「まあいい。ほれ、終わったぞ」
「感謝する」
「おう」
霊斬が部屋を去ると、四柳もついてくる。
なんとも思わず、霊斬は千砂の待つ部屋へいき、顔を出した。
「待たせたな。いくか」
霊斬はそれだけ告げると、きたときと同じように両手をそれぞれの袖に入れ、歩き出した。
「嬢ちゃん」
歩き出そうとした千砂を、四柳が引き留めた。
それに気づいた霊斬が振り返るも、じきにくるだろうと思い、戸を閉めた。
「なんだい?」
千砂が首をかしげる。
「祭り、楽しかったか?」
四柳の優しい問いに、千砂は笑顔で答えた。
「もちろん。来年、またいけたらいいなと思ったよ」
四柳はうなずくと奥の部屋へと戻っていった。
千砂は笑顔をかき消すと、霊斬の後を追った。
その帰り道、千砂が口を開いた。
「いつまでも祭り気分じゃいられないね」
「今日は、悪かったな」
「あんたが謝ることじゃない」
霊斬の謝罪に、千砂が即答する。
「……そうか」
霊斬はそれだけ答えると、口を噤んだ。
千砂が立ち止まって聞いた。
「この後、ちょいといいかい?」
「あるが、どうし……」
霊斬は振り返って、千砂を見るとその言葉を呑み込んだ。
そんな彼女の掌には、先ほど読んだ文が置かれていた。
二人はそのまま急ぎ足で、隠れ家へ向かった。
もう日が傾き始めるころ、隠れ家に着いた。
千砂は中に入るや、奥に引っ込み、霊斬はそれまで床に胡坐をかいて待つことにした。
しばらくして、普段通りの恰好をした千砂が姿を見せる。
「お茶のひとつも出さずに、悪いね」
「気にするな」
霊斬は軽く言う。
「それで、誰からの警告だと思う?」
本題は昼間に打ち込まれた矢文について。
「射った人物が誰かは分からないものとして、考えよう。俺だけじゃなく、千砂のことも知っているとなると、武家の中でも力を持っている人物の仕業と考えていい」
千砂は顎に人差し指を当てて考える。その仕草を見た霊斬は、どきっとしてしまう。
――可愛い。
内心でそんなことを、素直に思ってしまった。軽く頭を振り、その思いを振り払うと、千砂が口を開いた。
「旗本とか……まさかお上、なんてことは……」
「あり得る話だろうな。候補に入れておいていいだろう」
冷静な霊斬に対し、千砂は動揺を隠せない。
「目につけられないように、
「忍びでも雇っている可能性だってあるだろう。あいつらは金に物言わせて、人を従える連中がほとんどだ」
霊斬は、鼻で嗤う。
「そうだね」
千砂は気持ちを切り替えて、呟いた。
「この
霊斬は千砂の手から、折り畳まれた文を受け取ると、告げて隠れ家を後にした。
それを見送った千砂は、着替えるために奥の部屋へと消えた。
千砂はその日の深夜、備前家に侵入した。
屋根裏から、一番賑やかな場所を聞き分け、そこに向かう。
聞こえてくる会話に耳を澄ませつつ、天井の板を外し、様子を見た。
中は男二人に遊女が四人。
男達は膳を前に大いに呑んでいる。
ときおり遊女を抱き寄せては、なにごとかを囁いている。
千砂は顔をしかめながらも、様子を見守った。せめて、どちらが対象者か見極めてからでないと帰れない。
男らは四十くらいの者と、三十くらいの者がいた。どちらかというと、四十くらいの男がこの場を楽しんでいるように見えた。
わざわざ遊女を店から呼びつけたのだろう。どれだけ羽振りがいいんだか。遊女の扱いも手慣れたものなのだろう。
千砂は内心で呆れる他ない。
そんな中、部屋の外から、声が聞こえてきた。
「備前様」
「なんだ?」
四十くらいの男が答えた。
「死人を出すまでには至りませんでした」
舌打ち混じりに備前が吐き捨てた。
「わしは、精鋭を集めて襲うべきだとあれほど進言したのに、あの方はお聞き届けくださらなかった。無傷、というわけではあるまいな?」
「は」
「ならば、よしとするか」
備前はほくそ笑んだ。
千砂はそこまでの会話を聞いて、天井の板を嵌め直すと、備前家を去った。
その帰り道、土砂降りの雨の中、千砂は屋根を駆けた。
すぐに装束はずぶ濡れになり、隠れ家まで身体の冷えが持ちそうになかった。
仕方なく、そこから比較的近かった霊斬の店に向かった。もう日付が変わっている時刻だったが、彼が起きていることを祈って、戸を叩いた。
「誰だ?」
「あたしだよ」
戸が開く。霊斬は少し眠そうな顔をしていたが、千砂のずぶ濡れの姿を見るなり、いつも通りの様子に戻った。
「入れ」
霊斬はそう言うと身を引き、奥の部屋へ向かった。
戸を閉めて向かうと、霊斬が聞いた。
「寒いか?」
千砂はその言葉にうなずく。歯がかちかちと鳴りそうになるのを堪えるのに必死だった。
「持っていてくれ。できれば、俺のところを照らしてほしい」
再度うなずいた千砂は、なにをするつもりなのか、疑問に思いながらも蝋燭で照らした。
霊斬は床に転がっていた徳利と盃を片づけ、蝋燭に照らされた部屋の真ん中あたりの床を探る。
かちっと音がしたと思うと、大きめの正方形くらいの床が外れる。
千砂はぽかんとしながらその光景を眺めていると、床の下から現れたのは囲炉裏だった。
霊斬はなんということもなく、板を壁に立てかけると、刀部屋に姿を消した。