鉄の門扉が、爆発音と共に暗闇に吹き飛んだ。
「ユーグラスだ!」
キジマの大声が廃倉庫に響く。パトロールカーのヘッドライトが眩い光を真っ暗闇に投げかけた。
「武器を捨てて──」
「キジマ、待って」
ヨウマが1歩前に出て制止する。
「ヒトの気配がない」
「確かにそうだね」
同調するグリンサが、懐中電灯で倉庫の中を照らした。冷たい沈黙だけがそこにあった。
「またハズレかよ……捜査部、ちゃんと仕事してるのか?」
オーサの葬儀から3日過ぎた夜。計6回の出動の結果は全て空振り。いい加減疲れてきた、というのが3人の本音だった。
「うーん、でも、ただの無駄足ってわけじゃないかも」
そう言った彼女にヨウマが振り返ると、瞳が緋色に輝いていた。
「ケサンの残り香がある。少なくともここに誰かがいたのは確実。それも強い魂を持ってる……ニーサオビンカだった可能性はあるよ」
「それってさ、どういう風に感じ取ってるの?」
「私の場合は赤い靄と血の匂いだよ。ここらへんはヒトによって変わるみたいだけど」
光の筋が埃の舞う薄暗い空間を滑っていく。そこに映し出されるのは古びた壁と土の乗った床だけだ。
「ま、ひとまず報告だけして今日は終わりかな」
空いている左手で、グリンサがウェストポーチから携帯電話を取り出した。『ユーグラス警備会社』と黄色地に黒文字で書かれたテープが貼ってある。
「もしもし本部? グリンサだけど。──そ、今回もダメ。ケサンの痕跡はあるから、多分こっちが到着する前に逃げられたみたい。全くどこからバレたんだろう」
うん、うんと頷くグリンサ。そんな彼女を、ヨウマはじっと見上げていた。
「オパラが? 仕方ないなー、行くから待っててもらって。うん、それじゃ」
携帯をしまった彼女はヨウマと目を合わせた。
「本部でオパラが話があるって。寄って帰ろっか」
「オッケー」
3人はパトロールカーに戻る。ヨウマはこの車が好きではなかった。やたら高い天井、座れば足の届かない椅子。ニェーズ向けに設計された空間は彼には大きすぎて、自分の小ささをより一層感じさせるのだ。後部座席に独りでいると、その感覚は一層強くなる。右掌を眺めて、それをやり過ごす。
車が止まる。
「ねえグリンサ」
退屈に耐えかねて、彼は運転する彼女に呼びかける。
「何?」
「ゴーウェントってどれくらい強いの?」
「私もまだ会ったことないから詳しいことはわかんないけど……団長相手に生き延びたってことは知ってる」
「親父から?」
「そ。団長、30年くらい前にニーサオビンカの集会に突入したんだけど、ニーサオビンカを2人殺して3人捕まえて、って大活躍だったらしい。その時逃げられたのがゴーウェントと、今の第1席のガスコ、第2席のイータイってわけ」
動き出す車。ぐぐっとGがかかった。
「そういえば、ガスコは総督の娘ちゃんを狙ってるんだよね」
「そうだよ」
「……旧ニーサオビンカの解放のために人質を取るつもりなのかも」
「優香を人質に? なんで?」
「総督の遺された娘を人質にすれば、マスコミはこぞって話題にするはず。あの子がどういう立ち位置を望んでいるかは置いといて、世間じゃ悲劇のヒロインだからね。結界がなかったらヨウマの家に色んなヒトが詰めかけてたよ」
ヨウマは東京でのことを思い出す。ああいう扱いが世の中でのスタンダードなのだということを、そっと感じ取った。
「でも、誰でも人質に取ったら話題になるし、別に優香である必要はないんじゃない?」
「団長の殴り込みを総督府が事後承諾したのを恨んでるんだと思う。それに、バスとか電車をジャックしたらオビンカを巻き込む可能性もあるしね。プライドの高い男だし、色々こだわりがあるんじゃないかな」
「ニーサオビンカも馬鹿じゃないんだ」
「そういうこと。しっかり守ってあげるんだよ」
ヨウマはふと外を見た。夜空には月と星々が輝いている。遠くのビルには灯りがあって、漠然としたイメージしかないサラリーマンというものを思い浮かべた。
「──ヨウマはさ」
静かな口調でグリンサが話しかける。
「この仕事してて、よかったと思ってる?」
「急に何?」
「お姉さん、そういうの気になっちゃうから」
「別に、どうっていうわけじゃないよ。親父には学校も行かせてもらったから、その恩を返さなきゃだし。でもまあ……殺し合いは好きじゃないかな」
「そっか。そうだよね。ヒト殺しも、いい気分じゃないよねえ……」
何か含みのある言い方を、彼女はした。
「グリンサは違うの?」
「私は──いや、私の身の上話はいいよ。大事なのはヨウマが選択を後悔してないかってことだから」
「後悔? してないよ」
「ならよかった……のかな」
「後悔してないのはいいことなんじゃない?」
「かもね」
顔が見えず、ヨウマはそこに込められた意図を察しかねた。助手席に座るキジマに、何かを教えてくれないかという視線を送るが気付かれない。面白くないな、という気持ちで彼は無意識的に刀の位置を確かめた。
「キジマはどうなの?」
「俺? 俺は、どうかな。他の生き方もあったような気がするが、お前と出会えてよかったと思ってる」
「嬉しいこと言うじゃん」
「これからも頼むぜ、相棒」
相棒、という言葉が妙に恥ずかしく、ヨウマは顔を掻いた。その信頼に報いられる自分でありたい、と金属の右手を握った。
「ヨウマ、団長と話した?」
グリンサが問う。
「いや。なんで?」
「腕のこと、気にしてたよ」
「ああ……久しぶりに会いに行こうかなあ」
「家族とはちゃんと会話しないとね。こんな仕事してるんだし」
それから十数分後。車は警備会社の本部へと到着した。駐車場にはポツポツと車がある程度だった。
一行が社屋に入ると、いつの日かと同じようにジクーレンが待っていた。
「ヨウマ、腕はどうだ」
無愛想な顔で彼は訊く。
「大丈夫。本物みたいに動くよ」
「そうか。あまり無茶はするなよ」
「うん、わかった」
彼はワシワシとヨウマの頭を撫でた。目を閉じてそれを受け入れる様子を見て、キジマは犬や猫のようだと思った。
「オパラは2階の2番会議室だ」
「オッケ。じゃあね、親父」
手を振って奥へと入っていくヨウマを、彼は安堵と気遣わしさの混じり合った複雑な表情で見送った。
「団長、あれでよかったの?」
グリンサに尋ねられて、首を横に振る。
「しかし、戦士に同情は不要だ。あの結果をアイツが受け入れているなら、俺が言うことはない」
「もっと自分に正直になってもいいと思うけどな」
それだけ言い残して、彼女は去っていく。そういう生き方はしてこなかったんだ、という言い訳は、心の内に留めていた。
さて、三人はオパラのいる部屋に着いた。彼は椅子に座って、傍らに杖を立てかけていた。
「オパラ、話って何?」
整然と並ぶ椅子の一つに、ヨウマは腰掛けながら問うた。
「我々捜査部が一手遅れていることを謝罪したく思いまして」
ヨウマに続いて、他の二人も手近な席に座る。
「あなた方はよく働いてくださる。それに応えられない不甲斐なさ、申し訳ありません」
「まあそれはいいよ。今まで居場所を掴めなかったニーサオビンカの行動、今すぐなんとかできるとは最初から思ってないし」
グリンサが呆れた様子で言う。
「でも、ここ最近のはどうしたの? 明らかにどこからか情報が漏れてるみたいだけど」
「なんと、漏洩ですか」
驚いた顔のオパラに、彼女は顔を顰めた。
「今日行ったところにはかなり強いケサンが残ってた。それって、捜査部が情報を掴んでから私達が到着するまでの間に逃げられてるってことじゃない? かなりまずいと思うんだけど」
「調査を徹底致します」
「よろしくね」
彼女が背凭れに体を預ける。ギシッ、という音がした。
「裏切り者はどうするの?」
ヨウマの問に、オパラは困った顔をした。
「あまり例のないことですから……七幹部の間で追々決めていくことです」
「追々、ねえ。議論するまでもなく追放でしょ」
「それはそうなのですが……」
「殺す?」
ヨウマの何気ないその言葉で、部屋の雰囲気が、空気を詰め込んだ風船のように緊張した。
「それも選択肢の一つです」
オパラの表情は真剣そのものだった。
「同族殺しは好ましくありませんが、裏切った以上仲間として扱うわけにはいきません」
「でも、ですよ」
キジマが口を開く。その双眸には焦燥の色があった。
「どんな処罰を下すかより、どのように情報が漏れないように伝達するのかについて話してもらえませんか?」
「漏洩のルートを明らかにする必要がありますから、一朝一夕にはいきません」
「それは、わかるんですが」
「我々の病巣には大規模な手術が必要、ということです」
引き下がるキジマ。そんな彼を、ヨウマは動かない表情で見ていた。
「捜査部の自浄作用、見せてよね」
グリンサの一言に、オパラは頭を下げる。
「可能な限り迅速に、事を進めます」
「じゃ、今日は解散でいい? だいぶ遅くなっちゃったし」
「ええ、お休みになって構いません。今日はお時間をありがとうございます」
各々立ち上がる。俄かにがたがたと騒がしくなった。
「じゃあね、オパラ」
ヨウマが手を振って、部屋を後にした。
◆
ヨウマはベッドに転がる。狭い部屋だ。寝台一つに、壁に備え付けられた机。背凭れのない椅子。それがこの部屋にある全てだ。警備会社本部の仮眠室。いつ情報が入ってくるかわからない状況、すぐさま出動できるよう彼は家に帰るという選択ができないでいた。
ピロン、携帯電話が鳴る。ポケットから取り出して画面を見れば、深雪からのメッセージだ。
『今日はゴーヤチャンプルーを作りました。ヨウマさんはどうしましたか?』
『コンビニ弁当だよ』
『ちゃんと栄養バランス考えないとダメですよ』
『わかってる。サラダも買ったし完璧だよ』
そこで一旦やりとりは途切れた。『入力中』の表示を見ながら、彼は次を待つ。
『家の周りに知らない人がいるの、怖いです』
苦い味が口の中で広がる。
『早く帰ってきてくださいね』
『うん、わかった』
『おやすみなさい』
『おやすみ』
彼は傍らに携帯を置く。自分の体が二つあったらな、と思う。守れるものは多い方がいい。守るものがどれだけあるかはさておき。
深雪と出会ったのは、5年前。ジクーレンとその妻と共に3人で暮らしていた頃。家政婦としてやってくる女性がいたのだが、その娘が深雪で、たまに手伝いにくるのだった。
元より気弱で、緊張ばかりだったのだが、言葉数のないヨウマを前にそれが一層強まっていた。今思えば、それは父親からの性的な暴行に由来するものだったのだろう。
しかし、3年かけてゆっくりと慣らしていって、会話も滞りなくできるようになった頃、ぱったりと親子はジクーレン宅に来なくなった。連絡もつかず、不審に思ったジクーレンによってヨウマは深雪宅へと派遣され、様子を見に行った。
そこで見たのは、血に塗れた床に倒れた、深雪の母親の姿だった。
気が動転した深雪を抱き締めて、ヨウマは事情を聴いた。
連日来る取り立てのオビンカに心を病んだ母親は、心中を迫った。包丁を突き出し、死ね、死ねと言うばかり。話の通じない彼女から逃げようとしたところ、自ら命を絶ったのだという。
深雪は項垂れたまま、ジクーレン宅へと連れてこられた。ジクーレンの妻は温かく彼女を迎える。新しい生活が始まって最初の一言は、
「もう、いいです」
だった。
父親も母親も信じられず、孤独になってしまった彼女はあらゆることに失望した。全てを拒絶した。救いたい。ヨウマはそう思った。
そんな彼女も1年の月日を新たな家族と共に過ごすうちに心の扉を開き始めた。学校に行くこともできず、ただ寡黙にジクーレンの妻と共に家事をするばかりの日々だったが、近所づきあいの中で少しずつ他者と接していけるようになった。だが、何より大きかったのはヨウマが積極的に、そして粘り強く話しかけたからだった。
それは彼自身にとっても一つの自信になった。他者を救う力を持っている。それを実感した彼は、父のある言葉を思い出した。
「自分のためだけに戦うな。救うための戦いをしろ」
それは今でも彼のあり方を規定していた。
「深雪と優香、仲良くできてればいいけど」
そう呟いて、彼は浅い眠りに入った。