オーサが社屋を出た時、すでに日は暮れ、月が昇り始めていた。
「コンビニ寄って帰るかあ」
そんなことを言って少し離れた路地を歩いていると、
「失礼」
と背後から声をかけられた。
「なんだ?」
と振り返れば、後頭部から捻じ曲がった角が上に生えている老年のオビンカが立っていた。その腰のレイピアに手をかけている。
「七幹部のオーサさんですね?」
「そうだが、なんだ?」
答えつつ、オーサはナックルダスターに指を通す。
「お命、頂戴いたします」
瞬間、銀色の刺突が飛んできた。それは軽く躱して、彼は間合いを詰める。顔面にフック。しゃがんで避けられる。そこに膝蹴り。脇腹に膝の入ったオビンカは蹌踉めいて引き下がった。
「キャーッ!」
通行人の悲鳴が聞こえる。
「そこの! 救急車とユーグラスを呼ぶんだ!」
オーサは素早く指示を飛ばした。
「名乗りな」
構えは解かないまま、彼は言う。
「ゴーウェント。ニーサオビンカ第7席です」
切っ先を向け、オーサと共に円を描くようにゴーウェントは動く。
「へえ、ニーサオビンカがわざわざ出てくるとはな。……手加減はしねえぞ!」
グッ、と踏み込んでオーサは殴りかかる。俊敏ではないが安定した動きで後退してそれを避けるゴーウェント。3回ほどそういう攻防が続いた。両者とも有効打を与えられないまま、時間だけが過ぎていく。
「いい動きです」
「ありがとよ、だが俺はお喋りをしたいわけじゃないんだ!」
向かってくるオーサに対して、連続の突き。ほぼ一瞬の内に繰り出された5回の攻撃は、2発が両肩に当たり、3発は胸の甲殻に弾かれた。オーサの肩から流れる、血。
だがそれは攻勢を止めるに至らない。痛覚など振り切ったかのように、オーサは獰猛に攻撃を繰り返す。フック、アッパーカット、ローキック、ハイキック。様々な打撃を組み合わせたコンビネーションは、ゴーウェントの動きを制限する。互いの得物がぶつかり合って、カチン、という音と共に火花を散らした。
オーサの繰り出した飛び回し蹴りを、ゴーウェントは剣で受け止めて、あわよくば切断してやろうとする。しかし、脛を受けても固い音がするだけで、逆に押し切られて顔面に蹴りを食らってしまった。
「プロテクターを仕込んでいるのですね?」
口から飛び出た血を拭いながら、彼は言う。
「勘がいいじゃねえか」
ジーンズの切れた部分から、黄色い板が覗く。
「110余年の人生を生きてきましたが……こうも肉薄してくる相手は久しぶりです」
「そりゃ嬉しいぜ。そんな俺に免じて逮捕されちゃくれないか?」
「それとこれとは話が別です。オビンカによる支配、それを実現するための命ですから」
「勿体ないぜ、全く」
オーサはだらりと脱力して、両腕を垂らした。
「なら、こっちも全力で殺しにいくぜ」
瞬間、彼がゴーウェントの視界から消える。殺気を感じて振り向こうとしたその頬を、拳が殴り抜けた。棘に抉られた肉が飛び散る。その直後、今度は腹に打撃をもらう。咳き込みながら、ゴーウェントは逃げようとするも、叶わなかった。
一方的。ゴーウェントは対処のしようもないまま、殴られ、蹴られ、傷だけが増えていく。
(七幹部の実力……侮っていたわけではありませんが、予想以上のものですね)
彼はしゃがみ込んだオーサを見た。来る──反応が間に合わずアッパーが顎に直撃した瞬間、彼は全身が震えるような衝撃を感じた。ナックルダスターを介して相手の肉体にケサンを送り込み、内側から破壊する術。顎の骨は砕けている。そこまで把握できた。
吹き飛ばされた彼は地面に転がる。もう一撃を喰らえば、命に関わる。本能的な恐怖を前に、一つの思考をする。
(あまりこういうことは好きではないのですが……仕方ないですね)
顎に左手を添える。治癒術で骨を修復しているのだ。戦士としてのプライドか、倒れた彼に追撃を仕掛けてくるオーサではなかった。
むくり、起き上がった彼は左手をオーサに向ける。
「光よ!」
その掛け声に応じて、指輪が眩い光を放つ。オーサは手を頑然に翳す。
が、それが命取りだった。彼が自ら視界を遮ったのは、わずか1秒ほどのこと。その間にゴーウェントは相手の胸を10回は突いていた。赤く熱された刀身が引き抜かれると、そこから空気が吹き出した。
オーサががくりと崩れ落ちる。肺に穴が空いたことによる呼吸困難だ。
「それでは、おさらばでございます」
数分後、救急車とパトロールカーが到着した時に残っていたのは、頭部を奪われたオーサだった。
◆
「ゴーウェントだ」
葬儀場から出て開口一番、キジマはそう言った。葬儀ではあるが、依然として彼は帽子を被っていた。
「誰?」
ヨウマは尋ねた。喪服を窮屈そうに着ていた。
雲の間から差し込む陽の光が無慈悲に二人を灼いていた。
「ニーサオビンカ第7席。その筋から聞いた」
怒気を隠さぬ表情でキジマは口にする。
「そういう自分の追い詰め方、よくないと思う」
自分より遥かに大きな兄弟分を見上げながら、ヨウマは窘める。
「第8席でも運良く騙されてくれたから勝てたけど、それより上ってなるといよいよわからないよ」
「俺に強くなる方法を教えてくれたんだ、仇を討つくらいのことはしなきゃ俺が俺を許せない」
「そうやって死んだ人、たくさんいるよ。キジマにはそうなってほしくない」
弟の表情を曇らせてまでする価値のある仇討ちか、という自問には肯んじて応じるキジマ。
「ヨウマさん、キジマさん」
後ろから声をかけられて、二人は振り向いた。そこには杖を突くスーツ姿の男ニェーズがいた。顔には皺があり、年齢を感じさせる。
「オパラじゃん、何か用?」
「あなた方に、ゴーウェントを任せたいと思いまして」
「僕ら二人じゃ流石に不安だよ。七幹部の一人くらいつけてほしいな」
「グリンサも任に就く予定です。ヨウマさんはご存知でしょうが、頼りになりますよ」
「あの、一つ聞きたいことがあります」
キジマが口を挟む。
「オーサさん、何が死因でしたか?」
「直接の死因は首を刎ねられたことですが、肺にいくつもの穴がありました。呼吸困難に陥り動けなくなったところをやられたのでしょう」
「ありがとうございます。防刃ベストは役に立ちそうですか?」
「オーサさんの甲殻には焼かれた形跡がありました。ベストが耐えられる熱量ではないかもしれません」
「なるほど……」
「でもさ」
今度はヨウマが割り込んだ。ワラワラとした群衆が彼らの傍を通り抜けていく。
「なんで僕たちなの?」
「ヨウマさんはニーサオビンカの一人を討ち取りました。その実力を評価したまでです。キジマさんは、そんなあなたと相性のいい人材を付けるのが最適と判断しました。ああ、それとご自宅には当然人員を派遣します。今日のように」
「ふーん……ま、いいけどさ。任せるって言われても、何をすればいいわけ?」
「現在、捜査部がゴーウェントを追っています。その尻尾を掴んだ時に、戦っていただきたいのです」
「じゃ、やることはいつもと変わらないんだ。オッケー、任された」
「期待していますよ」
オパラはコツコツと去っていく。
「次は五体満足で勝たせてやる」
背中を見送りながら、キジマが言う。
「でも、怖いな」
「珍しいな、お前がビビるなんて」
「左腕の義手は作ってないからね」
笑いようもなく、彼はそれを無視した。
「覚えてる? 最初にこの腕を深雪と優香に見せた時」
「ひどい慌て方だった。深雪ちゃんは泣いちまうしよ」
「ああいうの、もう見たくないんだ。頼むよ、キジマ」
「おう、俺が助けてやる」
二人は拳をぶつけ合わした。勝たねばならぬ。その決意を二人は共有した。
しかし、キジマの内ではグラグラと心が揺れていた。身体強化術も発展途上、ナックルダスターを用いるとかいう術も授けられていない。そんな自分で何ができるのか。それを表に出したくはない。少しでもヨウマがベストなコンディションに近くあれるよう、兄貴として強がり続けなくてはならない。そう、彼は思っていた。
「どうしたの?」
見上げる視線が、彼を追い立てる。強くあれ、弱さを捨てろ。そう訴えかけてくるようにさえ思える。
「なんでもねえ」
と彼は帽子を直す。
「そっか」
見透かされてはいないだろうか、とふと彼は訝った。漆のようなヨウマの瞳を見ていると、突き通すような視線に刺され、そう思ってしまう。
(そんなはず、ないよな)
前を向く。悩んでいる暇はない。状況は移ろい続ける。受け継いだ物をしかと掴んで、進んでいくしかないのだ。
「帰ろっか」
「ああ、そうしよう」
促されて、歩き出す。俯き気味に白い敷地から踏み出して、バス停に向かう道中、ポケットの中で電話が震えた。
「──ヨウマ、会社に寄るぞ。グリンサさんが待ってるらしい」
「うん、わかった」
30分後、警備会社本部のカフェテリア。昼飯時などとうに過ぎ去ったために人影は疎らで、ショッキングピンクのTシャツに原色の青いミニスカート、天然パーマの若い女ニェーズを見つけるのは、ヨウマにとって容易なことだった。
「やっほ、グリンサ」
スマートフォンを触りながら退屈そうにしている彼女に、ヨウマは話しかけた。キジマが2杯の飲み物の乗った盆を持っていて、ヨウマは足置きのついた高い椅子を運んでいた。
机の上には1杯のコーラと10個のチョコレートドーナッツ。
「ん、来たね」
彼女は電話の電源を切って、机の上に置いた。腰には漆黒の拵の太刀と、ウェストポーチ。両の中指にはヨウマと同じ指輪。脛に甲殻。どろんとした眠そうな黒い瞳で、これから組む二人を見ていた。
「座って座って」
言われるがままに、二人は向いの席に着いた。ニェーズ向けに調整された机故に、ヨウマは特別な椅子を使わなければまともに座れない。足置きに届かない脚をプラプラと揺らしながら、彼は話を聞く体勢を整えた。
「キジマくんとは初めましてかな。私はグリンサ。七幹部の一人で、結構強いんだ」
フフン、と胸を張った。
「ヨウマとはどういう関係なんです?」
「剣を教えたんだ。私が思った以上に強くなってくれてお姉さん嬉しいな。でも最近はあんまり来てくれなくて寂しいよ」
「それはごめん、深雪のこととかあるからさ」
「ま、いいけどね。じゃ、仕事の話しよっか」
ズズッ、という椅子を引く音。
「私の見立てじゃ、オーサは何か騙し討ちとか不意打ちとか目潰しとか、そういうことをされたんだと思う。そうじゃなきゃ第7席にやられるはずないもの」
「じゃあどういう対策をすればいいの?」
「それは……どうしよっか。単なる閃光とか幻影なら見ないことが1番なんだけど、君たち二人は相手を見ないと戦えないだろうし……」
「グリンサさんなら相手を見ずに戦えるんですか?」
「そう! なぜなら私には
「ゴス・キルモラ?」
ヨウマが尋ねる。
「肉体から漏れ出るケサンを感じ取れるってこと。地球人は習得できるのかな、わかんないや」
それよりも服装が気になるんですが──キジマはぐっとその言葉を飲み込んだ。真面目な場だというのに、どうにも頭がそっちに向かってしまう。
(だって色のチョイスがおかしいだろ、ヨウマは気にならないのか?)
チラリ、隣の彼を見やる。相も変わらぬ無表情で、ふんふんと頷いている。
「──キジマくん、どうしたの?」
「いえ……閃光、ヘッセなら多少の兆候があると思いますし、それを見切れさえすればなんとかなるんじゃないですか?」
「だとしても、視界を潰す瞬間をなくすことはできないんじゃないかなあ。使われる前に仕留め切るのが結局1番の対策なのかも」
グリンサはコーラを一口飲んだ。
「ねえグリンサ、なんでオーサの葬式に来なかったの?」
唐突にヨウマが問うた。口を歪ませ、目を下に向けて、彼女は答える。
「それは……全部を片付けてから挨拶したかったから。あいつとは同じ時期に七幹部に選ばれたからさ、少し特別なんだ。仇を討って、その上で向き合いたい。だから葬儀には行けなかった──というか、行かないようにしたんだ」
「いよいよ負けられなくなるね、それを聞いたら」
「なんか湿っぽくなっちゃったな。ドーナッツ食べる?」
「いいの? ラッキー」
ヨウマは無遠慮にドーナッツの一つを取った。一方でキジマは、
(やっぱすごい色の服だよなあ)
と思いながら、勧められるのを断れず受け取った。