霊斬は箱鞴の中身を確認し、まだ火種が燻っている炭を見つける。
箱鞴の取っ手を動かして、火がつくまで、風を送り込む。何度かそれを繰り返しつつ、様子を見ると、赤々と燃えていた。
取っ手から手を離し、燃えるそれを火箸で持ち上げる。
開けっ放しの引き戸をそのままに、慣れた手つきで囲炉裏の真ん中に移す。
何度か刀部屋との往復を繰り返すと、囲炉裏に火が灯る。
「もう少し待ってろ。蝋燭はもういいぞ」
霊斬はそれだけ告げると、作業に戻る。
千砂は蝋燭を床に置き、霊斬を見守った。
霊斬は再び刀部屋に入ると、薪を三本抱えて、囲炉裏にくべた。
蝋燭もいらないほど明るくなった。
霊斬はその出来を確認し、階段椅子の左隣、天井近くにある格子窓を難なく開ける。
――あたしなら、届かないだろうなぁ。
と呑気なことを思っていると、霊斬に呼ばれる。
「いつまでそんなところに突っ立っている? 早くこいよ」
千砂は念のため、蝋燭を吹き消すと、囲炉裏の近くに腰を掛けた。
それを見た霊斬は、なにを思ったのか、二階に上がっていく。
どうしたのだろうと思いながら待っていると。
「ほらよ」
という声とともに、なにかが置かれる。
千砂は疑問に思いながらも、視線を落とすと、一着の浴衣と帯、上着が置かれていた。それと乾いた手拭いも。浴衣は千砂には大きいものの、落ち着いた薄青色のものだった。
「いいのかい?」
確認のため、千砂が尋ねる。
「ああ。着たままよりは、乾くのが早いはずだ」
「なにからなにまで……。ありがとう」
「気にするな、俺はしばらく刀部屋にいる。終わったら声をかけてくれ」
霊斬はその一言を最後に、刀部屋へと引っ込んだ。
千砂は着替えを始めた。
濡れて着心地が悪くなっていた、忍び装束を脱ぎ、霊斬から借りた浴衣に袖を通した。袖を何度も折って、ようやく出た自分の手に苦笑しながらも、慣れた手つきで丈を調節し帯を締める。手と同じく足が出るまで何度も裾を上げなくてはならなかった。
長い髪を先の方で一つに結うと、上着を手に取る。
千砂は上着を羽織ったが、手が出ない。一度たすきで袖を縛ると、手拭いで髪を拭き、手拭いを綺麗に畳む。濡れて重くなった忍び装束を囲炉裏の左側へ広げた。
たすきを解くと霊斬を呼びにいった。
戸を叩くと、霊斬が顔を出した。
「さすがに上着が大きかったか」
霊斬は苦笑する。
「でも、暖かい」
千砂は笑ってみせ、火にあたった。
「それはよかった。もしかして、下調べの帰りか?」
その問いに、千砂はうなずく。
「どうだった?」
囲炉裏を挟んだ正面に霊斬が腰を下ろして聞いた。近くに置いてあった徳利と盃を持ってきた。
「遊女の扱いは多分、慣れているんだろうね。あたしにはよく分からなかった。毎晩……なのか、分からないけれど、遊女を呼びつけては、楽しんでいるようだったよ。あ、それから」
「それから?」
「何者かの暗殺を企てていた」
「そうか……」
酒を煽ると言った。
霊斬は予想が外れていてくれと願いながら、言葉を発した。
「分かった。この酷い雨の中、大変だったな」
「気にしないでおくれ」
千砂が苦笑する。
霊斬は二階に向かった。
しばらくして霊斬が戻ってくる。
両手には布団を抱えていた。
きょとんとする千砂の右隣に、布団を下ろす。
「今さらかもしれないが、少し眠れ」
霊斬はそれだけ告げると、元いた場所に戻り、酒を呑み始めた。
千砂が格子窓を見上げると、空が白んでいた。
お言葉に甘えさせてもらい、千砂は布団を広げる。
「お休み」
その言葉にうなずいた霊斬は、刀部屋に向かった。
薪を三本ほど抱えて、囲炉裏にくべるとまた酒に手を伸ばした。
それからしばらくして、霊斬は肩を叩かれて目を覚ます。
「なんだ?」
「おはよう、霊斬」
霊斬は目を擦りながら顔を上げた。
「ああ。よく寝れたか?」
千砂の顔を見て霊斬が尋ねた。
「おかげさまで」
「そうか」
「よく座ったまま寝れるね」
千砂が笑う。
「そうだな」
霊斬は苦笑するしかない。
「そろそろ帰るよ」
「浴衣は今度でいい」
「ありがとうね」
千砂は礼を言った。
上着を脱いで、丁寧に畳むと、広げていた忍び装束と頭巾を畳んで両手に持つ。
「じゃあ、あたしはこれで。しっかり寝るんだよ」
「お前もな」
霊斬の言葉に苦笑した千砂は、店を去った。
千砂が去った後、霊斬は立ち上がって伸びをし、凝りを解す。
火が消えていることを確認すると、囲炉裏に床板を嵌めて元に戻す。
布団を二階に持っていき、そのまま、この日は眠った。
千砂はというと霊斬の店を出た後、休むことを告げにそば屋へ顔を出した。了解を得た千砂は、隠れ家へと戻り着替えると湯屋へ向かった。
霊斬のおかげで、だいぶ身体の冷えが収まっていたが、風邪をひいても困るため、今日は休むことにした。
しかし、いつもいく奥の部屋にあんな仕掛けがあったとは。驚いた。
千砂は苦笑しながら、湯屋の暖簾をくぐった。
霊斬が目覚めたのは、翌日の朝だった。
――よく寝たな。疲れが取れたから、よしとするか。
苦笑しながら身体を起こし、一階へ向かうと店を開ける。
刀部屋へいき、依頼人から預かった懐刀を手に取る。
幾度か使われた形跡があるだけで、とくにこれといって、修理すべき部分が見当たらなかった。
そんなときもあるかと思い、霊斬は懐刀を鞘に仕舞った。
その日の夕方、依頼人が訪れた。
「いらっしゃいませ」
「なにか、分かりましたか?」
遊女が尋ねる。