霊斬の指先に触れた四柳が言った。それほどに外は冷え込んでいたのだろう。
「だが、冷たいとは感じていないだろう? 傷のせいで熱いはずだ」
四柳の指摘に、霊斬はうなずく。
「鏃の傷がどうなっているかも分からんぞ」
四柳が溜息を吐いていると、助手が駆け込んでくる。
話を聞いた四柳は、ぼそっと言った。
「嬢ちゃんか。前の部屋へ通しておけ。それと、桶に水持ってこい」
助手はうなずいて慌ただしく部屋を出ていった。
「少しは静かに動けないものか」
四柳は溜息を吐く。
その様子に霊斬は苦笑した。
しばらくすると、桶を持った助手がやってくる。
「汲んできました」
「おう」
桶を二人の間に置くと、助手は一礼して去った。
「沁みるが堪えろよ」
霊斬はその言葉にうなずいた。
水につけた瞬間、霊斬の意思に関係なく、指先が強張った。
苦痛と闘っていると、四柳が優しい手つきで、傷の周りを洗っているのを感じる。
桶の水はすぐに赤く染まった。
しばらくして、水から手を上げると、傷の大きさが明瞭になる。
傷はそこまで大きくはないが、なにぶん深いので、すぐに鮮血が溜まった。
四柳は近くにあった布で一度、霊斬の手を包んで水気を取る。
「そのままで少し待ってろ」
四柳はそれだけ告げると、薬研の中に複数の薬草を入れ、混ぜ始めた。
「どれくらいで治る?」
「十四日ってところだろうな」
「そうか」
霊斬がうなずいていると、四柳が向き直る。
「手を出せ」
霊斬は言われるまま、手を出した。
四柳は黙ったまま、混ぜた薬草を掌に塗りこんでいく。
掌をひっくり返すと、鏃の痕と今回の刀傷が目に入る。
「念のため、鏃の方にも塗っておくぞ」
「ああ」
霊斬はうなずきながら、沁みるのを我慢した。
それからしばらくして、薬草を塗り終えた四柳は、晒し木綿を巻きつけていく。
「終わったぞ」
手が離れると同時に、四柳が言った。
「助かった」
霊斬は短く告げると、指先を動かしてみる。掌に激痛が走った。
霊斬は内心で溜息を吐きながら、顔をしかめる。
「すぐに動かそうとするな、馬鹿」
その様子を見た四柳が呆れる。
「それと寝るときに熱が出るかもしれん。気をつけろ」
「分かった」
霊斬はうなずくと、千砂が待つ部屋へと向かった。
その背を見ながら、四柳も後に続いた。
「待たせたな」
霊斬は部屋に入るや、言った。膝の上に風呂敷に包まれたなにかを置いていたが、霊斬はなにも言わなかった。
「具合はどうだい?」
千砂の問いに、霊斬は指を少し曲げた状態の左手を見せる。
「いくぞ」
霊斬は左手を下ろすと、足早に診療所を出ようとする。
「嬢ちゃん、もしかしたら、熱が出るかもしれん。悪いが面倒、見てくれや」
「お安い御用だよ」
笑顔で答える千砂に対し、その会話を聞いていた霊斬は、溜息を吐いた。
千砂と二人、白んできた空を見上げ、店へ戻りながら、人っ子一人いない町を歩く。
霊斬が溜息を吐く。
「店にきて看病する気か」
「そうだよ。お返しくらいさせておくれよ」
「お返しか」
霊斬は苦笑した。
店に着くと、霊斬は着替えを持って二階に上がる。
その物音を聞きながら、千砂は並べられた商品を眺める。
しばらくして、普段通りの恰好をした霊斬が下りてくる。
黒装束一式と刀を仕舞った霊斬が千砂に声をかけた。
「千砂、ちょっときてくれ」
千砂は荷物を床に置いて、霊斬の近くまで歩いていく。
霊斬の後に続いて、二階に上がると殺風景な光景が広がっていた。
二階には布団が一組敷かれており、長座布団が一枚ある。
枕元には水が入った桶があり、隣には乾いた手拭いが置かれていた。
霊斬は床に置いてあった厚手の毛布を千砂に渡す。
「ありがとう」
「悪い、横になっていいか?」
そう言う霊斬の目は、ぼんやりとしていた。
千砂は慌てて霊斬の傍から離れる。と、霊斬はゆっくりとした動きで布団に入るや目を閉じた。左手は熱を持っているのか、布団の上に投げ出されていた。
よく見ると顔にびっしりと汗をかいていた。いつもの悪い癖で、ずっと我慢していたのだろう。
「我慢なんかするんじゃないよ」
眠っているであろう霊斬の横顔を見ながら、千砂が呟いた。
顔の汗を拭いながら、そうっと霊斬の左手に触れる。傷を中心にかなり熱くなっていた。
――痛いだろうな。
千砂は内心でそう思った。
「……も」
霊斬がなにか言い始めた。
千砂は動きを止め、口許に耳を近づける。
「もう……くるな。……斬って、しまう」
悪夢を見ているのは、その言葉だけで推測できた。
「……っ」
霊斬が唇を噛む。見れば、痛む左手でなにかをつかもうとしていた。
千砂はおろおろするも、自分の右手を滑り込ませる。傷に障らないように優しくつかむと、それで落ち着いたのか、痛む左手を無理に動かすことはなくなった。
千砂はひとまず息を吐く。
――なにを求めたのだろう。
千砂は熱にうなされて、顔をしかめている霊斬の寝顔を見ながら思う。
傷の周りが熱く、指先が冷たい霊斬の左手を包むように握りながら、千砂は考えた。
――危険のない平穏な場所か。過去との完全な決別か。だた、分かるのは、霊斬は自身が知らない以上に、過去に蝕まれているということ。霊斬が人斬りをしていたのは、もうずいぶん前のことだ。今になっても、かつて斬った人達のことを頭の片隅で思い出し、こうして苦しんでいる。