「うっ……!」
男が叫ぼうとする。それを痛む左手で強引に押さえつける。
刀の切っ先が体内に入り込むのが分かったので、そこでいったん、動きを止める。
肉が反発し脈打つのと、さらなる鮮血が刀身をはじめ、男の着物を染めていく。
「まだだ」
霊斬は低い声で言い、刀をさらに奥へと一息に突き刺した。
男は思わず顔を上げ、声なき悲鳴を上げる。そのときですら、霊斬の左手は離れなかった。
刀は男の右肩を貫いた。
先ほどまで嫌というほどあった、肉の反発が嘘のように消えた。
――さすがに痛むな。
涼しい顔をしながらも、内心で左腕の痛みに堪えながら、霊斬は思う。
霊斬はもう腕が限界を迎えていたこともあり、一息に刀を抜いた。
嫌な音と男のこもった悲鳴が響いた。
脂汗をかき、荒い息を繰り返している男を一瞥し、ようやく手を離す。
男は腰を抜かし、地面に膝をついた。ようやく自由になったので、空気を思う存分吸う。
霊斬は左腕をだらりと下げると、指先からぽたぽたと鮮血が滴り落ちる。
「もう、二度と、ここへくるな。またくるのであれば、貴様の死に場所が決まったものだと思え」
痛みに顔をしかめながら、霊斬が告げると、男は
「ひやひやさせるんじゃないよ」
屋根を飛び降り、溜息を吐いた千砂が言った。
「いつからそこにいた?」
道の真ん中に、暗いが、誰のものか分からぬ血溜まりを一瞥した千砂が答える。
「最初からさ」
霊斬は無言でうなずきもせず、ゆっくりと歩き出す。
千砂も同じく、無言で霊斬の傍までいくと一緒に歩き出した。
帰り道の途中でいったん別れた二人は、それぞれにいつもの恰好に着替え、四柳の診療所へ向かった。
先に着いた千砂が、状況説明をしていると、戸を叩く音が聞こえてくる。
「ちょっと待ってな」
四柳はそれだけ告げると、黙って戸を開けた。
いつも通りの褐色の着物に身を包んだ霊斬の姿があった。
左腕から左手にかけて、鮮血がべっとりとついていた。左手が真っ赤に染まっていたのだ。
「さっさと上がれ」
霊斬は痛みに顔をしかめ、懐から手拭いを取り出すと、手に巻きつける。
それを終えると、四柳の後に続いて部屋に向かった。
その様子を千砂は黙ったまま見ていた。
「診せてみろ」
奥の部屋に入るや、四柳は口を開いた。
霊斬は、上着を脱ぎ、左腕をあらわにした。
左手に巻いていた手拭いはすでに鮮血で真っ赤に染まっていた。それを手早く解き、左腕を突き出した。
「どうしたらこんなに酷くなる?」
四柳は傷を見て溜息を吐く。
左腕は肩の辺りから、手首の近くまでざっくりと斬られており、とめどなく鮮血が溢れ出している。
「怪我しているのに、無理に力を入れただろう」
「それも分かるのか」
霊斬は驚いた表情をする。
「分かるぞ、そんなこと」
四柳は吐き捨てた。
また溜息を零した四柳は薬草を引っつかんで、薬研の中に放り込む。それを混ぜながら、口を開いた。
「どうしてそうなるまで放っておいた?」
「……敵の口を封じるためだった」
「どうしたのかは知らんが、敵もお前も相当痛かったはずだよな」
霊斬は苦笑するしかない。
「霊斬よ。自分の身体、大事にしないこと、どう考えている?」
霊斬は困ったような顔をする。
「どうと言われてもな。それが俺の中では普通だ。自身が可愛いなどという理由で、この裏稼業、辞めたりはせん」
「なら、お前はいつになれば、この裏稼業を辞める?」
四柳の問いに、霊斬は苦笑した。
「さあな。この世から、負の感情が消えるまで……だろうな」
「そりゃあ、いつになっても終わらんぞ」
四柳が笑う。四柳は、混ぜた薬草を丹念に布に塗り始めた。
「そうだな」
霊斬もつられるように苦笑した。
「ほら、できた。腕を貸せ」
四柳が言うと、霊斬は黙って左腕を差し出す。
「沁みるぞ」
四柳はそれだけ告げると、一気に薬草が塗られた布を、傷の上に置いた。
「くっ……!」
相当沁みたのだろう、霊斬は思わず喉の奥から声を漏らす。
「それだけの痛みによく耐えたとおれは思うぞ。今感じている痛みより、声を封じていたときの方が痛かろう?」
「……そうだな」
霊斬は脂汗をかきながら、ゆっくりと言葉を発した。
「動けないだろ?」
四柳は言いながら、手早く晒し木綿を巻きつけ、布がずれないように固定する。
「ああ」
左腕が痛みのために熱を持ち、ずきずきと痛んでいる。腕を動かそうにも痛みが酷く、それができない。
腕を伸ばしたまま、布団に移動し、ゆっくりと身体を滑り込ませた。
四柳はそれを見た後、千砂を呼びに戻った。
「終わったぞ、待たせたな」
「気にしないでおくれ。それで、様子は?」
「いけば分かる。それと今晩は、ここで休ませる」
「分かった」
千砂はうなずくと、奥の部屋へ足を踏み入れた。
「失礼するよ」
「ああ」
霊斬の少し元気のない声を聞いた千砂は、心配にはなったが、顔にはそれを出さなかった。
千砂は黙ったまま、霊斬の枕元に正座をする。
霊斬は首だけを動かし、千砂の方を見る。
「腕、痛むかい?」
霊斬はうなずく。