遊郭《七》

 霊斬の指先に触れた四柳が言った。それほどに外は冷え込んでいたのだろう。

「だが、冷たいとは感じていないだろう? 傷のせいで熱いはずだ」

 四柳の指摘に、霊斬はうなずく。

「鏃の傷がどうなっているかも分からんぞ」

 四柳が溜息を吐いていると、助手が駆け込んでくる。

 話を聞いた四柳は、ぼそっと言った。

「嬢ちゃんか。前の部屋へ通しておけ。それと、桶に水持ってこい」

 助手はうなずいて慌ただしく部屋を出ていった。

「少しは静かに動けないものか」

 四柳は溜息を吐く。

 その様子に霊斬は苦笑した。

 しばらくすると、桶を持った助手がやってくる。

「汲んできました」

「おう」

 桶を二人の間に置くと、助手は一礼して去った。

「沁みるが堪えろよ」

 霊斬はその言葉にうなずいた。

 水につけた瞬間、霊斬の意思に関係なく、指先が強張った。

 苦痛と闘っていると、四柳が優しい手つきで、傷の周りを洗っているのを感じる。

 桶の水はすぐに赤く染まった。

 しばらくして、水から手を上げると、傷の大きさが明瞭になる。

 傷はそこまで大きくはないが、なにぶん深いので、すぐに鮮血が溜まった。

 四柳は近くにあった布で一度、霊斬の手を包んで水気を取る。

「そのままで少し待ってろ」

 四柳はそれだけ告げると、薬研の中に複数の薬草を入れ、混ぜ始めた。

「どれくらいで治る?」

「十四日ってところだろうな」

「そうか」

 霊斬がうなずいていると、四柳が向き直る。

「手を出せ」

 霊斬は言われるまま、手を出した。

 四柳は黙ったまま、混ぜた薬草を掌に塗りこんでいく。

 掌をひっくり返すと、鏃の痕と今回の刀傷が目に入る。

「念のため、鏃の方にも塗っておくぞ」

「ああ」

 霊斬はうなずきながら、沁みるのを我慢した。

 それからしばらくして、薬草を塗り終えた四柳は、晒し木綿を巻きつけていく。

「終わったぞ」

 手が離れると同時に、四柳が言った。

「助かった」

 霊斬は短く告げると、指先を動かしてみる。掌に激痛が走った。

 霊斬は内心で溜息を吐きながら、顔をしかめる。

「すぐに動かそうとするな、馬鹿」

 その様子を見た四柳が呆れる。

「それと寝るときに熱が出るかもしれん。気をつけろ」

「分かった」

 霊斬はうなずくと、千砂が待つ部屋へと向かった。

 その背を見ながら、四柳も後に続いた。

「待たせたな」

 霊斬は部屋に入るや、言った。膝の上に風呂敷に包まれたなにかを置いていたが、霊斬はなにも言わなかった。

「具合はどうだい?」

 千砂の問いに、霊斬は指を少し曲げた状態の左手を見せる。

「いくぞ」

 霊斬は左手を下ろすと、足早に診療所を出ようとする。

「嬢ちゃん、もしかしたら、熱が出るかもしれん。悪いが面倒、見てくれや」

「お安い御用だよ」

 笑顔で答える千砂に対し、その会話を聞いていた霊斬は、溜息を吐いた。



 千砂と二人、白んできた空を見上げ、店へ戻りながら、人っ子一人いない町を歩く。

 霊斬が溜息を吐く。

「店にきて看病する気か」

「そうだよ。お返しくらいさせておくれよ」

「お返しか」

 霊斬は苦笑した。



 店に着くと、霊斬は着替えを持って二階に上がる。

 その物音を聞きながら、千砂は並べられた商品を眺める。

 しばらくして、普段通りの恰好をした霊斬が下りてくる。

 黒装束一式と刀を仕舞った霊斬が千砂に声をかけた。

「千砂、ちょっときてくれ」

 千砂は荷物を床に置いて、霊斬の近くまで歩いていく。

 霊斬の後に続いて、二階に上がると殺風景な光景が広がっていた。

 二階には布団が一組敷かれており、長座布団が一枚ある。

 枕元には水が入った桶があり、隣には乾いた手拭いが置かれていた。

 霊斬は床に置いてあった厚手の毛布を千砂に渡す。

「ありがとう」

「悪い、横になっていいか?」

 そう言う霊斬の目は、ぼんやりとしていた。

 千砂は慌てて霊斬の傍から離れる。と、霊斬はゆっくりとした動きで布団に入るや目を閉じた。左手は熱を持っているのか、布団の上に投げ出されていた。

 よく見ると顔にびっしりと汗をかいていた。いつもの悪い癖で、ずっと我慢していたのだろう。

「我慢なんかするんじゃないよ」

 眠っているであろう霊斬の横顔を見ながら、千砂が呟いた。

 顔の汗を拭いながら、そうっと霊斬の左手に触れる。傷を中心にかなり熱くなっていた。

 ――痛いだろうな。

 千砂は内心でそう思った。

「……も」

 霊斬がなにか言い始めた。

 千砂は動きを止め、口許に耳を近づける。

「もう……くるな。……斬って、しまう」

 悪夢を見ているのは、その言葉だけで推測できた。

「……っ」

 霊斬が唇を噛む。見れば、痛む左手でなにかをつかもうとしていた。

 千砂はおろおろするも、自分の右手を滑り込ませる。傷に障らないように優しくつかむと、それで落ち着いたのか、痛む左手を無理に動かすことはなくなった。

 千砂はひとまず息を吐く。

 ――なにを求めたのだろう。

 千砂は熱にうなされて、顔をしかめている霊斬の寝顔を見ながら思う。

 傷の周りが熱く、指先が冷たい霊斬の左手を包むように握りながら、千砂は考えた。

 ――危険のない平穏な場所か。過去との完全な決別か。だた、分かるのは、霊斬は自身が知らない以上に、過去に蝕まれているということ。霊斬が人斬りをしていたのは、もうずいぶん前のことだ。今になっても、かつて斬った人達のことを頭の片隅で思い出し、こうして苦しんでいる。