斬りかかる。ゴーウェントはふわりとしたバックステップで躱す。
「中々のスピードです。下等人種にしては」
「そういうの興味ないから」
ヨウマは相手を追う。剣戟は回避され、その僅かな隙に差し込むように鋭い刺突が襲い来る。紙一重にそれを避け、時折義手で受け止めながら、接近を何度も試みた。しかしゴーウェントが巧みな動きで距離を空け続けるために、ヨウマは有利な間合いに持ち込めなかった。
拮抗する、攻撃と防御。それを打開せんと、ヨウマは幻影を生み出した。真っ直ぐに相手に向かう幻に視線を向けさせ、それに対処した瞬間を狙う。それが彼の考えだ。
しかし、その通りにはいかない。ゴーウェントは黒かった瞳を紅に輝かせることで幻影を幻影であると見抜き、その向こうから迫ってきたヨウマに突きを放った。何とか身をよじった彼の左肩に、銀色の剣が刺さる。
「ゴス・キルモラってやつ?」
「ほう、ご存知で」
「まあね、グリンサに教えてもらったよ」
話しながらも、痛みを食いしばる。深呼吸で少し和らげる。
(攻めていい相手じゃない)
ヨウマはそう判断した。グリンサが来るまでなんとか耐え忍ぶ。それが最善だ。
一方で、グリンサ。
彼女は、床で胡坐をかく男オビンカを前にしていた。禿げ上がった頭。見た目で言えば中年くらいだろうか。角は螺旋状のものが額から1本。両手に指輪。彼の左腰には直刀があり、戦士であることをこれ以上なく主張していた。しかし、目を閉じ、隙を曝け出してもいた。
それを無駄にする彼女ではない。何も言わず太刀を抜き放ち、大上段に振りかかる。一瞬後、二つの刃がぶつかった。
「ロビと申します」
切り結んだ状態でオビンカが口を開いた。
「アンタの名前はどうでもいいよ、ゴーウェントはどこ?」
「別の部屋にて他の敵と戦っていることでしょう」
「そう。じゃ、私はここから出るから」
「不可能です」
二人は一旦離れた。睨み合い。迂闊に動いた者から死んでいく、緊張感。
「この部屋には封印をかけました。私を殺さない限り脱出不可能です」
「面倒なことするなあ。じゃ、とっとと始末するね」
グリンサはゴス・キルモラを発動させる。皮膚の下、体内に存在するケサンの流れが可視化される。血液のように体内を巡るそれが、右手の刀に集まった時、彼女は体を突き動かした。
飛んでくる、刃の形をした風。ケサンによって構成されたそれは赤い靄を伴う。壁に当たって霧散する。
その瞬間、彼女は太刀の間合いに相手を捉えていた。振り上げた得物を打ち下ろし、激しい火花を散らす。
再び距離が置かれる。刹那的な攻防が繰り返され、その合間に両者は見合う。
グリンサの左手に、雷の槍が握られる。これ見よがしに投げつけたそれは軽く避けられる。しかし、それは彼女の思惑通りだった。回避行動の先に回り込み、刀を振り抜く。ロビの左腕が、飛んだ。
「くっ……」
血の流れる断面を押さえながら、彼はよろめく。傷口は見る見るうちに塞がって、すぐに止血されてしまう。
「封印を解けば殺さないよ。どうする?」
「この命、オビンカによる支配に捧げると決めました」
「残念だよ」
止めを刺さんと彼女は距離を詰める。脂汗を浮かべたロビは斬り上げる形の斬撃をなんとか弾く。が、そこから続く暴風のように猛烈な攻勢の前に防御一辺倒になった。
「無駄死にしたくないでしょ?」
攻撃の手を止めて、グリンサが言う。
「徒花とて花。咲かせてみせるのが男の生き様でしょう」
「よくわかんないな、そういうの。死んじゃったらそこでおしまいだよ?」
「革命の火は消えません。いえ、むしろ私の死をそのごうごうたる炎にくべれば、勢いは更に増すことでしょう」
「ふーん……ま、いいけどね」
時を同じくして、キジマ。
ナックルダスターは血に濡れていた。しかし彼自身はオビンカの前に倒れ、今起き上がろうとしていた。
「諦めろ」
男オビンカは言う。その角は側頭部から後ろに向けて、2対生えていた。両手には碧い刀身の短剣。額に甲殻。若々しく、力のある顔をしていた。
「嫌だね」
落ちた帽子を拾い上げ、被る。
「今からでも同志になれ。お前にはその価値がある」
「やなこった」
唇の端から垂れた血を拭う。ヘヘッ、と不敵に笑う。
「俺にはダチがいるんだ、そいつを置いてはいけねえよ」
「悲しいよ」
キジマの体には、いくつもの切り傷がある。防刃ベストもズタボロで、見える肌には赤い血。前腕の甲殻には無数の傷。
相手の名前はハウラ。ロビと同様、ゴーウェントの下につく者である。戦いの最中であるというのに、彼は何度もキジマを勧誘していた。
「俺はお前を殺すしかない。それが辛い」
「知ったことか!」
キジマは拳を構える。その黒い瞳には一分の迷いすらなかった。
だっ、と彼はハウラに向かっていった。脚の細胞にケサンを送り込んでの接近は素早く、相手が防御の姿勢をとる前に、腹に一撃を加えることに成功した。カハッ、とハウラは息を吐いた。
間髪入れず、キジマは次撃を繰り出す。身長で勝る相手の顔面を殴ることは叶わない。しかし、胸はちょうどいい高さにある。胸骨を、肋骨を打ち砕かんと連撃を放った。
フックを主体としたコンビネーション。それが彼の武器だった。時折蹴りを混ぜ、相手を揺さぶる。勝てる──そう思った瞬間、右の二の腕に短剣が刺さった。動揺したところを蹴り飛ばされ、再び地面に転がった。
「お前は今、俺の肋骨全てを折った」
とてもそうとは思えないはっきりとした声だった。
「しかし無意味だ。拳で俺は殺せん」
「どういう……!」
「再生術だ」
腹部に食らった痛みに耐えかね、キジマは起き上がれない。胸を床から離しては落ちる、芋虫のような動きを繰り返すだけだ。
「お前がケサンを身体の強化に使うように、俺は再生にケサンを使う。医療ヘッセの応用だ」
ハウラはキジマの前にしゃがみ込む。
「どうだ、諦める気になったか?」
その言葉を聞いたキジマは、縮んだばねが勢いよく飛び出すように体を起こした。
「俺は!」
痛みを振り切るため、彼は全力の大声を出した。
「俺は諦めない。言ったろ、ダチがいるんだ」
ふらふらとしながらも、しかと目の前の敵を睨む。
(再生が追いつく前に殺す。それしかない。でも、どうやって……)
脳味噌の奥にある記憶を掘り出す。今まで見てきた中で、何か突破口になる術がないか。ナイフを甲殻で受けながら考える。
(そうだ、グリンサさんが使ってた、あの破壊術。あれを再現できないか?)
碧の刃が頬に切り傷をつけた。
’(あの術、破片がこっちに飛んできた。だから、外からじゃなくて内から破砕する術だ)
逃げ回りながら思考を続ける。
(このナックルダスターからケサンを相手の細胞に送り込み、破裂させる。これだ! 身体強化術の応用!)
オーサの言葉を思い出す。過剰な強化は細胞を破壊すると。それを体の深部で起こせばいい。理論自体は簡単に組み上がったが、それを実行する隙がなかった。
だが、諦めないと決めたのだ。迫りくる刃に、彼は退くことなく、敢えて一歩を踏み込んだ。
「食らえよ!」
叫びながら、拳を突き出す。風を切る音共に飛んでいくそれは、ハウラに届いた。油断しきった、舐め腐った態度の胸に、棘が刺さる。
「発!」
グリンサの真似事をする。イメージするのは、大量の水の流入。耐え切れなくなった肉体が破裂する──明確で強固な意志に、現実が応える。
ハウラの心臓が大きく膨らみ、胸骨を押し上げる。と思えば、針で突かれた水風船のように爆裂し、真っ赤な血を天井まで散らした。
ハウラは何も言えないまま斃れた。空洞になった胸が恐ろしい。しかし、キジマも立っていられなかった。すとん、と腰が落ち、尻が床から離れなかった。ケサンを大量に消費し、魂と肉体の双方が疲弊したのだ。
「殺したんだな、俺……」
そんなことを呟く。真っ赤に濡れた体が忌まわしくさえあった。だが、行かねばならぬ。悲鳴を上げる肉体に鞭を打ち、立った。
「行くぞキジマ。行くんだキジマ! ヨウマに加勢するんだろう!?」
独り言つ。
(俺は兄貴だ、あいつだけを戦わせるわけには──!)
壁伝いに歩き出し、部屋を出る。ヨウマのいる部屋は左だ。重い体を曲がらせて、少しずつ進んでいく。そして、ついにドアノブに手がかかる。須臾ほどの間、体が止まる。このまま行っても足手まといになるのではないか。
(でも、行くっきゃねえ。まだ体は動かせる。一瞬でもいいんだ、ヨウマを助けられれば!)
思い切って扉を開いた。その先にあったのは、呼吸の一つまでもが反響する、シンとした緊張に満ちた空間だった。
「おや、お仲間ですかな?」
ゴーウェントは丁寧な口調だが、相手を明らかに見下した表情をして、フンと鼻で笑った。
「キジマ、変に動くとまずい」
ヨウマはじっとりとした汗をかきながら言う。
「おう、わかるぜ」
軋む体で、キジマはファイティングポーズをとる。
「数が増えれば勝ち目が生まれるというナイーブな考え、嫌いではありません」
レイピアが煌めく。
「しかし、それが現実となるかどうかは別の問題です」
ゴーウェントは剣先を二人に向けたまま、睨めつける。
「ヨウマ、俺の体はもう限界が来てる。できて一撃だ。それで勝負を決められなかったら──死ぬかもしれねえ」
「チャンスがあるだけマシだよ。それに、死ぬ気はない。お互いそうでしょ?」
「……そうだな。俺たちは死なねえ。ありがとよ、少し気分が楽になった」
キジマの瞳に炎が宿った。