それから十四日後、霊斬の怪我もだいぶ良くなり、近くの団子屋へ足を向けた。
「いらっしゃい!」
「みたらし団子を二本、もらえるか?」
霊斬は言いながら、椅子に座る。
「あいよ!」
店の親父の元気な声に、霊斬は苦笑した。
「はい、みたらし団子、二本!」
「いただこう」
霊斬はお茶を置いて、団子を頬張っていると、奥の席から悲鳴が聞こえてくる。
「やめてください!」
声のした方に視線を向けると、店の女の身体を触ろうとする男の姿があった。
霊斬はちょうど、一本の団子を食べ終えていた。仕方なく立ち上がり、男に声をかけた。
「嫌がっているじゃないか。離してやれよ」
女を庇うように、霊斬は前に出る。
「邪魔するな!」
「ここは遊郭じゃあない。団子屋だ。そのことを理解しても、まだやめないか?」
穏便にすませようと、できるだけ静かな声で言った。
「……分かったよ」
その男はお代を椅子に置いて、店を去った。
安堵の溜息を吐いたのは、絡まれた娘とこの店の親父だった。
「ありがとうございました」
「助かったよ」
「礼などいい。それよりも親父」
「なんだい?」
「客の相手、男にしたらだめなのか?」
「そうしたいが、新しい人、見つからんのさ。それにその子は、いろいろと、細かいところに気が利く子でね」
「そうかい」
霊斬はそれだけ告げて、元いた席に戻って団子を食べた。
それから、七日後、店の戸を叩く者がいた。
「いらっしゃいませ」
訪れた人物に霊斬は目を丸くした。
彼の前に立っていたのは、団子屋の親父だった。
「話したいことがあるんだ。ちょいといいかい?」
霊斬は黙って、身を引き親父を招き入れた。
店の奥の方まで、親父を案内すると、床に座る。
霊斬も親父と向き合う形で、腰を下ろす。
「親父、なにがあった?」
親父の顔色が悪いことに気づいた霊斬は、声をかけた。
「あれから、店に問題のお客がこなくて、ちょっと安心していたんだ。だけど、昨日、店の娘が連れ去られそうになって、大騒ぎになったんだ。すんでのところで、他の店の男達で取り押さえられたから良かった。お客さんの中で、こんな人がいるらしい」
霊斬は知らん顔をして、尋ねた。
「その人物とは?」
「〝因縁引受人〟またの名を霊斬というお人だ。恨みを晴らしてくれるらしい。この感情が、恨みなのかは分からない。でも、なんとかしてほしいんだ」
「……分かった。修理前のなにか刃物はあるか?」
「店の娘から借りてきたんだが、これでいいか?」
親父は懐から、懐刀を出し、床に置いた。
「確かに。では、ひとつ尋ねたい」
「なにを?」
親父が首をかしげる。
「因縁引受人の正体を誰にも明かさないこと。そして、人を殺めぬこの俺に頼んで、二度と後悔しないか?」
「なんだと……!? 分かった、約束しよう。後悔もしない」
「ならいい。それから、その客の名は知っているか?」
「……
「七日後に、また会おう」
霊斬は頭を下げた。
団子屋の親父が帰った後、霊斬は思案する。
前に、団子屋を訪れたとき、一人の男を止めたことを思い出した。
――あの男か。面倒なこと起こさなければいいが。
霊斬は内心で溜息を吐いた。
それから、夜も更けたころ、霊斬は隠れ家に足を向けた。
戸を叩くと、無言で千砂が出迎える。
部屋の中ほどまで進むと、霊斬は壁に寄りかかり、胡坐をかいて座った。
彼に向き合うように、正座をした千砂は、口を開いた。
「それで、なんの用だい?」
「日出敏郎を調べてほしい」
「一晩、くれるかい?」
「分かった」
霊斬はそれだけ聞くと、隠れ家を後にした。
霊斬は店にこもり、団子屋の親父から預かった懐刀の状態を見ていた。
何度か使われた形跡があるものの、大したことではないのか、切れ味はさほど落ちていなかった。
そのままでもいいかと思ってしまうくらいだったが、そういうわけにもいかないかと思い、目の細かい砥石を取り出して、研ぎ始めた。
その日の夜、千砂は日出家に忍び込んだ。
屋敷はそこまで大きくなく、三流の武家かと思われた。
屋敷の規模だけで、武家の地位など、簡単におしはかれるものではないが。
そう思いながら、屋根裏に向かう。
天井の板が軋み、千砂は思わず動きを止める。
しばし待つ。
真下を歩いていた足音が再開された。
千砂はほっと胸を撫で下ろし、音もなく駆け出す。
「なぜ、あの子は振り向いてくれもしないんだ」
という声を聞き、千砂はその場で足を止める。天井の板をそうっとずらし、様子を盗み見た。
室内には、酒を呑む一人の男がいた。
「とても可愛い子なのに、怯えた様子で逃げていく。前はしくじった。今度こそは……」
――なんだい、そりゃあ。
懲りるどころか、余計に厄介なことを起こそうとしているように思え、千砂は思わず掌を額に当てた。
やけ酒と不満を吐露する様子に、呆れたというように溜息を吐いた千砂は、屋敷を去った。
翌日、霊斬の店にいこうとした千砂を止めるかのように、来客を告げる戸の音が響いた。
戸を開けると、霊斬の姿があった。
「出がけに悪い。今、いいか?」
「構わないよ」
中に霊斬を招き入れると、千砂はお茶を出した。
驚くわけでもなく、霊斬は無言でお茶を飲んだ。
「それで、日出家はどうだった?」