アシュランは前を歩いている、小娘の背中を眺めながら呆然としていた。
どうしてこうなった。それしか頭に浮かんでこない。目の前を意気揚々と歩いていく小娘は、どう見たって、ただの小娘だ。まるで芋娘。冴えない娘のことを、男たちが陰でそう言うのがよく分かる。
メインは笑顔で、振り返った。不機嫌そうなアシュランのことなど、気にしていない。
「アシュランさん、あっちでちょっと花を見ていきましょう!」
「おう……」
「元気がないですねー!ほら、せっかくの国外なんだから喜んで!」
それはお前だけだよ、とアシュランは思いながら喜んで歩いているメインを、ただ見ていることしかできなかった。彼にとって国外など、大して驚くようなものでもなければ、すごいと感じることなどない。
仕事の為に国外に出ることが多いので、様々な知識はあったが、そこに驚きや好奇心など、微塵もなかった。世界は広いけれど、別に楽しいもんじゃない。危険と隣り合わせで生きてきた彼にとって、思うはそういうところだけだった。
◇◇◇
あの日、薬代を請求されたアシュランは、猛々しく払ってやると言い切った。
しかしその金額を聞いて飛び上がってしまう。信じられない金額だったからだ。
どれくらいか、と言われると困ってしまうが、アシュランが1年で稼げるかどうか、といったくらいの金額だ。そんなに高価な薬があるわけがないだろう、と思っていると、マスターが言う。
「国花選定師が作った薬だからなぁ。紛い品でもなきゃ安くはないぞ?」
酒場のマスターは呆れた顔をしていた。アシュランは、知らなかったのだ。
国花選定師の薬がこんなに高いなんて。吹っ掛けられているんじゃないか、と思ってマスターの顔を見ると彼は首を振った。嘘ではない。
国花選定師の作る薬は、国で製造される薬の基本になる。それがなければ、他の薬を作ることもできなければ、許可も出ない。目の前の小娘が手掛けたというだけで、その薬の価値は何倍にも跳ね上がる。
同時に、それはその薬の効果が確かなものであり、国花選定師が選別をした品質のものであることを、証明していた。金のある者なら、喉から手が出るほど欲しい。欲しくてたまらない、いくら金を積んででもいいから、薬を作ってほしいくらいだった。
しかしそれを知らなかったアシュランは、困り果てる。こんな小娘が作った薬に、そんな金額がつくことも知らなかった。自分にそんな高価な薬が、与えられているなんて、想像もしていなかった。確かに、傷の治りは特別早く、今まで使ったどの薬よりも馴染みがいいのは感じていたが、金の計算なんてしたことがない。
死にかけの傭兵が、そんな大金持っているわけがなかった。いつ死んでもいい、守るべき家族も兄弟もおらず、一匹狼だ。貯金する気など毛頭ない。日銭を稼いで、飢えをしのぎ、命を削ることで人生を過ごすことしかしてこなかった。だからアシュランは俯いて、呟く。
「ない……」
「じゃあ、働いてください!」
メインはそれだけを言った。働く、とはつまり、奴隷にするということか。すでに契約は結ばれてしまっているから、彼女はそのつもりだろう。
「はぁ?」
「1年間!私の護衛として一緒に旅に出てください!」
「1年……!マジかよ!?」
「大マジです!」
赤毛の小娘は、鼻息を荒くして言う。アシュランは困り果てた。自分が、こんな小娘の相手ができると思うか?ただでさえ国花選定師、傷でも入ればどうなるか。今以上の金を請求されかねない。
同時に、普段から一匹狼である自分が、誰かとパーティーを組んで行動するなんてできるはずもない。もって数時間、数日。それが今までの限度だった。それも金の為に仕方なくしていたこと。
もう一度マスターを見たが、また首を振られた。
「アシュランちゃん、金を払わねぇなら牢屋行きだぜ」
「う……」
「国花選定師にそんな権限はねえが、信用と信頼はお前さんの倍以上だからな」
小娘の癖に、と思ったが言えなかった。この小娘が一言盗まれた、と言えばアシュランは牢屋行きなのだ。出てくるまでにも面倒ごとが重なるだろう。そもそも捕まったら出て来れるのか?そんな保証もない。嫌な話だ。
「1年くらい、いいじゃないですか!」
「よくねぇよ。お前みたいなブスの小娘連れて、国外歩くなんて俺の精神が持たねぇ!」
「それは、大人の意味で……???」
「反対だ!!お子ちゃまの相手はできねぇっつてんだよ!!」
「お子ちゃまじゃないです!私はこれでももう28です!」
28。アシュランの目玉が飛び出しそうだった。この小娘、童顔すぎじゃないか。そばかすの顔のせいか、赤髪のせいか。化粧もろくにせずいるせいか。小柄なせいか、なんなのか。
「立派に成人しています!」
「なんだよ、ただの行き遅れじゃねぇか」
「いいんです!結婚相手なんてそのうち……誰かが連れてきます」
それは彼女が国花選定師だから。その血筋を絶やすわけにはいかないから、王や父親がどうにかして相手を見つけてくるのだろう。先代の国花選定師が早くに死んでしまった影響で、彼女はまだ学びの期間なのである。結婚相手の話をした時だけ、メインの瞳は暗く、表情は枯れた花より酷かった。
「つまりは、姐さんか」
「ちょ、マスター言うなよ!」
ニヤニヤしながらマスターが言う。何事かと思ってメインが見れば、アシュランが真っ赤な顔をしているのだ。
「嬢ちゃん、コイツはまだ25なんだぜ」
「あら、じゃあ弟みたいなものですね!」
マスターの言葉にメインはニコニコして言った。「弟が欲しかったんですよー」と笑って言ったり、年下であることを楽しんでいるかのように笑う。
「お姉ちゃんって呼んでいいですよ!」
「呼ぶわけねーだろ!?」
何なんだ、この女は。こんなにちんちくりんの癖に。ちんちくりんの癖に、彼女の背負う責任は、この国随一なのだ。
「で、お金はどうします?」
メインはそう言ってアシュランに手を差し出した。国花選定師は、国で一番の頭脳を持つとも言われる。それくらいに頭がいいし、記憶力もいいのだ。忘れるわけがない。
こうして、アシュランは仕方なく彼女と旅に出ることになった。
◇◇◇
「それは食えない」
「そうなんですか?」
「腹を壊す」
「へー。国の中では見たことがない植物です」
「最近増えてきたな、ソレ」
「……気候の変化か、それとも風向きで、よそから」
植物を見ながらメインはノートに書き記していく。この旅はこうやって進んでいくので本当に面倒なのだ。何度も何度も立ち止まるので、まったく進まない。本来ならもう隣の国へ到着していてもいい頃合いなのに、半分も進んでいなかった。
「アンタ、ちょっとは計画的に行動できねぇのかよ?」
「そうですか?」
「まだちっとも進んでねぇのに、食料は減るし、まともに寝る暇もねえ!」
「あー、そうですね」
気づいていたのか、いないのか。頭はいいはずなのに、それは植物に関する時だけのこと。こんな妙な女に付き合わされて、アシュランは気が狂いそうだった。だから嫌だったのだ。こんな女と一緒に旅に出るなんて。アシュランにとって命よりもこっちの方が地獄のようなものだ。
アシュランはメインを名前で呼ばない。信頼できる相手しか名前で呼ばないのだが、そんな人間数えるほどしかおらず、その中に彼女は入っていなかった。アンタ、ちんちくりん、最悪の時はブス。そんなことを繰り返しながら二人は、本来は大した道中でもないのに進んでいく。
植物のことしか頭にない彼女は、旅をすることがどれだけ危険な行為なのか知らない。いつも話をしてばかりで、森中に声が響きそうになる。そんなことをすれば野生の動物だけでなく、魔物も近寄ってくる。それがどうしてわからない?とアシュランは何度も頭を抱えるのだ。
大きなため息は何度目か。メインはそのため息を聞く度に「幸せが逃げちゃいますよー」と笑って言った。
「そんなに安い幸せなら、始めっから要らねぇよ」
荷物を持ち直してアシュランが言う。するとメインは少しだけ驚いたような、目を丸くしてつぶやいた。
「それもそうですね」
「あんだよ」
「そうだなって思ったんです。ため息ついたくらいで逃げちゃう幸せなんて、幸せじゃないかもですね」
「はあ?」
そういうメインの横顔は少しだけ女っぽかったが、すぐにその赤毛とそばかす顔が目について、アシュランはまたため息をつくのだった。