それから七日後、霊斬はまだ晒し木綿の取れない左手に視線を落とした。
もうそろそろ、仕事を始めようかと思っていると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ」
愛想笑いをはりつけて出ていくと、一人の武士と目が合った。
「幻鷲殿だな?」
「はい」
霊斬はうなずき、武士を招き入れた。
奥の部屋まで案内すると、武士は正座をして、霊斬に声をかけた。
「因縁引受人、で間違いなかろうな?」
「ええ」
霊斬はうなずく。
「忠告と依頼をしたい」
「忠告?」
霊斬が首をかしげる。
「これ以上、武家の数を減らすような真似はやめていただきたい」
「むやみに減らしているわけではございません。私などに壊されるような脆弱な武家なのでしょうね」
「
忌々しげに武士が睨みつけてくる。
「事実を申したまでにございます」
「武家を壊すということは、罪だと分かっていての行いか?」
「ええ。ですが、それよりも罪深いことは、この世にさまざまな形であらわれます」
霊斬は苦笑して答えた。
「それよりも、罪深いこと?」
武士は怪訝そうな目を向ける。
「他者の苦痛や悲しみを、手を差し伸べることもなく、突き放すことです。私は依頼人のそう言った感情に寄り添いたいだけでございます」
「あらぬ疑いをかけられ、拷問を受けても、それは変わらぬ、と」
「よくご存じで」
霊斬が苦笑する。心なしか、背中の火傷の痕が
「こんな仕事をして、お主にいったいどんな得があるというのだ?」
「得などなくとも良いのです。依頼人の気が晴れてくれれば、それで」
「なんという……」
武士は言葉を呑み込む。
「すべては、依頼人のためです」
霊斬はそう言い切った。
「……分かり申した。では、依頼をひとつ」
武士は重い口を開いた。
「
「……命を奪え。というふうに聞こえましたが、私の聞き間違いでしょうか?」
「そういうふうに取ってもらっても構わん」
「
「なら、その男の心を使えなくしろ、と言えば受けてもらえるのかな?」
「お断りいたします」
霊斬は毅然とした口調で告げる。
「ならば、この近くにいるという、そば屋の娘を捕らえるが、いかがする?」
霊斬は忌々しげに舌打ちをする。
「……しばし時をください」
勝ち誇ったような笑みを浮かべた武士は、店を去った。
――こんな日がいつかくると思っていた。
人間は完璧ではない。いくら自身に注意を払っていたとしても、過去にやったすべての行いは自身に返ってくる。
あの武士は、おそらく霊斬が壊滅に追い込んだすべての武家の情報を持っている。
千砂に対する情報を持っているかどうかは怪しいが、少なくとも関わりがあるということまではつかまれている。
――そう考えた方がいい。
霊斬は柱に寄りかかって、舌打ちをする。
考えていても仕方がないと思いながら、夜中にいつもより周囲を警戒しつつ、千砂の隠れ家へと向かった。
戸を叩くと、千砂はなにも言わずに招き入れてくれた。
奥の部屋へいき立ったままの霊斬に、千砂が聞いた。
「どうしたんだい?」
「ちょっとな。最近、怪しい奴に出会ったとかいうことはないか?」
「一度そんなことがあって、無視し続けた」
「なにを聞かれた?」
霊斬は険のある声で言った。
「そば屋で働いている女かどうかってしつこく聞かれてね。あそこで働いている子なんて他にもいる」
千砂は普段通りの口調で答えた。
「ならいい」
霊斬はそっけなく言って、隠れ家を後にしようとする。
それを千砂が止めた。
「そんなに焦って、どうしたのさ?」
霊斬は溜息を吐く。
「お前の勘はよく当たるな」
霊斬は昼間あった出来事を千砂に話した。
「あたしの身を案じたのかい」
霊斬の話を聞いた千砂の開口一番である。
「そんなところだ」
霊斬は苦笑する。
「依頼、受ければいいじゃないか」
「なんだと?」
霊斬が振り返って、千砂を見る。
「あんたならお安い御用だろ?」
「誓いに背くことになる」
苦虫を噛み潰したような顔をした霊斬が、吐き捨てた。
「背かないさ」
千砂がふっと笑いながら言う。
「精神的に死んだって、人は生きていけるんだよ。ってことは、
その言葉を受け、霊斬の口許に苦笑が浮かぶ。
――その通りだった。他でもない、この俺がそうだったじゃないか。
「受けることにしよう」
霊斬はそれだけ告げて隠れ家を去った。
数日後、霊斬の店に依頼人の武士が顔を出す。
「して、依頼は受けてもらえるのかな?」
「はい」
霊斬は武士を正面から見つめて、うなずいた。
「では、前金を」
武士は言いながら小判十両を差し出した。
霊斬は無言でそれを袖に仕舞う。
「修理前の刀をお持ちですか?」
武士は持っていた小太刀を渡してきた。
「お預かりいたします。七日後にまたお越しください」
霊斬が頭を下げると、武士は店を出ていった。