「また外れかあ」
パトロールカーの運転席で、グリンサがぼやく。
「情報の漏洩、意外なほど深刻なのかもしれませんね」
キジマが言う。
「今回に至ってはケサンの痕跡がかなり弱くなってたし、だいぶ前に逃げられちゃったみたいだねえ」
ハンドルを右に切る。
「フランケの時みたいに自分から向かってきてくれないかなあ」
ヨウマの発言に、彼女は大した興味を示さず答える。
「そんな世の中都合よくないよ」
車はヒトの少ない道を行く。街灯も疎らで、月明りが頼りの暗い場所だ。ブロック塀が照らされ、灰色の姿を見せる。
曲がり角を視認した。何も気にすることはない、ただの角だ。だが、今日は違った。その前に通りがかった瞬間、角からバンが飛び出し、ぶつかった。ボンネットとフロントバンパーが派手な音を立てて拉げる。パトロールカーは斜め横に弾き飛ばされて、塀に衝突した。
ドアも歪んでいた。うまく開かないそれを、グリンサは力でこじ開けた。幸い、怪我はない。あくまで運転席から前方の動力部が完全に潰されただけだ。
「タイミングがズレてたら死ぬとこだったじゃん……」
グリンサが呟きながら外に出た。あとの二人はくらくらとして動けなかった。
「ちょっとちょっと、どういうこと?」
話しかけてみれば、バンからオビンカの集団が下りてきた。灯りがその角を照らす。
「グリンサだな」
オビンカが言う。立っているのは、4人の男。タンクトップと、赤Tシャツと、白シャツと、青シャツ。それぞれ手に鉄パイプを持ち、様々に構えていた。
「そうだけど?」
答えながら、彼女は鯉口を切った。
「死んでもらう!」
タンクトップが襲い掛かる。しかし、眠そうな顔の彼女が横を通り抜けると、首から血を吹きだして倒れた。いつの間に抜いたのか、彼女は黒い刀身の太刀を確かに握っていた。
「で、なんだって?」
男たちはたじろぐ。はした金で雇われた集団なのだろう、と彼女は推測する。武器も碌に用意できない、下らない存在。それが、彼女のオビンカたちに対する評だった。
「ほら、殺してみなよ。それとも逃げる?」
「ば、馬鹿にすんじゃねえ! これでもオビンカ・グッスヘンゼに腕を買われたんだ、逃げるなんてそんなこと──」
「じゃあ、死のっか」
彼女は淡々と言う。得物を両手で保持し、正眼に構える。
「来なよ、切り捨ててあげるからさ」
「舐めてんじゃねえぞクソアマ!」
白シャツがパイプを振り被って向かってくる。打ち下ろされたそれを彼女は刀身で滑らせるように受け流し、そして軽く胴体を両断した。その背後から、赤Tシャツが襲い掛かってくる。彼女は振り向き様にパイプを弾き飛ばし、心臓を刺し貫いた。
振り返って、怯え竦んだ青シャツを一睨みする。
「誰の指示かな? ゴーウェント?」
話しかけながら、全く傷ついていない相手の車を見る。ゴス・キルモラを使えば、赤い靄が浮かんで見えた。
「クリムゾニウムを使って改造して、ヘッセをかけたんだ。バックに中々の使い手がいるんだね?」
相手は答えない。
「何か言ってよ」
ずいと彼女は歩み寄る。腰を抜かしてへたり込んでしまう青シャツ。
タイヤとアスファルトが擦れる、僅かな音。それを聞き逃さなかった彼女は足を止める。
「逃がさないよ!」
彼女は左手に雷の槍を作り出し、タイヤに向けて放った。バンは滑って塀に突っ込む。運転手の生死は、確認のしようがなかった。
が、その内に青シャツは走り出していた。その背中に槍を投げるかどうか一瞬の間考えて、結局やめた。まず第一は部下の安全だ。
「ヨウマ、キジマくん、大丈夫?」
「なんとかね。キジマは伸びてるけど」
「そっかそっか。救急車呼んだ?」
「うん、もうすぐ来ると思う」
そう言っている間に、サイレンが聞こえてきた。遠くから、何度か反響した小さな音だ。
グリンサがバンの運転席を覗く。一人のオビンカが意識を失っていた。ガラス窓を柄頭で叩き割り、首の付け根に指をやる。拍動が感じられた。
「ま、一人確保できただけでも上々か」
刀を納め、夜空を見上げる。月に雲がかかっていた。
◆
「ふむ、失敗ですか」
温室で花の手入れをしながら、ゴーウェントは執事のオビンカの報告を受けて、そう言った。首にはタオル、手には白い手袋。
オビンカも、ユーグラス居住区と同じような結界に囲まれた区域を有している。総督府からは結界を解くか犯罪者を追放するか、どちらかを選ぶよう要請されているが、50年間一度もそれに応じたことはなかった。
その中で、ゴーウェントの家はニーサオビンカを何人も輩出する名家であり、オビンカ居住区に屋敷を持っていた。
「事故に見せかけなければ、彼らに勝ち目はない、わかっていたことです」
執事は白い和服のようなものを着ているオビンカだ。額から1対の角が生えている。
「報酬は規定通り振り込みました」
彼が告げる。
「よろしい。口止め料としては安いくらいです」
パチン、ゴーウェントは枝を切り落とす。
「次はご自身で向かわれますか?」
「ええ。報告を聴く限り、劣等種とはいえ、グリンサとやらは中々の手練れのようです。準備をして望みたいところですが、小細工の通用する相手ではないでしょう」
「ヨウマは、どうなさないますか」
「油断はできませんが、いくらクェルドリを摂取しようとも地球人とニェーズでは膂力に天と地ほどの差がありますから、グリンサから引き離せば勝機はあります。オビンカ殺し、仇を討たねばなりません」
ゴーウェントは立ち上がる。肌身離さず下げているレイピアの先が地面に当たらぬよう、少し角度を調整していた。
「内通者を使って3人を分断します。手配を」
「具体的にはどのようになさるのですか?」
「おびき寄せてから、3箇所に同時に突入するよう指示させます」
「それではどこに誰が来るかわからないのでは?」
「グリンサはゴス・キルモラの使い手です。ケサンの痕跡が最も強い所に彼女は来るはず。1対1の状況が作られれば後は私の実力の問題です」
「では、そのように『彼』に伝えます」
「任せます。つつがなきように」
執事は頭を下げて温室を出る。それに構わず、ゴーウェントは次の花の前にしゃがみ込んだ。
ピンク色の顔ほどもある花が堂々と咲いている。黒っぽい茎には鋭く小さな棘がある。トルハという花だ。むせるような甘い香りが特徴とされる。
(とはいえ、そうこちらのいいように事が進むとも限らない)
鉢植えからはみ出した部分を鋏で切り落とす。
(彼奴らも無能ではなかろう。陽動をすぐさま突破して合流された場合の撤退手段も考えねば)
鋏を腰にぶら下げて、すっくと。
(その程度のこと、『彼』も理解してはいるだろうが……)
温室を出て、扉に鍵を掛ける。
(この人生、強者に恵まれた。あと数十年の命、燃やして生きていきたいものだ)
手袋をスラックスのポケットに畳んで入れる。
(ああ、心が疼く。せいぜい殺し甲斐のある存在であってくれたまえよ、グリンサ)
◆
パトロールカーに、ヨウマは乗り込む。それを待って、グリンサが口を開いた。
「オパラから直接の連絡。ヒバッシビルの4階にゴーウェントと複数のオビンカ。行くよ」
苛立ちを隠さない荒々しい口調で言う。
「今度はバレてないといいなあ」
ヨウマの話しぶりは呑気でさえあった。
「ホントにな」
同調する助手席のキジマは、腕を組んで雲一つない昼の空を見ていた。
「じゃ、飛ばしていくよ!」
ぐっと彼女がアクセルを踏み込む。怒涛の加速がヨウマをシートに押し付けた。
「今回の場所は、3つの部屋があるらしいんだ」
「ふんふん、それで?」
「オパラからの指示は、全員排除。だから同時に3つの部屋にそれぞれ突入することになる。どういうヤツが潜んでるかわからないから、油断は駄目だよ」
「どうせ今回も空振りじゃない?」
「そういう時こそ当たるんだよねえ。これ、私の勘。意外と鋭いんだよ」
車間を縫うように、太陽の輝く街をパトロールカーは走っていく。サイレンを鳴らしながら、何の遠慮もないスピードだ。
「随分と具体的な指示ですね。そこまでわかるのは何故です?」
「スパイを送り込んだんだって。うまく掴めたみたい」
「なんだか待ち構えられているような感じですね。情報をわざと流しているのでは?」
「だとしても行かなきゃね。それが国から警察機能を委託された会社の役目だよ」
グリンサは真っすぐな瞳で前を見据える。運転中だ、脇見をしろとは言えないが、キジマはそれを少し冷たく感じた。
ダッシュボードに取り付けられた、社用携帯が鳴る。
「通話に出て」
グリンサのその声に応じて、携帯電話はオパラの顔を映し出した。
「オパラです。移動中ですか?」
「そ。何?」
「ヒバッシビル、入口が封鎖されたようです」
「じゃあ壁から入ろっかな。知らせてくれてありがと」
「いえ。お気をつけて」
「ああ、あと、救急車を派遣しといて。どれだけ怪我するかわからないから」
「手配しておきます。それでは」
通話が切れる。一時の静寂が訪れる。モーターの駆動音。確かな揺れ。それを感じて15分。一行は古びた4階建てのビルの前にやってきた。テナント募集中の看板がすべての階に出されていた。もはや捨てられた場所なのだ。
「じゃ、行くよ。破片が飛ぶから、離れて」
グリンサは、壁に指輪のある左手を当てる。意図するのは、完璧な破壊。指輪を介してケサンを対象に送り込み、内部で体積を一瞬で膨張させるようなイメージ。
「発!」
派手な爆音が、白昼の空間に響き渡った。コンクリートが粉々に破砕され、鉄筋も跡形もなく消し飛ぶ。
「へぇ、すごいね」
単純な感想をヨウマが述べた。それに対して、グリンサは微笑んだ。
「だいぶケサンを使うから好きじゃないんだけど、仕方ない」
手についた汚れを払い、彼女は一歩踏み込む。
「さ、急ぐよ。逃げられたくないからね」
3人は埃の臭いがする階段を駆け上がる。エレベーターなどはない。3階まで来ると、鍛えているとはいえ息が上がってくる。
「あーやだやだ……」
そんな愚痴をグリンサは吐いた。
4階には、3つの扉。窓の隙間から差し込んでくる陽光だけが頼りだ。
「情報通りだね。じゃ、調べますか」
グリンサの瞳が赤く輝く。全ての扉に、ケサンの痕跡である赤い靄が見えた。なかでも一際濃いものが、彼らから見て正面にある、一番遠いドアだった。
「露骨だなあ。罠?」
「じゃあ僕が行く。多分何でもないところでゴーウェントは油断した相手を倒すつもりなんだと思う」
「ならそうしてみよう。私は一番近いとこ」
「じゃあ自分は2番目のドアですね」
銘々がドアノブに手をかける。
「キジマ」
唐突にヨウマに話しかけられて、キジマは少し驚いた素振りを見せた。
「生きて帰るよ」
「ヘッ、そっちこそ」
一斉に扉を開く。その先でヨウマが見たのは、初老の紳士だった。