「お前はさ」
急に話しかけられて、メインは驚いた。彼から話しかけてくるとは何事か、と思ったのである。しかし彼女も王宮で働いてきただけのことはあり、顔色を変えない術くらいは知っていた。
「なんで国花選定師なんだ?あれって、あれだろ、ホラ、一族で決まってるっつーか」
「そうですね、先代は母だったんですけど、死んだので」
「あ、そーなん」
「はい。流行り病の薬を自分の分まで作れなかったって聞きました」
どういう話だ、とアシュランは思う。自分の母親が死んだというのに、この娘はそれをあっけらかんとした顔で言うのだから。
けれども母親の顔を覚えているだけいいのだろうか、とも思う。自分は生みの母の顔も知らない、一匹狼だ。昔は狼の胎から生まれてきたのだろう、と馬鹿にされたものである。
「変ですよね。自分がいなきゃ、薬はいつかなくなっちゃうのに」
「まぁな」
「父もあまり詳しくは話してくれないですし。私にとって母の代わりは母が残してくれた日記帳と植物たちなんです」
「ふーん」
「興味なさそう……」
「興味あるって言ったことねえだろ」
「そうですけどぉ」
赤毛を揺らして彼女は言う。娘のために残した日記帳ではなかったはずだろうが、今はそれが彼女にとっての母親代わり。代わりがいるだけいいのだろうか。そんな気さえしてくる、とアシュランは思う。そう言えば、と思って彼は口を開いた。
「おい」
「メインです」
「おい、お前、植物の声が聞こえるのか?」
「なんですか、急に」
「だから、聞いてるだろ。聞こえるのかって」
「聞こえますよ。国花選定師なんだから」
「お前の奴隷だから俺にも聞こえるようになったのか?」
アシュランの問いかけに、メインは目を丸くした。今まで自分以外に植物の声を理解する者などいなかったのだ。あの美しくて微かな声、人とは違うあの感覚を目の前の男も味わっているのである。それはメインにとってとても嬉しいことだった。
「アシュランさん!聞こえるんですか、植物の声!素敵でしょ!?」
「いや、うるせぇわ」
「って、なんでそんな!」
「俺は耳がいいんだよ。山育ちだからな。だからずっと聞こえるのは正直つれぇ」
「シュッってしてパッてしたら、調整できますよ!」
「お前!薬みたいな難しいモン作れるのに、人にはそんな説明ってどーしてんだよ、頭ン中!」
バスッと音がして、アシュランの手はメインの頭を押さえつけた。小さな女だ。自分より年上で頭もいいというのに、どこかで聞いたおとぎ話に出てくる小娘のよう。自分が居なければ守る者もいない、そんな旅路。王も父親もどうかしている。こんな娘、国の中に閉じ込めておく方が有益なはずだ。
「アンタさ」
「だから、メインですって」
「アンタ、なんで国を出てきたんだよ。まあ、色々勉強したいだのなんだのっては聞いたけどさ」
「……国花選定師は、昔から国に一人は必ず要る存在なんです。国を影から支え、国民をその技術と知恵で守るため、日々努力を惜しみません」
赤い髪の娘は、少しだけ目を潤ませているように見えた。外を知らない―――それはアシュランとはまったく違う生き方だった。
「私は、外を知りません。そして多くの国花選定師がそうなんです」
「みんなそうなのか?」
「はい。だっていなくなったら、国が潰れちゃいますもん」
「そんなもんかぁ?」
「そうなんです。だから……この国は、母が死んでしまった時に大きく傾いたんです」
どれくらい前の話なのか、とアシュランは口を開こうとして、やめた。聞いたら長い話しになりそうだったからだ。
「次の国花選定師が育つまでにどれだけの時間がかかるか分からない。それは国にとっての恐怖。次の国花選定師が育つまで、国には薬どころかお酒だってまともに……」
「酒?」
「はい、お酒」
「お前、酒、作れんの?」
「知らないんですか?酒造は国花選定師の得意分野ですし、国で酒造許可を取るには国花選定師の許可がないとダメなんですよ?」
「ってことはお前は国一番の酒蔵!?」
「変な、例え方……でもまあ、そうですね、そんな感じかな?」
へへ、と褒められたわけでもないのにメインは少し笑った。笑えば可愛らしいところもあるじゃないか、とアシュランは思ったがそれは一瞬だけのことだった、と後から思い知る。
その後の旅路、メインはアシュランに酒造についての話を延々と、それこそ延々と語り続けるのだった。酒は好きだが、こんなに難しい話を続けられて、アシュランは隣国の門が見えた時―――震えるほどに嬉しいと思ってしまう。狂人なんて言われていたのに、こんな小娘一人に踊らされるなんて。酒場の奴らには見せられない姿だ、と思ってしまう。
「アシュランさん、ここが有名な砂の国ですよ!」
「なんで植物のこと知りてぇっつてるのに最初に選んだ国が砂の国なんだよ!アンタ頭いいんだろうがよォ!」
荷物を地面にたたきつけ、アシュランは叫んだがメインは気にしていなかった。彼女はニコニコしながら話す。
「砂漠の花を見たいんです」
「俺は見たくねぇ」
「砂漠の砂の中に咲く、すごく珍しい花があるんですよ!」
「それは幻覚だ」
「幻覚作用があるって昔は言われていたんですけど、それは熱中症のせいで、実際に花にはそういう作用は一切なくって」
植物の話が始まると彼女は止まらない。もう嫌だ、と思ってアシュランは逃げようと思う。このままこの女だけここに置いて、逃げよう。隣国から本国へ連絡を入れてもらって、回収してもらえばいいはずだ。国花選定師がそんなに貴重な存在なら、絶対に迎えが来るはず、とアシュランはない頭で考える。
意気揚々と砂漠の花のことを語り続けるメインを背に、アシュランは走り出した。門を潜り抜け、人込みに紛れる。そして―――次は、と思っていた時に視界は青空を見ていた。おかしい、何があったんだ。どうして自分は天を仰いでいる。
「アシュランさん!」
メインの声が遠くに聞こえ、ぶつけた後頭部の痛みと急に変わった視界の変化に理解ができない。何が起きたんだ、自分は。
すると男の低い声が聞こえてきた。アシュランには一瞬で感じ取れる殺気。その瞬間、彼は飛び起きて身構えた。
そこにいたのは金髪の美丈夫だ。身に着けている武具は値の張りそうな物ばかりで、彼が一般人ではないことをすぐに思わせる。
「奴隷風情が、国の往来を歩くな」
「あンだと、貴様!誰だ!」
「私は」
アシュランが腰のナイフに手をかけ、相手の男も自分の剣を抜こうとした。一触即発とはこのことか、と周囲も怯え出す。
「ちょっと!アシュランさん!荷物を置いて勝手に行かないでください!」
大きな荷物を抱えたメインの叫び声が聞こえ、アシュランはそちらを見た。逃亡するつもりだったがそれは今度の機会にするしかない。目の前の男は強い、とすぐに分かった。この男はただの男ではないはず、と思った時に目の前に男はいないではないか。どこに行ったのか、と思えば男はメインの前にいる。荷物を握り、彼女を見つめ、微笑んだ。その微笑の美しさは極上だ。男とは思えないほどの美しい顔がメインに微笑んでいる。
「赤髪の乙女、あなたは噂の国花選定師ですね」
「は、はあ?」
「お待ちしておりました。王より到着されたら王宮へご案内するように、と指示されております」
「えーっと、王様に連絡が入っているんですか?」
「はい、貴方の国からしっかりと連絡がございました。無礼がないよう、ここでお待ちしておりましたよ」
その男は非常に男として優秀だった。メインに頭を下げ、手を差し出し、その小さな手を取る。傭兵のアシュランにはしたこともないような、そんなことばかりする。
「私の名前はレンカ。この国の将軍を務めております」
輝く金髪とそれに映える赤い目。まるでヒナゲシのような赤い目をしているな、とメインは見上げるのだった。