「ああ……申し訳ない、驚かせてしまいましたか」
わずかに目を
とはいえ燎琉は、自分がうっかり見せてしまった
「いや、こちらこそ……申し訳ない」
「無理もございませんから」
男はゆるく首を振ると、微笑んだままで言った。
「この国では、
匠工は
相手の言を受け、燎琉は昨日の工部での出来事を思い出す。ちら、と、傍らの
瓔偲の表情はしずかなものだ。いまの遣り取りに、なんら感情を動かされたふうはなかった。
が、燎琉には、その瓔偲の
瓔偲とて、癸性ゆえにままならぬ生き方を強いられ、これまでにどれほどにか辛酸を舐めてきたのだろう。だったら、目の前の匠工の言葉に対し、きっと思うところはあるはずなのだ。
それにも関わらず、感情の起伏を
燎琉もまた、第弐性を持ってはいる。が、甲性である燎琉にははかりしれない苦悩を、癸性である彼らは――瓔偲や、目の前の
癸性であるという、ただそれだけで、生きたい道を歩むことが
かといって、情けなくも、彼らに何と言ってやっていいのかもわからない。燎琉はくちびるを引き締め、てのひらをきつく握り込んだ。
こちらの沈黙をどう取ったのか、
「すみませぬ。要らぬことをお聞かせしてしまいましたようです」
頭を下げられ、いいや、と、燎琉は首を振った。
ちっとも要らぬことだとは感じなかった。
それに、と、燎琉は思う。自らも癸性であり、それゆえの苦労を身に沁みて知っているこの
「さて、お訊ねはなんでございましたでしょか、
匠工が改めてこちらに本題を促した。
それを受けて燎琉は、瓔偲の手から
「これを見てもらいたい。――あなたが作られたもので間違いないだろうか?」
男は燎琉の手にある瓔偲の
「たしかに、わたくしの手になるものかと……しかし、留め金が外れておりますね。いかがなさいましたか」
「これは、定期的に、手入れのためにこちらに預けられているはずのものかと思うのですが……最後は、ひと月ほど前にも。それでも、このように
瓔偲の問いに、男は、はて、と、首を傾ける。
「ひと月やそこらで外れるようなことは、まずもってないかと思いますが……すこし、見せていただいても?」
求められ、燎琉は男に
「ああ、皮革と金属の鍵の部分を繋ぐ留め金のところに、ちいさな傷がございますね。これは……自然に出来たものとは思われません」
顔を上げると、厳しい顔つきをして、真っ直ぐに燎琉を見た。
やはりか、と、燎琉は眉をひそめる。
「その首輪は、すこし強めに引いただけで、留め金が毀れて外れたんだ。誰かが細工をした可能性はあるか?」
続けて問うと、
「むしろ……それしか、有り得ません」
やはりそうなのか、と、燎琉は、ぎり、と、奥歯を噛んだ。
「公子さま」
おずおずと、
「これの持ち主の方は、その……いま、
男にそう訊ねられた燎琉は、けれども一瞬、相手が何を問おうとしているのかがわからなかった。
が、一拍ののちに、この
息を呑む。
答えるべき言葉がなかった。
これの所持者である瓔偲は、事実、燎琉に
燎琉は、ちら、と、傍の瓔偲のほうを見た。
男の声を聴いた刹那、瓔偲は、ふと、表情を消していた。
が、すぐにしずかに微笑して、だいじょうぶです、と、
「お気遣いには及びません」
きっぱりとした瓔偲の言葉を聴いて、匠工の男はほっと息を吐いた。己の手になる
男のそんな表情を見てしまうと、瓔偲の言葉がまったくもって
「――そういえば、公子さま。もうひとつおかしなことがございます」
やがて思い出したように
「なんだ?」
燎琉は男の言葉に気を引かれるように顔を上げた。
「たしか先程、ひと月前に手入れを、と、そう仰いましたが……その頃に手入れのためにお預かりした
なんだと、と、燎琉は思わず鋭い声を上げていた。
「それは確かか?」
「念のため記録を見て参りますが、間違いないはずでございます」
お待ちを、と、言い置いて、匠工の男は裏へ下がっていった。
間もなく戻っきた手には一冊の帳面があった。
「やはりございません」
帳面を見ながら、男はそう言う。
「その前にお預かりいたしましたのが四月ほど前でございますが、そのときにはもちろん、どこもおかしなところは見受けられませんでした。留め金を締め直して、吏部へとお返ししております」
では、その時には首輪はまだ正常のそれだったのだろう。それから四月――……その間に、誰かが瓔偲の首輪に細工をした。
燎琉は瓔偲と顔を見合わせる。瓔偲は難しい表情をすると、いかにも思案げに、かたちのよい眉を寄せた。