「お前にも買ってやる」
しかし、そうはいっても、むこうも商売である。すぐに傍の者に言いつけて、
新たに用意された簪は、見た目にこそ華やかさはないが、なにしろ
燎琉は並べられた簪を、今度こそ熱心に眺める。翡翠の簪は、淡緑のものもうつくしいし、赤翡翠などもなかなかの代物だった。
だがやはり、と、燎琉が最後に選び取ったのは、
「これはどうだ?」
燎琉は立ち上がると、瓔偲の
うん、と、自分の選択に満足して、燎琉は口の端を持ち上げる。自分が贈った簪を瓔偲が挿しているところを想像すると、なにか、とても気分がよかった。
店主に目配せする。
「これを戴きたい」
迷いなく告げる。
「お待ちください」
けれどもすぐに、それまで呆然としていた瓔偲が口を挟んできた。
「いただけません」
ふるふると首を振る。
せっかく自分が選んだものを拒まれて、燎琉はむっとくちびるを引き結んだ。
「なんだ、気に入らないか? それなら、お前が気に入る、別のものでも構わないが」
「っ、ちがいます。とてもうつくしい簪ですから、気に入らないなんて、そんな……ですが、いただく
相手が心底困ったふうに眉根を寄せるのに、燎琉はきょとんと目を
「どうしてだ?」
たしかに、このままいけば、しばらくのちには瓔偲は燎琉の妃になる。
だが、その婚姻は、もとはといえば皇帝から命じられたもの。立場のこともあって、反発らしい反発こそしていないとはいえ、燎琉にとっては、なにも自分にとって望んでのものではなかったはずだった。
それなのに――……おかしい。
いまの自分の思考回路は、まるで、瓔偲との婚姻を自然に受け入れているかのごときそれだった。
燎琉は額に手を当て、ふるふる、と、ちいさく
そもそも、今日この
そして、もしもそうした事実が明らかになったならば、婚儀について皇帝に再考を願うべきだ、と、瓔偲ははっきりとそう主張していたのだ。
つまりそれは、瓔偲自身は、燎琉との婚姻が破棄されるのならばそれでかまわないと思っているということである。
否、むしろ、出来れば白紙に戻したい、と、彼はそう望んでいる――……そんなふうに思い至った刹那、燎琉はふと、しくり、と、我が胸が痛んだように感じた。思わずちいさく眉根を寄せている。
べつに、それでいいではないか。
自分はそも、父皇帝の意に従っただけだ。皇帝の命である以上、瓔偲との婚姻に異を唱えようとは思わなかったが、それは単にそれだけのことだった。
父帝が翻意して、この婚姻がなかったことになるのならば、燎琉だって、別段、それはそれでかまわないはずである。むしろ、自分だって、そうなることを望んでいたはずである。
それなのに、どうしてこんな気持ちになるのだろうか。
きっと、瓔偲とつがいになったせいだ。
そのせいで、自分の心に意図せぬ変化が起きているに違いない。
時折、白百合の香りに惑わされそうになるのも、きっとそういうことなのだろう。
つがいとはそういうものだから、と、燎琉は誰にともなく言い訳するように、つらつらと考えていた――……でも、だったらなぜ、瓔偲のほうは燎琉との婚姻が白紙になってしまうことを、何とも思うふうがないのだろうか。
引き離されるのは
そのことにはっとして、慌てたようにあからさまに、ふい、と、瓔偲から顔を背ける。
「ごちゃごちゃ言うな!」
結局は、ぶっきらぼうにそんなことを言い放っていた。
「俺がやりたいんだから、黙って貰っておけばいいだろう」
それだけを言うと、反論させる隙も与えず、店主に向かって、これをくれ、と、告げてしまう。ついでに
「燎琉さま……」
まだ戸惑うふうの消えない瓔偲に、店の者が丁寧に包んでくれた簪を強引に押し付ける。
「玉は持ち主から邪を遠ざけ幸運をもたらすといわれるものだ。あって損はないだろう?」
それでも相手はまだ困ったようにしていたが、しばらくの
瓔偲は、その黒い眸で、真っ直ぐに燎琉を見詰める。
「ありがたく、頂戴いたします。――お気遣いに感謝を」
堅苦しい言葉で言った。
けれどもその後に、長い
「だいじに使います……ありがとうございます」
そう付け足した瓔偲のほころんだ表情を見て、燎琉は、なんだか急に照れくさくなった。
「っ、好きにしろ」
いっそこのまま抱き寄せて、我が手で瓔偲の髪に簪を挿してやれれば、と、そんなことを思う。
ふわ、と、百合が香ったような気がして、ぼう、と、なったが、だがそこで、だめだだめだ、と、首を振った。
そう、自分たちには本題があったのだ。なんとかそのことを思い出し、気を取り直した。
再び店主に視線をやる。
「いい買い物をさせてもらった」
威儀を正して、燎琉は言った。
「こちらは随分よい
「はあ……どういったことでございましょうか?」
店主は不審げだ。それはそうだろう、と、思いつつ、燎琉は瓔偲に目配せした。
瓔偲は頷いて、持ってきていた
「これは、こちらの
「たしかに、国府のほうから依頼をうけて、うちで作っておるものでございます。留め金が
「まあ、そんなようなところだ。すまないが、これを扱える
燎琉は店主に言った。
「かしこまりましてございます。少々お待ちくださいませ」
店主は言い、一度、奥へと下がっていった。
やがて現れたのは、首に瓔偲が手に持つものとよく似た
「癸性の……」
燎琉は刹那、息を呑んでから、思わずそうつぶやいていた。