霊斬の額の汗を拭いながら、千砂は溜息を零す。
そうっと握っていた手を離すと、ぴくりとも動かないことから、熟睡できているのかもしれないと思い、水分を含んで固くなった手拭いを桶に浸して、揉み出す。
また汗をかいていたら拭こうと決めたものの、
それからだいぶ経った後――霊斬が目を開ける。
ちゃんと寝れたかどうかは分からず、嫌な夢ばかり見ていた気がする。
ゆっくり身体を起こすと、掌に激痛が走る。
痛みに堪えた後、ふうっと息を吐くと、隣を見遣る。
千砂が毛布もかけずに眠っていた。横向きの体勢で、手に手拭いを握っていることから、看病の途中だったのかもしれないと思い、霊斬は力のない笑みを浮かべた。
痛む掌を庇いながら、千砂を起こさないように、静かに毛布をかける。
身動きひとつしないことに安堵しつつ、霊斬は再び眠った。悪夢を見なければいいと願いつつ。
もう空に日が上るころ、千砂は目を覚ました。
寝てしまったのかと思い、溜息を零す。
霊斬に視線を向けると、焦点の合わない目で天井を眺めていた。
「霊斬」
名を呼ぶと目に光が戻った霊斬は顔を向けてくる。
「どうした?」
「大丈夫かい?」
「ああ、だいぶ楽になった」
霊斬の言葉は的確で、そっけなかった。
「少しは寝れたか?」
千砂が黙っていると、霊斬が声をかけてきた。
「寝るつもりはなかったんだけどね」
千砂は苦笑する。
「無理はするなよ」
「あんたに言われたくない」
今度は霊斬が苦笑した。
「あ、いけない!」
千砂は慌てて、一階へと駆け下りていく。
どうしたのかと霊斬が待っていると、風呂敷を抱えた千砂が戻ってくる。
「これ、返すよ」
霊斬が風呂敷を受け取り、解くと以前千砂に貸した浴衣が綺麗に畳まれていた。
「そうか」
霊斬は片手で浴衣を持つと一階へ降りていく。
千砂も後に続いた。
霊斬が浴衣を仕舞っている間、千砂は奥の部屋にいき座って待っていた。
「朝まで悪かったな、熱は引いたからもう帰れ」
千砂の正面に胡坐をかいた霊斬が言った。無造作に置かれた左手が痛々しく見える。
「あんたが熱を出している間、うなされていたよ」
「そうか。……俺は夢の中で」
霊斬は言葉を切り、ひとつ息を吐く。
「人を殺めようとしていた」
淡々と告げるその声に怯えや震えはなく、聞いているこちらの方が、背筋が寒くなった。
霊斬は左手に視線を落としながら、言葉を続けた。
「制止がなければ、俺は躊躇うことなく殺めていただろう。だがな、それを止めてくれた者がいた」
――お前だ。
霊斬は千砂を正面から見つめ、言外に告げた。
千砂は驚いたような顔をして、霊斬を見つめる。
「おかげで、苦しまずにすんだ」
霊斬は頭を下げる。
「頭を上げておくれよ」
千砂が慌てて言うと、霊斬は頭を上げた。
「なら、よかったよ。大したことはしていないけれどね」
千砂はふっと笑う。
霊斬もつられて笑った。
数日後、依頼人の遊女が霊斬の店を訪れた。
「先日は、どうもありがとうございました」
「いえ、私は依頼を達成しただけにございます」
霊斬は正座をしたまま苦笑する。
「報酬です」
遊女は小判五両を差し出した。
それを受け取り、袖に仕舞うと、霊斬は頭を下げて言った。
「またのお越しをお待ちしております」