「懲りないのかい? こんなに怪我して」
「ああ。……ったく」
痛みに顔をしかめた霊斬が、忌々しげに呟いた。
千砂はそんな霊斬を見て溜息を零す。
「傷つくあんたを見ていると、哀しくなる」
「哀しい?」
霊斬は首をかしげる。
「他人のために命を懸けて、こんなことまでしているのに、金を受け取るだけでなんて。依頼人の覚悟ひとつで、あんたは
「そうだな」
霊斬はうなずく。
「あんたには、恐怖って感情がないのかい!?」
千砂は言いながら、霊斬に詰め寄る。
「恐怖か……。ほとんど感じていない」
目に涙を溜めている千砂に対し、霊斬はいつもと変わらぬ口調で告げた。
「感じていないって……。もしかして、怖いって、一度も思ったこと、ないのかい?」
千砂は愕然としながら、言葉を紡ぐ。
「……そうかもしれない」
霊斬はしばし考えるように、視線を
「一番苦しんで、悩んで、怖がっているのは、依頼人だ。それに比べたら、俺の恐怖くらい簡単に乗り切れる」
「違う! 依頼人なんかじゃない。あんたが一番傷ついているじゃないか!」
千砂が涙ながらに怒鳴る。
「どうしてそうなる」
霊斬の怒気を含んだ声が響く。
「あんたはいつだって、依頼人に代わって〝痛み〟を引き受けてきた!」
「ああ、それはこれからも、ずっと変わらない」
「あんたのそういうところが、哀しいんだよ! どうしてそこまでして、一人で抱え込もうとするのさ?」
「誰かに頼ったところで解決するわけじゃない。俺が感じている〝痛み〟を他者に少しでも背負わせるなど、そんな真似はできない」
霊斬は冷ややかな声で言った。
「あんたの心と身体は、あんたの物だ。依頼人の物じゃない。なのに、どうしてそこまで……!」
「犠牲にする道を辞めない、か?」
彼女の言わんとしていたことを汲み取った霊斬は、言葉を続けた。
千砂は涙を拭いながらうなずく。
「自分のために生きようとしたこともあったが、それはつまらなかった。面白くないんだよ、なにもなく平和な時代は」
「つまらないって……」
千砂は思わず溜息を吐く。
「少しくらいの危険もあったほうが面白い。俺はな、今、充実しているんだ」
「あんたの侵す危険は少しなんてもんじゃない!」
千砂が苛立ちをあらわにする。
「そうだな。だが、これでいいんだ」
「これでいい……?」
霊斬の静かな声に、千砂が首をかしげる。
「俺が決めて、始めたことだからだ」
霊斬は氷のように冷たい声で言った。
――霊斬は覚悟を決めている。最初から。周りがなんと言おうと、そこだけは決して折れない。変わらない。自身が苦しむという事実を捻じ曲げても、霊斬は生きようとしている。その生きる執念には頭が上がらないが、もっと他に、方法はあるはずだ。それを言ったところで、霊斬は聞く耳を持たない。
「……そうかい」
四柳が部屋に入ってきた。
「ずいぶん騒いだようだが、女を泣かせるのは感心しないぞ、霊斬よ」
霊斬は苦笑するしかない。
「そうだな」
「嬢ちゃんはお前が心配なんだよ。なぜそれが分からない?」
「心配など、されたことがない」
霊斬の静かな声に、四柳は溜息を吐く。
「心配なら、おれだってしてるぞ」
「お前もか?」
霊斬は驚いたように目をる。
「いつ死んじまうか分からないんだ。致命傷を負ったことも少なからずあるだろう。それに加えてお前は治りきっていない傷が多すぎる。いつ古傷が開いてもおかしくない。そんな身体だから、心配するんだよ。お前が心配ないと言ったところで、説得力はない」
四柳は、はっきりと告げた。その後、二人を一瞥した後、部屋を去った。
「……そうかもしれないな」
四柳に言われて、霊斬は苦笑するしかない。
「千砂」
霊斬が声をかけた。
「なんだい?」
「もう泣くな。俺は変われないが、ひとつ、約束してくれ」
千砂は首をかしげる。
「約束?」
霊斬はひとつうなずくと、言葉を続けた。
「俺のように、感情をすべて抑え込むような人間にはなるな。哀しいなら哀しい、痛いなら痛いと、正直な人間であってくれ。……俺はもう、そんな人間にはなれない」
霊斬は遣る瀬無い声で言った。
「分かった」
千砂は再び目に涙を溜めて、うなずいた。
「ならいい」
霊斬は安堵したように笑ってみせると、痛みに顔をしかめた。
「お大事に」
千砂はそう告げると、席を立った。
「……ありがとう」
霊斬はぽつりと告げると、眠りについた。
それから数日後、まだ左腕の晒し木綿が取れない霊斬は、床に寝転んでいた。
すると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「開いておりますよ」
霊斬が身を起こし、そう声をかける。
戸が開き、団子屋の親父が顔を見せた。
「どうぞ」
霊斬はそう言って、姿勢を正す。
「娘になにかあった?」
団子屋の親父は、開口一番に言った。
「なぜ?」
霊斬が静かな声で告げる。
「娘が夜中、うなされている。殺さないでくれ! と叫んで目が覚めることもある」
「実は、今から五日前の夜、みたきさんを訪ねた者がいた。その者は彼女を殺めようとしていたから、それを俺が止めた」
淡々と霊斬が告げると、親父は納得したようにうなずいた。
「そうか。……これを」
親父は言いながら、銀五枚を差し出した。
「感謝する」
霊斬は礼を言いながら、それを袖に仕舞った。
「またのお越しをお待ちしております」
「また、団子、食べにおいで」
「近いうちに、また」
霊斬は苦笑した。
その日の夜、突然、傷跡が熱を帯び始めた。
霊斬は身支度をなんとか整えると、四柳の診療所へ向かった。
「なんだ!」
「俺だ」
そう言うと怒りを引っ込めた四柳は、戸を大きく開いた。
四柳の後に続いて入ると、歩きながら問いかけられた。
「それで、どうした?」
「傷が熱を持っている。少し、気になってな」
奥の部屋へ着くと、四柳が言った。
「診せろ」
霊斬は上着を脱ぎ、左腕を突き出す。
腕に手を当て、熱があるのを理解する。
四柳は晒し木綿を外して、薬草を塗った布をめくる。
初日ほどではないにしろ、まだ出血は収まっていなかった。
四柳は薬研の中に複数の薬草を放り込み、混ぜ始める。
手を動かしたまま、口を開いた。
「他は痛まないか?」
「ああ」
霊斬はうなずく。古傷だらけの上半身を晒しながら。
四柳は内心で言葉を続ける。
――嘘だろうに。それだけの傷を負って、心が痛まないわけがないだろう。少なくとも、おれだったら、精神的苦痛に耐えられる自信はない。こいつは、拷問にすら耐えて見せた男だ。もしかしたら、自身の痛みを他人事のように捉えているのか? 霊斬ならやりかねない。診ていて、どこか他人事のようだと、常々感じていた。
「霊斬よ、お前、精神的な苦痛を味わったことはあるか?」
「拷問以外でなら、もう思い出せない」
霊斬はなんでそんなことを聞くんだと、顔に書いてあったが、静かな声で答えた。
「最近、過去のことを思い出して、苦しんだりはしないか?」
「昔に比べたら、まだましだ」
霊斬はぼそっと告げる。
「そうか」
――まるで、身体が見えない心の傷をあらわしている。そんな気がする。
四柳はそう思いながら、混ぜ合わせた薬草を布に塗った。
手当てを進めながら、霊斬の身体を労わる四柳だった。