空は暗い。右腕を失ったヨウマは勝利の喜びと、殺人を果たしたというどんよりとしたものがぐちゃぐちゃとした感情の渦の中で立ち尽くしていた。
「ヨウマ!」
群衆を掻き分け、キジマがやってきた。灰色の肌はより白に傾いていた。
「お前、腕……!」
「傷は塞いだよ。大丈夫」
「でも、どうすんだ! お前が働けなくなったら──」z
「とにかく! ヒトを呼んで。後、シェーンのところに行く。いざって時の話はしてあるから」
「なら、いいけどよ……」
フラフラっと歩き出したヨウマを、彼は支えた。血の流れていない傷を見ても、平静ではいられない。なんとかなるさ、という思いも湧いてこない。
「連れて行った方がいいか?」
「お願い。甲殻をぶち抜くのにだいぶ負荷のあるヘッセを使っちゃった」
彼はヨウマを担ぎ上げた。野次馬共の間を抜けて、居住区に戻る。
「でもよ、シェーンさんって趣味で義手作ってる変態だろ。大丈夫なのか?」
「だからだよ。この間腕を貸したんだ」
「何やってんだお前……」
右に曲がるか、左に曲がるか。慣れない道を歩きながら、彼はヨウマが死にやしないかと気が気でなかった。
「救急車じゃなくてよかったのか?」
「そしたら別の病院に連れて行かれる。とっとと治療ができるのはシェーンだけなんだ」
20分ほど走り回って、キジマはようやく目的地に辿り着いた。『シェーン義肢研究所』と壁面に出されたそこはピンクの壁をしていて、駐車場には5台ほどの車。
「先生、ヨウマが!」
建物に入って開口一番、キジマはそう叫んだ。待合室にヒトは少ない。新聞を読む者、退屈そうにテレビを見る者。それだけだった。だが二人共義足を付けていた。
奥の方から白衣を着たスキンヘッドの眼鏡男が出てきた。シェーンだ。ビニール手袋を付けた手の内、左手は金属のそれだった。
「ヨウマくんがどうしたって?」
「腕を斬り落とされたんです!」
「それは大変だ……こっちへ」
受付をせず、二人は診察室に通される。その壁にはずらりと義手義足が掛けられており、キジマは威圧されたような感覚に陥った。
「ほら、座らせて」
促されて、彼はヨウマを椅子に下ろした。
「うーん……」
しゃがんだ状態で傷を見ながら、シェーンは唸る。
「義手、付けれそう?」
「付けるだけなら簡単さ、この私にかかればね。しかし、どんな腕を付けるか、が問題なんだ」
「どういうこと?」
「君ならとっておきを付けられるんじゃないか、と思ってね」
彼はニヤついた。
「とっておき、っていうと?」
「クリムゾニウムをフレームに使った義手さ……そう、これだ」
壁に掛かった義手の内、一つを彼は取った。鈍色の外殻に包まれたそれは、重厚な輝きを放っていた。
「クリムゾニウムだと何が変わるの?」
「クリムゾニウムは意志の力に反応する。それを内部構造に組み込めば……ヘッセで自由に動かせるってわけさ」
シェーンは義手をヨウマの傷口に持っていく。肩から先を補うそれが手術を要することはキジマにもわかった。
「しかし、一つ問題がある」
シェーンは言う。
「ヘッセを使うということは、それを実行できるだけの意志の力と相応の
彼は義手をぐい、と傷口に押し当てる。痛みに顔を歪めたヨウマを無視した。
「手を握ってみてくれ。ヘッセを使うように、意志の力を込めて願うんだ」
「やってみる」
手を握る。そのヨウマの強い念に応じて、指が少しずつ動いて、やがて握り拳を作った。
「感覚はないんだ」
「体に接続すれば感覚も蘇るよ。神経をケサンの糸で繋ぐんだ」
「わざわざヘッセなんて使わなくても、その糸で動かせるようにはならないの?」
「ケサンの糸をアクチュエーターにして動かす方式も作ってみたんだが、それだけのパワーと強度を持つ糸を常時維持するより、必要な時に必要なだけケサンを消費する方式の方が効率が良くてね。とはいえこっちの方式も実験段階で臨床試験の最中なわけだけど、ヨウマくんなら大丈夫だろう」
「……ま、いいけどさ」
アクチュエーターが何かわからないが、ともかく彼はそう返事をした。
「さあ、手術をしよう」
◆
「フランケが死んだか」
肩で息する、跪いたオビンカを前にガスコは言った。そして、円卓を睥睨する。タジュンに、ヘイクル、ゴーウェント。その他の3人も席に着いていた。
一人は第6席のキーパ。指を組んで机に置いている中年の男だ。後頭部から生えた1本の太い角が5本に分かれていた。短く切り揃えられた襟足が小刻みに揺れていた。
一人は第5席のロコル。ドレッドヘアが特徴的な若い男だ。両腰に短剣を下げ、精悍な顔でガスコの方を見ている。角は頭頂部に1本生えていた。
一人は第2席のイータイ。壮年の男。切れ長の目。側頭部にある2対の角は、隣り合うそれと絡み合うように上に伸びている。背中に剣を背負い、退屈そうに頬杖を突いていた。
「やっぱり死んじゃった」
タジュンがケラケラと笑ってそう言った。
「で、どうやって死んだの?」
報告をするオビンカに向けて、彼女は問う。
「幻影で隙を作られ、心臓をヘッセで……」
「やな死に方~」
口元を袖で隠した彼女に対し、イータイがゆっくりと口を開いた。内臓に響く、奥行きのある声をしていた。
「戦いの中で死んだ男を侮辱するな。一矢報いる程度のことはできたのだろう?」
「ええ、右腕を奪っておりました。しかしヨウマは義手の当てがあるようです」
「ふぅむ……」
彼は指を顎に当てて考え込んだ。
「でも、そのヨウマって子、興味出てきたなあ。次は私が殺しに行っていい?」
「ここは私が」
タジュンを遮って、ゴーウェントが声を発した。
「フランケは私の教え子ですから。仇を討たせてください」
「ならばそうしろ。任せたぞ」
彼は恭しく一礼した。その腰にはレイピアを佩いていた。
「ガスコ様、新たな第8席の選出はいかがなさいますか?」
ロコルが、そんな彼らには見向きもせずに尋ねた。
「新たなニーサオビンカが選ばれるのは、新たな
ロコルは静かに頭を下げた。
「しかし、地球人にニーサオビンカが敗北したという事実は重く受け止めねばなるまい」
立ち上がるガスコ。一同は背筋を正した。
「研鑽せよ。我々は七幹部を排せねばならん」
重みのある声音でそう命じた。
「オビンカによる、オビンカのための支配を。理想を忘れるな」
彼は階段を下って、椅子の裏に退いていった。
「ねぇゴーウェント」
とヘイクル。相変わらず露出の多い格好をしていた。
「勝算はあるわけ?」
「地球人がニェーズに勝とうと思えば、当然何らかの搦手を攻める必要があります。フランケの場合は、真っ直ぐに立ち向かいすぎたのでしょう、それで幻影に騙された。種が分かれば対処のしようもあります」
ゴーウェントが立ち上がる。その身長は220センチほどだった。
「戦場に立つのは久しぶりですが……地球人に遅れを取りはしませんよ」
「だが、覚えているだろうな」
イータイが声をかけた。
「七幹部の首を持ってくるのも貴様の仕事のうちだ」
「承知しています」
円卓から離れ、扉の取っ手を掴んだゴーウェント。その口角は、確かに上がっていた。
◆
キジマの拳が空を突く。ビュッ、と風を切っていた。
「そうだ、そのスピードだ!」
その斜め後ろでオールバックのニェーズがそう言う。オーサ。七幹部の一人だ。筋肉で膨らんだジーンズと長袖の白シャツははち切れそうだった。二人の身長差は80センチにも及ぶ。
「次は俺に打ち込んでみろ」
「そんな……大丈夫なんですか?」
「俺を舐めるなよ、お前の一突きくらいどうとでもなるさ」
ヨウマがフランケを殺してから3日。キジマは警備会社の地下にある訓練場を訪れていた。打ちっぱなしのコンクリートの壁。ワックスの塗られたフローリング。シューズで歩く度、キュッという音がした。
ここに来たのは、力を得るため。ヨウマに少しでも力添えができればという思いから、オーサに頭を下げたのだ。そんな彼に、オーサは細胞一つ一つにケサンを送り込み強化する、身体強化術の手解きをした。その鍛錬が始まって、今日で3日目になる。
「さあ来い。全力でな!」
彼は両手にパンチングミットを持って挑発した。
「なら、いきますよ!」
全体重を乗せたストレートパンチが小気味いい音を立てて、ミットを貫通した。手のひらに直撃を受けたオーサは、笑っていた。
「中々やるじゃねえか」
「いえ、そんな」
「ものの3日で身体強化術を多少は扱えるようになった。それは誇っていいと思うぜ」
彼はミットを腰に下げた。
「後は、そうだな。少しずつ術の出力を上げて、体を負荷に慣らすんだ。1ヶ月もあれば実戦レベルになるはずだ」
「1ヶ月、ですか……」
「なんだ、そんな気長には待てないか?」
「そうですね。いつ出動がかかるかわかりませんから」
「ま、手っ取り早く強くなる方法なんかねえ。焦るばっかりじゃ寿命を縮めるぜ。それと、一つ言っておく。過剰な強化は細胞を破壊しちまう。調子乗って限界を試すと、体が破裂して死ぬぞ」
黙したまま、キジマはオーサの言葉を受け止めた。焦っている。それはわかる。だが、急がねばまたヨウマが肢を失うかもしれない。次はないかもしれない。
「そうだ、これをやるよ」
オーサはポケットから棘の付いた赤黒いナックルダスターを取り出した。キジマは静かにそれを受け取った。
「拳を武器に選んだのは、殺さないためか?」
「……ええ、簡単に命を奪うのは、嫌なんです」
どこか含みのある言い方をした彼に、オーサはただ頷いた。
「だが、いざとなりゃ殺す覚悟はできてなきゃいけねえ。殺していいヤツなんざいねえが、そうじゃなきゃ止められないことだってあるからな」
「そうですね、その通りです、本当に」
帽子を直しながら、彼は噛みしめるように答えた。
「お前は誰かを殺したことはあるかい?」
「殴り飛ばした相手が頭から倒れて、死んだことがあります」
優香を狙った襲撃があったあの日、不意打ちを食らわした相手が転がっていき、死んだのを見た。その時の嫌な感触は未だにこびりついている。
「ま、ニェーズ同士で殴り合えば骨くらい簡単に砕けるからな。クェルドリの身体強化作用のせいではあるんだが」
クェルドリ──クリムゾニウムのことを、ニェーズはそう呼ぶ。
「ああ、あと
「でも、本当に貰っていいんですか? オーサさんが普段使ってるものじゃ──」
オーサはポケットからもう一組のナックルダスターを出して、見せた。
「こいつを使った術もあるんだが……それはまた今度にするか」
引き戸が開かれたゴロゴロという音を、二人は聞いた。
「やっほ」
ヨウマだった。右腕はにばめた銀色の腕だ。
「ヨウマ、大丈夫なのか?」
キジマはわかりやすく心配の色を浮かべてそう訊いた。
「余裕だよ、ホントの腕みたいに動くし」
ヨウマが右腕をぐるんぐるんと回す。もげるんじゃないかと慌てるキジマを、彼は何も言わず見つめ返した。
「ダチのことをもっと信じてやれ」
ポン、とオーサがキジマの頭に手を置く。
「親兄弟のいないアイツにとって、お前は兄貴なんだ。わかってるだろ?」
そう言われた彼は、表情のないヨウマの顔をじっと見た。二人を引き合わせたのは、ジクーレンだ。
ニェーズと地球人の間に産まれた彼は、10の頃から父親と縁があったジクーレンの下で戦闘訓練を受けた。そこで出会ったのがヨウマだった。
初めての手合わせの時。2つ下の相手に、ニェーズの父親から受け継いだ身体能力を武器にしても辛勝、という具合だった彼は、強がって弟にしてやると言った。それが今まで続く二人の関係を規定していた。だが現実はどうだ。その弟が命を賭けている瞬間に立ち会うこともなく、その後身を案じただけだ。
「退院祝いするからさ、キジマも来てよ」
祝える気分じゃない──そう思っても、言葉にはしない。
「そりゃいいな、お邪魔させてもらうよ」
と下手な笑顔で言うだけだ。
「じゃあな。明日もちゃんと来いよ?」
「サボりませんよ、せっかく七幹部に見てもらえるのに」
ヨウマとキジマは連れ立って社屋を出た。最寄りのバス停までの5分間。キジマはどうにもうまく話を始められなかった。
「別に、同情が嫌なわけじゃない」
バス停に並んでいると、唐突にヨウマが口を開いた。
「でも、変に気にされるのも嫌。僕とキジマの仲だろ、思うことがあるならちゃんと言ってよ」
「……俺がいれば、腕を失くさずに済んだのかもな、って思ってな」
「そういうの、好きじゃないな。結局は僕の油断なんだ。僕の失敗は僕一人で抱えるよ」
「そうか、そうか……」
俯いたキジマの脇腹を、ヨウマが突いた。
「なんだよ」
「僕が気にしてないことまで気にしなくていいよ。キジマに暗い顔させたら、僕も笑えないし」
「お前大して笑わないだろ」
「それはそうだけどさ」
なぜだか悩み事もどうでもよくなって、キジマはヨウマの頭を拳骨でグリグリとした。
「吹っ切れた。俺はお前の兄貴だ」
「何?」
「再確認だよ、俺の生き方のな」
「ふーん」
そんなことを話していると、バスが来た。
「さ、行こうぜ。深雪ちゃんが待ってら」
◆
ヨウマの住むアパート。その2階、203号室の表札の出ている部屋の前に、やつれた中年男が立った。咬だ。何かに取り憑かれたかのような表情で、インターホンを押し続ける。
「どうして、どうして出てくれない?」
呟く。
「僕は父親のはずだ、どうして深雪は僕から逃げる?」
身勝手な疑問と怒りがついに頂点に達し、彼は扉を蹴りつけた。
「そこ、僕んちなんだけど」
鯉口を切ったヨウマが話しかける。いつでも斬ってやるという強い意志が、眉間に寄った皺に現れていた。
「貴方のこと、調べましたよ。かなりの数のヒトを殺してるとか。そんな奴に娘を渡すわけにはいかないんです」
「娘に手を出した男よりはマシだと思うけど」
「なっ……だからアレは一時の気の迷いなんです!」
「それに、アンタが逃亡中に盗みをしたこともわかってる。逮捕だよ」
重なったサイレンの音がする。
「ち、ちくしょう!」
咬は手摺を乗り越え、飛び降りた。
「キジマ!」
「おうよ!」
下にはキジマが待っていた。大した抵抗もできずに羽交い締めにされた咬はジタバタと暴れて、ヨウマはそれを情けないと思った。
やがて、スーツ姿のニェーズが5人ほどやってきた。逃げ出そうともがく咬の腕をぐいと引っ掴んで、手錠をかけた。
「間違っている!」
咬は叫ぶ。
「どうしてヒト殺しは罰せられなくて私は罰せられるんだ!」
「僕だってやりたくてやってるわけじゃないんだよ」
聞こえないとわかって、ヨウマはそう口にした。