末路《五》

 凄いと思う反面、千砂はそれをとても哀しいと感じた。罪に手を染めていると分かっていながら、これから余計に自らが穢れるというのに、それをなんということはなく受け容れてしまう。普通、そんな選択を迫られたら、誰だって自分が穢れない道を選ぶ。それは、自分が辛い思いをするのが目に見えているから。誰だって辛いことから逃れたいと思うものだ。しかし、霊斬はその逆だ。自分から辛い選択を選んで、たった独りで今まで生きてきている。罪を、穢れを、痛みを、その身で受けながら、それでも生きようとしている。そんな姿を見ていると、とても、胸が痛くなる。幸せになる権利は、誰だって、平等にある。なのに、霊斬はそれを拒絶しているように思う。もっと他に辛くはない生き方があったはずだ。それすらも霊斬は拒絶した。口を開けば〝依頼人のため〟。

 自身を大事にできない者は、誰であっても大事にできない、という言葉を聞いたことがある。それは違うと、千砂は思う。霊斬は自分を大事にしない代わりに他者に肩入れするのだ。それが霊斬なりに人を想っているということに他ならない。あまりに不器用で、分かりにくいやり方ではあるが。

 千砂は内心でさまざまなことを思いながら、こう口にした。

「あんたは、狂ってなんかいないよ。冷静沈着なあんたが、そんなはずないだろ」

「……そうか。お前は、そう言ってくれるのか」

 霊斬の顔に微苦笑が浮かぶ。

「……痛むだろう?」

 千砂はもう一度、問うた。

「身体中がな。満足に動かすこともできん」

 霊斬は顔を歪めて言った。

「辛くはないかい?」

「もどかしい気持ちはあるが、辛いとは思わない。あれだけの攻撃を受けたんだ、こうなるのは仕方がない」

 霊斬はあくまでも冷静だった。

 ――霊斬の身体が、心の代わりに、血を流しているのかもしれない。

 千砂は内心でそう思った。

 そこへ四柳が顔を出した。

「無茶するんじゃねぇぞ。止血に朝までかかったんだから」

「ずいぶんな深手を負ったようだな」

「なにがあった?」

 四柳の問いに霊斬が答えた。

「俺は依頼人に恒伊助を壊すように頼まれた。俺は肉体的か精神的か、どちらがいいか、考えていた。結局のところ、どちらがより辛いかで選ぶことにした。俺は精神的に壊す方を取った。無防備の状況を作り、どのような反応をするか試した。恒はなんの躊躇いもなく俺に攻撃を仕掛けてきた。それで、この男は狂っていると判断した。普通、無防備な人相手なら、少しくらい躊躇うものだろう? 奴にはそれがなかった」

 霊斬はふうっと息を吐いてから話し始めた。

「俺の身体が傷つくたびに、奴の中で人を傷つけることが楽しいという、感情が芽生えていたのを感じていた。目を見ればわかる。それに、相手がどれだけ傷つけば死ぬかということも。狂っていてもそれだけは分かるんだろうさ。だから、俺は奴の気がすむまで、待った。幸い意識を失うことがなかったから、好機を逃さずにすんだ。俺はその瞬間に、矛先を俺以外の誰かに向けた。俺が傷つけ動けなくしていた男達にな。すでに狂ってしまった奴は、男達の悲鳴に耳を貸さず、ただ快楽のために人を傷つけていた。それが恒伊助の末路だ」

 重苦しい沈黙が三人の間に降りる。

「……馬鹿野郎! 全部分かっていたのか。こうなることも分かった上で、お前は自分の身体をそんな屑のために差し出したっていうのか!」

 四柳が怒鳴る。

「依頼人の意思だ。仕方あるまい」

「仕方なくねぇよ! この馬鹿! 何度お前は死にかければ気がすむんだよ! それがどれだけの恐怖か、分かるか?」

 すかさず四柳の怒号が飛ぶ。

「悪いが、俺には分からない。俺は俺のすべきことをしているだけだ」

 霊斬は淡々とした口調で、断言した。

「だが、今回のような真似はもうしないだろうな?」

 霊斬は苦笑した。

「負担が大きすぎるからな、懲りたよ」

「……なら、いい」

 四柳は言うと、部屋を去った。


 千砂は溜息を吐いた。

「そんなにぼろぼろになって、よくもまぁ、そんなにぺらぺらと話せるねぇ」

 霊斬は苦笑したものの、顔をしかめた。

「さすがに痛む」

「その様子じゃぁ、しばらく寝たきりだねぇ」

 千砂の言葉に、霊斬はうなずく。

「数日経てば眠れるかもしれんな」

 霊斬が言う。

「あれ? 七日も寝ていたじゃないか」

 千砂が首をかしげる。

「あれはたまたまだろう。寝つくまでが苦痛なんだよ。最初のころに比べたらそれなりにいいが、熱が引かん」

 霊斬が苦笑して言った。

「それはきついね」

 千砂が苦笑する。

「熱いおかげで動けないしな」

「今、動いたら、身体を張って止めるからね? それで余計に悪化しても知らないから」

 千砂が霊斬を睨みつけて言った。

「安心しろ。そんな真似はしない」

 霊斬は思わず苦笑した。

「そうかい。あたしはこれで」

 千砂はそう言い、部屋を去った。



 霊斬が少しずつ動けるようになるまで、さらに五日かかった。

 その日の夜、動けるようになるや、霊斬が四柳に言った。

「もう帰る」

「分かった、酒と仕事は禁止だ。やっと動けるようになったからって、無茶をするな。家の中を移動する分には大丈夫かもしれんが、ここにくる以外の長い距離の移動は厳禁だ。十四日後、顔を出せ」