「大した息子じゃないか」
「小さい声だったけどね」
「それでもいい」
霊斬が苦笑する。
「問題は父親だな。鞘をそんなふうに扱うことも許せんが、父親自身の認識を変えなければ」
霊斬が先ほどの表情を一瞬で消して、告げた。
「そうだね」
千砂はただ同意した。
「情報、感謝する」
霊斬はそれだけ告げると、隠れ家を去った。
霊斬は店に戻り、短刀の修理に入った。
細かい瑕がついている程度だったので、目の細かい砥石で研ぐことにした。
それから六日後の決行日前日。鞘師が再び店を訪れた。
「それで、どうでしたか?」
座るやいなや身を乗り出してきた。
「仁部陽一は、鞘を自身の感情の
「つまり……?」
「失礼。鞘を畳に叩きつけています」
「……そうでしたか」
鞘師は沈んだ声で言った。
「心当たりがあるのですか?」
「昨日仁部様がいらっしゃいまして、強引に曲げた状態の鞘を持ってきたのです」
「それはまた酷いですね」
「ええ、新しい鞘を受け取られてお帰りになりました」
「厄介でしたね」
霊斬の言葉に鞘師はうなずいた。
「決行は明日です。それまでの辛抱です」
「分かりました。よろしくお願いします」
鞘師が頭を下げると、霊斬はすっと、修理した短刀を差し出した。
「ありがとうございます」
鞘師はそう言いながら、短刀を受け取り、店を後にした。
決行日当日の夜、霊斬は黒の長着に同色の馬乗り袴、黒の足袋、同色の羽織を身に着ける。隠し棚から黒刀を取り出して腰に帯びる。黒の布を首に巻いて、顎から鼻まで引き上げる。草履を履いて、仁部家へ向かった。
屋敷内に静かに侵入し、中庭の植木に隠れて、様子を探る。
「きなさい」
中庭に面した部屋の障子を開け、陽一が言い放った。
物音がして部屋から出てきたのは、まだ幼さの残る少年だった。
二人はその部屋を離れ、屋敷の奥へと歩いていく。
霊斬は彼らの後を追った。
屋根から様子を見ていた千砂も、三人の後を追った。
霊斬は二人が入っていった部屋の前で聞き耳を立てている。
千砂は屋根裏から様子を見ていた。
すると怒号が聞こえてきた。
「何度怒らせる気だ!」
「……すみません」
少年は正座をしたまま、深く頭を下げた。
陽一は頭を上げた少年を睨みつけながら、刀を鞘ごと腰から外す。
刀を鞘から抜き、抜き身の刀を横へ置く。鞘を握りしめ、畳に叩きつけ始めた。
少年は抜き身の刀に釘付けになり、身体を強張らせる。
「息子が勉学しか取り柄がないなど、認めんぞ!」
鞘を畳に叩きつける音がやむ。
鞘を息子に向けて振り上げた瞬間――障子が一気に開いた。
「邪魔するぞ」
霊斬は冷ややかな声で言いながら、土足で部屋に入った。
「なに奴!」
鞘を下ろして、陽一が叫ぶ。
「おい、坊主」
霊斬はその声を無視して、少年に声をかけた。
「振り返らず、自分の部屋に戻れ。俺のことは誰にも言うな、分かったか?」
少年はひとつうなずくと、部屋を去った。
「なんのつもりじゃ?」
「貴様には関係なかろう。息子を殴ろうとしたな?」
「言うことを聞かない奴には、そうするしかあるまい」
「なにを馬鹿なことを」
霊斬は鼻で嗤って、吐き捨てた。
「邪魔をするな!」
鞘を捨て、抜き身の刀をつかむと、霊斬に斬りかかった。
霊斬は素早く刀を抜いて、これを防ぐ。
「もう鞘を乱暴に扱うのはやめろ」
互いに鬩ぎ合いながら、霊斬が言った。
「あれはわしの物だ。どう使おうが、お主には関係ない」
霊斬は溜息を吐く。刀を押し返すと、陽一が体勢を崩す。
それをいいことに、霊斬は陽一の左肩を刺し貫いた。
「ぐあああっ!」
突如襲った痛みに、陽一は悲鳴を上げた。
「うるさい。あれは確かに貴様の物だが、それを作った人がいる。物を作る者なら誰でも、大事に使ってほしいと願う。貴様は、そんなことにも気づかない、愚か者なのか?」
陽一は言葉を無くす。
霊斬の話はまだ続く。
「息子のことだがな、勉学だけでもできるならいいと、なぜ思えない? 武士には確かにどちらも必要だが、揃わなくても武士としてやっていく道はあるはずだ。それを模索しようともせず、息子に当たるとはなんと馬鹿な奴」
「うっ……ぐうう!」
陽一は叫ぼうとして、刺されている左肩を動かしたために、痛みに苦しむ。
霊斬は黙って、刀を肩から引き抜くと、陽一は深く息を吐く。
「お主なんぞに、とやかく言われる筋合いはない……ううっ!」
霊斬は突っぱねたことを不愉快に思い、右脚を刺し貫いた。
「貴様が息子への文武両道と、鞘を雑に扱うことをやめてくれれば、俺だってすぐに帰れるんだがな」
敵相手に愚痴り出す霊斬。
「断る」
右脚から刀が抜けたと分かると、痛む身体を無視して立ち上がり、斬りかかってきた。左腕を斜めに斬られるも、霊斬は顔をしかめただけだった。
「なら、仕方ない」
霊斬は斬られたとは思えないほど静かな声で呟き、左腕をだらりと下げたまま、刀を振り上げた。
無抵抗な相手を傷つけるのは、性に合わんが仕方がないと諦め、四肢に狙いを定めた。
「やめろ!」
霊斬はその声を無視して、四肢を斬り刻んだ。