恨めばよいのかという不穏な言葉とはうらはらののふんわりとした表情に、
「そんなことを言ってみたところで、でも、それがいったい何になるというのでしょう? すでに起きてしまったことですから……受け入れるよりほか、しようがありません」
目を
「申し訳ございません、殿下。先程のは、ほんの
そう言ったときには、もう、先に瓔偲の眸に映った感情の光は、すっかり
なんとも複雑なきもちで燎琉が相手を見詰めていると、瓔偲は、こと、と、ちいさく小首を傾げる。その動きに合わせて、絹のような、艶やかな黒髪がわずかに揺れた。
「ただ……先程申した中でも、もともと誰かと結婚するつもりがなかったというのは、本当です。わたしは、官吏として、生涯、我が身は国のために捧げようと思っておりましたから」
はたはた、と、瞬いた
すう、と、
空間に
痛いほどの
「どうか、したか……?」
燎琉は堪りかねて、相手の端正な横顔に問いかける。
「言いたいことがあるなら、べつに、隠さずに言ったらいい」
そう続けると、瓔偲ははっとした様子で燎琉を見た。長い睫に縁どられた涼やかな目許が、驚いたように見開かれている。
しばらく戸惑うふうだったが、やがて、瓔偲は意を決したふうに真っ直ぐに燎琉を見詰めた。
「殿下……殿下には、信用がおける
それはあまりにも唐突な言葉だった。
「
突然変わった話題についていけず、
いったいどうしたんだ、と、うかがう視線を相手に向けると、瓔偲は
あるいはそれは、どこか思い詰めたような表情だったのかもしれない。
「どうか、したのか……?」
燎琉が問い方を変えると、いえ、と、わずかに
「いいから、言え」
なにやら言いあぐむ相手に決心を促すように、燎琉はそう言葉をかけた。
瓔偲は、ふう、と、己を落ち着けるようにひとつ吐息を漏らす。それから、白くうつくしい
取り出してみせたのは、何ら変わったところのない、ひと包みの薬包である。
「これは……?」
目の前に差し出された薬の包みを燎琉は我が手に受け取ってしげしげと眺めた。
「わたしが日頃服用していた、発情を抑制するための薬です」
瓔偲は端的にそう答えたけれども、それでもまだ、燎琉には、相手がそれを自分の目の前に出してきた意図がわからなかった。
「この薬が、どうかしたのか」
重ねて問うと、瓔偲は何かを訴えるような眼差しを燎琉に向けた。
「わたしは発情を抑制する薬を呑んでおりました……間違いなく」
強い声で、そう言う。
「二年前、いまの陛下の
だからその通りに薬は服用していた、と、瓔偲は言う。
「では、なぜ……お前はあのとき、発情を起こしたっていうんだ?」
そう、七日前、燎琉が
だが、瓔偲が薬を服していたというならば、普通ならそんなことが――発情状態になるようなことが――起きるはずがない。
「理由は、わかりません」
瓔偲はちいさく
「わたしは、自分が第弐性を有することがわかってからずっと、薬を服用し続けてきました。ですが、これまで一度も、効かなかったことなどなかったのです。あのときが、初めて……だから」
そこまできて燎琉は、ようやく、いま瓔偲が信用できる
「まさか……この薬に、なにか仕込まれた、と……? お前はそれを疑っているのか?」
燎琉は瓔偲から手渡されていまは我が手の中にある薬包をまじまじと見る。
「わかりません」
瓔偲はまたそう言って首を振った。
「確信などありません。でも……いいえ、だからこそ、調べていただきたいのです。むずかしいでしょうか?」
黒い眸が、強い光を宿して真っ直ぐに燎琉を見る。燎琉はその視線を受けて、こくり、と、息を呑んだ。
「わたしたちがつがってしまったのは、誰かの
「企み……」
「はい。あのときわたしが身に付けていた
「っ、いったい誰が!?」
燎琉は思わず立ち上がって、強い口調で言っていた。
あの日、自分たちは望まずつがいとなり、そのために、いま婚姻までする羽目になっているのだ。
事故とはいえ、自分が瓔偲をつがいにしてしまったのでは事実だ。ならば父帝の命の通りに責任をとろう、と、燎琉は覚悟を決めた。
けれども、あれはそもそも、事故ではなかったのかもしれない。
誰かが、故意に、悪意を
誰がなんのために、と、燎琉はきつくこぶしを握りしめた。
「……わかりません」
苛立つ燎琉に、瓔偲はまた静かに首を振る。
「ただ」
そう、彼は言葉を継いだ。
「陛下は癸性の地位向上を掲げていらっしゃるけれども、まだ、癸性の者が社会に出ることへの逆風は強いことに変わりはありません。妻として、母として、家にいるべきだ、と……表だって口に出すことこそなくとも、そのように考えている者は、
「……どういうことだ?」
「つまり、癸性のわたしが国官として勤めていることを、
静かにこぼされた言葉に、燎琉はまじまじと瓔偲を見た。
「お前への、嫌がらせか何かだ、と」
「可能性は否定できません。もしもそうなら、それに巻き込まれた殿下には、ほんとうに申し訳なく……そのせいで、ご婚約まで駄目にしてしまって」
瓔偲は言いながら、やや顔を伏せがちにした。
「それは別に、お前のせいじゃないと言ったろ? もしも本当に誰かの企みだったというのなら、責められるべきは、その黒幕だ。ちがうか?」
燎琉は吐き捨てるように言った。それから再び瓔偲に視線をやると、彼は驚いたふうに目を
「どうしたんだ?」
それでもまだどこか戸惑うふうなのを
「殿下、失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
そこへちょうど、茶器を持った皓義が扉を開けて入ってくる。燎琉は正房へ足を踏み入れた侍者に、ちら、と、視線を向けた。
「皓義か。悪いが遣いを頼まれてくれないか」
早々に確かめるべきことがある。それで燎琉は、皓義にそう言った。
「はあ、それはもちろん、かまいませんが……急に何事です?」
皓義は茶器を卓子へ並べつつ、驚いたように目を瞬く。
「じぃを……