「待て、せめて殺せ!」
その叫びを聞いたのは、霊斬とその様子を屋根裏から見ていた、千砂だけだった。
自身番の来訪を告げる、笛の音が聞こえてきた。
霊斬は無言のまま、部屋を去った。
それに千砂も続いた。
終了後、屋敷近くの屋根で、霊斬は千砂に会った。
「今回は手だけですんだのかい」
千砂が苦笑する。
「まあな。四柳には怒られるかもしれないが」
霊斬もつられて苦笑する。右手はまったく動かせず、傷口からぽたぽたと鮮血が滴っている。
霊斬は着物の袖を破くと、傷口に巻いた。しかし、片手だけではきつく縛ることができない。
「手を貸してくれ」
「どうすればいいんだい?」
霊斬の声に千砂が応じる。
「これを縛ってほしい。できるだけ、きつく」
「余計痛むじゃないか」
千砂が言う。
「一時だけだ。このままにしておくと出血死に繋がりかねん」
「まあ、そうかもしれないけれど、少し大袈裟じゃないかい?」
千砂は苦笑しつつも、着物の切れ端をつかんで、できるだけきつく縛り上げた。
霊斬は声こそ出さないものの、思い切り顔をしかめた。
「早いとこ、いこうじゃないか」
千砂のその言葉を聞き、霊斬は足を速めた。
霊斬は黒装束のまま、千砂は一度隠れ家に戻って着替えたために、小袖姿で四柳の診療所を訪れた。
「俺だ」
霊斬が左手で戸を叩く。
「またお前か」
眠そうな顔をした四柳が顔を覗かせた。
「悪いな」
「まあいい。上がれ」
四柳はそう言って、戸を大きく開けた。
四柳の後に二人が続いた。
千砂は前の部屋で待たされ、霊斬は四柳の後を追った。
「
四柳は短くそう言った。
霊斬は無言で、右手をひっくり返した。
止血のために縛っていた着物の一部を外す。右手は斜めに走る痛々しい刀傷が目を引いた。血がどくどくと流れ、止まる様子がない。
「また酷い傷だな」
四柳は複数の薬草を無造作につかんで、
霊斬は無言。
「今、腰に帯びているその刀は、使えないのか?」
「
霊斬が無愛想に答えた。
「使え、馬鹿」
すかさず四柳の突っ込みが入る。混ぜた薬草を丹念に布に塗る。
「……そうだな」
霊斬が短く答える。
「沁みるが我慢しろよ」
四柳はそう言うと、薬草を塗った布を傷口に当てていく。
霊斬は顔をしかめるだけで、なんとかやり過ごした。
その後、四柳は慣れた手つきで布を固定するために晒し木綿を巻く。
「終わったぞ」
「……そうか」
霊斬はそれだけ口にすると、千砂がいる部屋に足を向けた。
「待たせたな」
「気にしないでおくれ。怪我はいいのかい?」
「ああ」
「用はすんだろ。とっとと帰れ」
四柳はそれだけ告げると、奥の部屋へと引っ込んだ。
その様子に苦笑した二人は、足早に診療所を後にした。
その帰り道、千砂が口を開いた。
「利き手、使えなくて、しばらく困るねぇ」
霊斬は苦笑する。
「そうでもない。右と同じくらい、左も使えるからな」
「両利きかい」
千砂は驚いた顔をする。
「初めて言った」
――驚くのも無理はない。
霊斬は軽い口調で言いながら、そう内心で続けた。
「痛むかい?」
「ああ」
霊斬は素直にもそう答えた。
「……少しは、身体、大事にしないと。困るのはあんただからね」
「そうだな」
霊斬はそれだけ告げると、左手を上げて軽く振る。足早に千砂の前から姿を消した。
支度中の看板がさがっていることを確認すると、霊斬は店の戸を閉めた。
床に寝転がると、千砂に言われた言葉について考えた。
「確かに、その通りなんだが……な」
晒し木綿の巻かれた右手を見ながら呟いた。
――それでも。俺が傷つくことは変わらないはず。
霊斬は溜息を吐きながら思う。
身体を起こし、二階へと向かった。
それからしばらく経ったある日、依頼人が店を訪れた。
「どうなりましたか?」
店の奥に彼を通すや、口を開いた。
「しばらくは動けないようにしておきました。後はお任せします」
「良い機会ですので、これをきっかけに桐野家とは縁を切ろうと思います。ありがとうございました」
主は言うと、財布から小判五両を差し出し、床に置いた。
霊斬はそれを受け取り、袖に仕舞った。
「またなにかありましたら、おいでください」
霊斬は頭を下げた。