「進くんのバッカ野郎!!」
再会した瞬間に進は彼女に罵倒された。
それはそれは完膚なきまでに罵倒の嵐を喰らった。
しまいには彼女は進の胸板に弱々しく体当たりしながら進を罵倒し続けた。
最初、進は何を言われているのか理解できなかったが、時間が経つにつれてその少女に怒られているのだと理解する。
(メモリー?)
彼女の存在を確かめるように進はその頭にポンとと手を置いた。
手を置いて、そこに彼女が本当にいることを感覚を持って実感した。
それで少しは落ち着くことができたのだろうか。
トクンと何かが心臓の奥そこに落ちていくような感覚を進は体験した。
それは水面のように全身に広がっていって、錯乱していた進の精神を回復させていく。
(これ、は?)
メモリーの力なのだろうか、と進は思う。
いや、メモリーの力なのだろう。
彼女から、得体の知れない温かみが伝わってくるのだから。
「進くん。自分が何をしたのか、ちゃんとわかってるんだよね?」
目の前の少女は、進の目を下から見上げて少しだけ涙の滲んだ瞳を合わせていった。
進は言葉に詰まりながらも、かろうじてあぁ、と答えを返す。
やはりこの少女は自分のことを見ていてくれたのか、と進は現実逃避気味に考えた。
「自分の行いから逃げようとしないで」
それを制すように、メモリーがそう言ったので合わせていた目を進は逸らす。
彼女の言っていることはもっともなことだ、と進は思った。
仮想世界ならセーブをしなければデータは残らないが、現実世界は一度行ってしまえば常にオートセーブされ続けてしまう。
(取り返しがつかないことをしたのは俺自身よくわかってるんだよ)
進という少年の行いで、一人の少女が死んだ。
それだけではきっとないだろう。
知らない場所でもっと多くの人間がきっと。
「違う。まだ何も終わってないんだよ進くん」
進の思考をメモリーが断つように言う。
怪訝な顔をしながらも進はそれに小さな反応を返した。
まだ終わっていない、というその言葉にどれだけの希望を見出すことができたのか。
____少なくとも、誰も死んではいない。
それくらいの願望を心の中に描くことができたのか。
基本的に《錬金術師》というのは、現実と理想の狭間に生きる職業だ。
「君が諦めちゃったら、もう他に希望を残すことはできないんだよ」
(でも、目の前でもう____)
流れる赤黒い液体を思い出して、進は胸をガジガジとかきむしる。
メモリーはそんな彼をしっかりと見つめ返しながら、言い放った。
「でも君は、進くんはそれを確認してはいない」
だからなんだというのだ。
進はメモリーに対してそんな感情をぶつけた。
大海原よりも荒れた、醜い感情を。
だがしかし、それに対してもメモリーは嫌な顔ひとつせずに言う。
「シュレディンガーの猫という考え方を、進くんも知っていると思うけど」
(……それがどうかしたのかよ)
フフッと進の目の前で美少女が笑う。
「生きているか、死んでいるかは確認してみなければわからない。確認するまでは生きているか、死んでいるかは確定していない」
(まさか、あの結果にその過程を押し付けるとでもいうんじゃねえだろうな)
「流石進くん、私の言いたいことをちゃんと理解してくれる。確認してみなよ。自分が、自分たちが巻き起こした惨劇の結末をきちんとした当事者の目で」
進の鼻先に、人差し指を押し付けながら彼女は進に語っていく。
それはまるで一種の神託のようであったと、後の進は語る。
「そうして、その悲劇から逃げないでよ。ちゃんと向き合ってよ。少なくとも、《ハンター》って組織に進くんが復讐するくらいはちゃんとやってよ」
すがるようにそうしているのは気のせいだろうか、と進は思った。
彼女が、何か無理をしているように見えるのは自分の勘違いだろうか、と。
(メモリー、お前)
「____だから進くん、お願い。生きることをそんな簡単に諦めないで。何があったとしても、何が起こったとしても。それが他人のために君が怒った結果だとしても。君が死に対する恐怖を抱かなくなるのが私は怖い!」
出会った時の無邪気な彼女はそこにはいなかった。
いいや、根本的なところは変わらないにしろ、進のことを非難し続ける女の子がそこにいた。
「進くん!」
(っ……わかったよ。しゃーねぇな。まったく俺は何を考えてんだ)
ゴツンと自分の体を一発殴った衝撃は、この空間の中ではそこまで痛く感じることができなかった。
そんなことに違和感を感じながらも、進はメモリーに向かって微笑んだ。
(ありがとう、俺を心配してくれて)
「うん、もちろんだよ。君を巻き込んだのはどう過去を遡っても私でしかない。その時はこんなことが起きるとも思ってなかったけどさ。でも、それでも私は最後まで君についていくつもりだから」
そう言って浮かべたのは、無邪気な笑みだった。
見るもの全てに温かみを与える、そんな彼女らしい笑顔だった。
でも、そもそも、だ。
(メモリー、お前は一体誰なんだ?)
「私は私。それ以外のなんでもないけど……その質問の意図は?」
きょとんとした顔でメモリーは進の疑問に疑問を返した。
進も、質問に質問で返すななんてことは言わない。
(お前は、人間らしくない)
「アハハ、面白いことを言うねぇ。……まぁ、その答えは君が今知ることじゃない、かな。いずれ教えることになるだろうけど、今の君にはやることがあるから」
返答に、そうかと言って進は引き下がる。
秘密なんてものは誰でもあるだろうし、そもそも目の前の少女は進に無害なので問い詰めるほどの価値もなかったりするのだ。
それよりも、進が今しないといけないことは。
「やり直しておいで、進くん。ちゃんと失ったのか、失っていないのか確認しないと」
そこから、そこから始めようとメモリーはいう。
進はそれにハハハと微笑む。
浮遊感。
進の体をそれが包み込んだ。
包容力に溢れるセレに身を委ねながら進は最後にメモリーにありのままの言葉をぶつけた。
(サンキュー、メモリー。死にそうな俺を止めてくれて)
何もかも見透かしたようなその物言いに、メモリーは少しだけ頬を引き攣らせた。
***
進の消え去った空間で、メモリーはあーあ、と勿体なさげに呟いた。
「行っちゃった」
もう少し話していたいな____なんて、こうやって彼の未来を捻じ曲げてしまった時点で自分が言ってはいけないのことなのだろうとメモリーは考える。
そうして今の今まで進のいた場所をじっと見つめながら何かを思案するように。
「今回の結果はかなり
まるでその先まで知っていたかのような口ぶりでメモリーはつぶやく。
「でも、でもそれでいい。私の予測できるこの世界の断りに従った物語なんて____最後は破滅しか待ってない」
着実に、着実に自身の思い描く物語から外れ始めているのだとメモリーは思った。
知識を武器に、メモリーはそうやって力をつけて、ここ《大図書館》の守護者にまでなったのだがしかし、
「私だけじゃ、止められない。止めることができない。だから進くんを頼るしかなかった」
イレギュラーというのは、今の結果のことを指すのか。
それとも言野原進のことを指すのか。
それはメモリー本人にしかわからないことであったが、少なくとも何かに進を利用する気でいるのだろう。
パラパラパラ……と、近場にあった本に手を伸ばした彼女はそれを手に取って開く。
「《ハンター》、ねぇ。こんなところで死んでもらっちゃ困るんだよ進くん。君は選ばれた人間なんだから」
結局、運命というのは馬鹿みたいに残酷で人の一人の人生なんてすぐに狂わされてしまう。
結局、絶大な何かによって縛られた世界の命運なんて、その絶大な力以外で書き換えることはできない。
勇者なんて、そもそもこの世界には存在しない。
「そう、だから。強くなってね。私はいつまでも君を待ってるから」
呪いの怨嗟のように。