太医とは、皇家専属の
周太医を待つ間、燎琉は皓義が運んでくれた茶を
「
燎琉が訊ねると、いえ、と、瓔偲は首を横に振った。
「なぜだ?」
燎琉には、瓔偲の答えが意外だった。
鵬明は瓔偲にとっては直属の上司であったのだ。しかも、七日前の事故――いまやそれは、事件なのかもしれないが――ののち、
だから叔父は、瓔偲がまず真っ先に頼り、話をしていてもおかしくはない相手ではないのか。だが瓔偲は、燎琉の問いに対して、困ったように目を伏せて黙り込んだ。
「どうした?」
そう訊ねても、まだしばらくは、ただ瞬きをするばかりで口を
「なにかあるのか……叔父上に」
鵬明に疑うべき何かがあるのだろうか、と、瓔偲の不自然な沈黙にそう
「いえ……! ただの……可能性に過ぎません」
慌てて否定しつつも、ようやくそんなふうに口を開いた。
「この件が、単にわたしへの……
「いや、たとえお前への嫌がらせだとしても、それは全然よくなはいだろうが。だって、お前の人生を歪めるようなことだ。
燎琉が不快に眉を
「殿下は……公正な方でいらっしゃいますね」
それから、ふ、と、口許をゆるめると、燎琉にはよくわからない、そんなことを口にした。
「別に普通だ」
「……そうでしょうか?」
どこか含みのある言い方で口にすると、相手は眉尻を下げて、ふう、と、嘆息する。けれどもそれ以上、その話題について語ることはせず、瓔偲は気を取り直したように燎琉を真っ直ぐに見た。
「殿下」
「なんだ」
「もしもこれが、わたしではなく、殿下を標的にした
「俺?」
どういうことだ、と、燎琉も厳しい表情で瓔偲を見返した。
「標的が殿下だったと仮定すれば、これは、皇位に
瓔偲はそこで、ひとつ静かに呼吸した。
「先程も申しましたが、世間の、癸性の者へ向ける視線は、いまだ公正なそれとは申せません……殿下のそれとは、ちがって。癸性への風当たりは、いまだ、相当に強いものなのです。発情期を持ち、本能に支配される、
「それが俺の立場とどう関係するんだ?」
「この国の民の中にはまだ、わたしのような癸性の者を、皇太子妃として……いずれは皇后になる者として、受け入れる土壌が育ってはいないということにございます」
「つまり……お前はなにが言いたいんだ」
燎琉は腹の底にむかむかと気色の悪いものを覚えつつ、眉根を寄せた。決して、瓔偲に対して不快になったのではない。そうではなくて、彼の発言の中味は――それがこの世の現実の姿なのだとしても――聴いていて気分のいいものではなかった。
燎琉が声を低めたので、瓔偲はややたじろぐようだ。
けれどもすぐに顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見た。
「すなわち、わたしを妃として迎えることは、確実に殿下を皇太子の位から遠ざけるということです」
彼はきっぱりとそう言い切った。
「ですから、そういう陰謀であった可能性が」
それから、ちいさな声でそう付け足した。
燎琉自身は、なにも皇太子の位を積極的に望んでいるわけではなかった。そもそも自分は皇帝の第四皇子なのだ。五年前、先帝の崩御に伴って父が皇帝の位に
燎琉の上には異腹の兄が三人いたし、長幼の順を重んじるならば、そもそも皇嗣が自分であるはずがない。いずれ父帝は皇太子を定めるのだろうが、三人の兄のうちの誰かが――もちろん、まだ下にいる弟皇子でもいいわけだが――選ばれるなら、別にそれで構わないと思っていた。
ただ、母皇后にとって、自分が唯一の皇子であるのは確かである。だから、母が燎琉をこそ皇太子に、と、そう考えていることも知っていた。
燎琉の成人を機に、本格的に目的を達するために動きはじめていることも――宋家の
燎琉にすら、わかるのだ。ならば周囲には、燎琉こそ皇太子に最も近い候補である、と、そう考えている者がそれなりの数にのぼるだろうことは、紛れもない事実だった。
燎琉が皇太子となることを望まない誰かが、燎琉が甲性であることを利用して瓔偲と無理につがわせ、燎琉を皇嗣に近い立場から引き
たとえば、事故に見せかけ、敢えて癸性の者とつがわせてしまう。現皇帝のこれまでの施政方針を
燎琉は、癸性の妃を持つことになる――……まだ、民にとっては受け入れることの難しい、癸性の妃を。
「お前を利用して、俺を
燎琉は眉を顰めて歯噛みした。
「もちろん、すべては可能性の話です。ですが、もしもそうだと仮定すれば、殿下が皇太子の位から遠ざかったことで、逆にそこに近付く者の中に……つまりは、首謀者の候補の中に、先帝の皇子である鵬明さまも、確実に、いるのです」
瓔偲の言葉に、燎琉は目を瞠った。
「叔父上が、まさか」
そんな莫迦な、と、燎琉にはそうした想いしかない。だが、瓔偲は難しい顔をしたままだった。
「鵬明さまご自身でなくとも、
瓔偲が続けて口にしたのは第三皇子、燎琉にとってはすぐ上の兄の名であった。その裏には、国府の権力者の影までがちらつくのだと彼は言う。
単に不慮の事故であったのだと思っていたことが、実はそうではないのかもしれない、と、そう告げられて、燎琉は
「もしも、そうなら」
瓔偲が言葉を継ぎ、それではっとしたときには、爪がてのひらに食い込んでいた。
「殿下のお怒りはごもっともです。ですが、だからこそ……そこに
燎琉の心情を