岡っ引き《四》

「黙れ」

 霊斬はその声に苛立ち、刀を弾き返すと、男の右腕を刺した。

「ぐうっ……!」

 霊斬が刀を抜くと、男は呻いて、がくっと膝をつく。

「大した守りではなかったな」

 霊斬は傷を負いながらも、なにも変わらぬいつも通りの口調で言ってのけた。

「な、なんじゃと……」

 あっという間に五人を倒され、手傷を負っても、なにも感じていないかのような素振り。

 久五郎はこの状況に絶望し、霊斬に対して極度の恐怖を抱いた。

「こんなことで怖がっているのか? くくっ」

 霊斬は左腕をだらりと下げたまま、喉の奥で嗤う。

「この程度で恐れてもらっては困る」

 霊斬は冷ややかな声で告げると、鮮血のついた黒刀を振り上げる。

 それと久五郎が叫んだのが同時だった。

「た、頼む! 命だけは……!」

「貴様など、殺めるまでもない」

 久五郎の命いに、霊斬は氷のように冷たい声で言い放った。

 霊斬は久五郎の右太腿を刺し貫く。

「ぎゃああっ!」

 痛みに叫ぶ久五郎に、不快そうな顔をする霊斬。

「いつまで伊之介の笠に隠れているつもりだ?」

「そんなことお主には、関係なかろう! ぐはっ!」

 久五郎が呻く。霊斬が刺したままの黒刀を動かし、傷を抉ったのだ。

「さっさと兵を退け。それとこれ以上、古野家に手を出すな。貴様の脚一本、犠牲にすればすむ話だ」

「わ、わしの脚を……!? っう……」

 叫んだ拍子に動いたせいで、痛みに呻く久五郎。

「次に手を出してみろ、そのときは、貴様の命を頂戴ちょうだいする」

 霊斬は久五郎の耳許で告げると、黒刀を無造作に抜いた。

「ひ、退け!」

 その一言でぼろぼろになった男二人が出てきた。その場にいた五人も含め、総勢八人は古野家を去った。その後を自身番の数人が追い駆けた。



 霊斬はもう一度屋根に登り、古野家を眺める。

 臨戦態勢が解かれ、粛々と骸を運び出している。

 その指示をしている得太郎を見ると、くるりと背を向けた。

「ここにいたんだね」

 屋根の上を歩く千砂に会う。

「無事か?」

「あんたは左腕一本ですんだかい」

「ああ」

 霊斬は未だに血を流し、真っ赤に染まった左手を握る。黒刀を仕舞うと、診療所に足を向けた。

 千砂はいったん着替えるために、霊斬と別行動をとった。



 霊斬は黒装束姿のまま、四柳院診療所の戸を叩く。

「俺だ」

「さっさと上がれ」

 四柳はそれだけ告げると、戸を大きく開けた。

 霊斬が入ると戸を静かに閉めた。

「きていたのか」

 奥の部屋にいこうとした霊斬だったが、千砂の姿を見つけて、足を止めた。

「あんたじゃないんだから。さっさと治療してもらいな」

 千砂は苦笑して言い、奥の部屋へいくよう促した。

「ああ」


 霊斬も苦笑すると、奥の部屋へ足を踏み入れた。

「診せろ」

 四柳がぶっきらぼうに言った。

 霊斬は胡坐をかいて座ると、握っていた左手を開いて、左腕を突き出す。

 肩から肘にかけて、刺し貫いたときについた刀傷があった。傷口からはどくどくと鮮血が溢れ出している。

「脱げるか?」

「ああ」

 霊斬は静かな声で応じ、傷に触らないよう注意しながら、慎重に羽織と上着を脱いだ。傷だらけの上半身があらわになる。

 ――何度見ても、酷い身体だ。

 四柳は霊斬の身体を見て思う。

 いくら他人を見捨てられないからと言って、自身を犠牲にしていては、割に合わないとさすがに気づくだろう。気づいていながら、それをやめない霊斬にはなにを言っても通じない。ただ、どんな状態になっても、診療所にきてくれる霊斬には感謝しかない。いくら素直になれなくても、生きてやる! という執念に似た想いを、四柳は感じている。

 四柳は霊斬に手当てをしながら、思う。

 ――だから、俺は治してやろう。霊斬の生き方がどうであれ、関係ない。生きたいという意思を尊重する。それだけだ。

「終わったぞ」

 四柳は晒し木綿を巻きつけると、短く告げた。

 霊斬は脱ぎっ放しの羽織と上着を畳む。

「あまり動くな、それと今日は泊まれ」

「分かった」

 珍しく素直にうなずいた霊斬は、そのままの恰好で、近くにあった布団に身を横たえた。


「嬢ちゃん、終わったぞ」

 四柳は千砂がいる部屋へいき、治療が終了したことを告げた。

「入ってもいいかい?」

「ああ」

 千砂は立ち上がって、静かに霊斬の許へ向かった。


 霊斬は天井をぼんやりと眺めていた。

「霊斬」

「どうした?」

 霊斬が首だけ向けて尋ねた。

 千砂が枕元に座ると、霊斬はゆっくり身体を起こした。

「無理、してんじゃないだろうね?」

 千砂の鋭い声が飛ぶ。

「無理? していない」

  霊斬は苦笑した。

 千砂は霊斬の傷だらけの身体を見て、押し黙る。

「……見るのは、初めてか?」

 霊斬の優しい声に、うなずく千砂。

 彼の身体には古傷から、真新しい傷まで数多くの傷跡が無秩序に刻まれている。古傷の中には白くなっているものもあり、真新しい傷はまだ赤みが残っている。とても人に見せられた身体ではない。誰もが少なからず、醜いと思うだろう。

 千砂は音もなく涙する。口許を押さえ、泣き声を押し殺す。

 だが、千砂は醜いとは思わなかった。

 ただ、辛かった。こんな身体になってもなお、誰かを頼ろうとしない霊斬を哀しく思った。